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Healer Ken W.

何もないのに突然頚が動かなくなったケース

2016.07.31 21:51


 

50歳代 女性 銀行ロビー案内(パート)


職業上の資格試験を受験するため約3週間勉強をしていた。

この間疲れると、肩こりや頚の痛みを時々感じていたがすぐに軽減・消失していた。

突然、頚が曲り難くなり、その翌日頚は動かなくなった。


クライアントは今回の症状はストレスが関与していると思うとの事。

検査をすると両肺経、胃経、胆経、小腸経、大腸経、三焦経にエネルギーブロックあり。 

 

関係する感情を調べると「人間関係」と「動作」と「環境」に関わることが分かった。

まず人間関係から調べると「家族」と「自分自身」

 

①人間関係 

家族(長男、夫)、自分自身→現在と未来、怒り・不安・心配・寂しさ 

 

次に動作を調べると勉強と分かった。

②動作 

勉強→過去(1ヶ月内)、いらいら・困惑・関心・じれったい 

 

次に環境を調べた

③環境 

家→自分の役割 

 

  

以上のことを本人に伝えたところ

①人間関係に関して

10日ほど前から大学生の息子が引きこもり、食事をしなくなった。大学のゼミ、部活動と嫌なことが重なっていたとのこと。

特に部活(スキー部)では主将と上手くいかず辞めたいと言ってきた。

「今までせっかく頑張ってきて、お金も使ってきたのにもったいない。もう少し頑張ってみたら。」と言ったらひきこもりが始まったとのこと。

今後社会に出たらもっと嫌なこともあるだろうから、こんな事では大学を出た将来も心配だ。

(引きこもりの定義からすると厳密には、このケースは引きこもりとはいえない。)

ドアをすっかり締め切り自分の作ったご飯を全然食べないばかりか、食べると吐いてしまう。 

→寂しさを感じる

凄く心配しているのに、夫は自分が期待・予想するような反応を示さない。→怒りを感じる

 

②動作に関して

別にやりたいと思っていない受験を何故自分が受けないといけないのか→困惑

勉強がはかどらない→いらいら 

 

動作から施術

マイナスイメージをリリースし、プラスイメージ(知る喜び、おもしろさ )を上書き。

 

次に人間関係の施術

息子に過剰な期待をしていた。健康で家族が仲の良いのが一番。四人で家族揃って楽しく食事をすることが幸せなのだと気付く。  

 

施術前の可動域  

②の動作施術後の可動域 

①の人間関係施術後の可動域


頚屈曲/伸展  30/0  45/15   50/40 

回旋 右/左       5/5    15/10   40/30 

側屈 右/左       5/5    25/25   40/40 

VAS10/10→4/10 

かなり改善した。

ここまで検査で頚は触れたが、施術で頚は触れていない。

施術前の可動域が悪すぎて、カイロプラクティックのアジャストさえ出来ないので、頚を触らない感情解放などの施術はとても役に立つ。


施術2回目 (翌日)

動作に関する感情をチェック

 

動作→上を見るという動作→季節は冬→天候→関連する感情は関心→過去(15年前)

15年前はアメリカ、デトロイトに住んでいた。デトロイトの冬は雪が激しい。吹雪くときは前も見えないほどだが、子供の送り迎えを車でしなければならない。


マイナスイメージ:雪の日ではないが、以前に前の車に追突してしまった事がある。子供を乗せて雪の日に車の送り迎えは気を使うので、空模様いつも気にしていた。


プラスイメージ:いつもいつも吹雪くとは限らない。自分の注意は子供たちの安全のためになる。

…とマイナスイメージをプラスイメージに変更。

治療後の反応:頚部可動域 Full range可能となった。 

 

今回のケースは頚部の強い筋緊張が見られただけで、レントゲン上変形などの異常は見られず、神経根症状もない。バイタルも問題なかった。

本人もストレスが関与しているのではないかと感じていた。

 

治療家は究極的には何もしないことが良いのではないだろうか。

どういうことかというと、患者さんの気付きを手助けするだけでいいのではないかと思ったのである。不調の原因を求めるとき、つい私たちは外側に目を向けてしまう。

外側と言うのは環境、肉体というハード面である。しかし人間はソフト面も非常に重要である。具体的に言えばそれは「意識」である。

環境の中に在る人間は、その開かれた系の中での関係性が重要である。万物の現象には究極的には意味はない。

それに意味をもたせるのは人間の「意識」である。つまり全ては「意識」次第である。「意識」の変化が鍵となる。

つまり病気や症状が消えたとしても、「意識」の変化が無ければ人は癒されない。「意識」を変えるために人は、自分自身を深く見つめる必要がある。

結局癒しのパワーは治療家にあるのではなく、ひとりひとりの心の中にある。

治療家はその気付きの道標であればよいのであり、つまりはただきっかけであれば良いのではないだろうか。