学ぶ、勉強、教育の違い 2020.10.14 15:48 「学ぶ」という言葉は、「教えを受けたり真似したりして、知識・技能を習得すること」や「経験することによって知ったり身につけたりすること」などを意味しています。「勉強する」というのは、「学校の科目を学ぶこと」や「無理をしてでも努力して励むこと」などを意味している言葉です。教育(きょういく、英語: education)は、教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、心と体の両面に、意図的に働きかけることである。 教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである。学校教育だけでなく、「家庭教育」「社会教育」も教育という部類に入ります。人間は常に、この3つを使い分け、家庭、学校、会社、地域で生活をしています。これら1つでも欠けてはいけないし、一つだけでも成立しない。子供は「学ぶ」「勉強する」だけでいいと思っている方は間違いです。子供から教わることはありませんか?子供も大人を教育してくれます。学ぶこと、勉強すること、教育、これらが嫌いな人はいないでしょう。むしろ皆さん好きですよね。だから「人間」なんです。算数が嫌い=勉強が嫌い、ではありません。学校が嫌い=勉強が嫌い、でもありません。先生が嫌い=教育が嫌い、も違うし、親が嫌い=教育が嫌い、でもありません。算数が嫌いなのは、わからないから。勉強が嫌いという子もいますが、勉強が嫌いなんじゃない、わからないのです。だから教える。教育するのです。先生が嫌いというのは、顔が嫌い、そもそも存在が嫌いというのもあるでしょう。それで学校が嫌いとなるのはわかります。しかし、学んだり、勉強したり、教育が嫌になることはありません。学校以外でできるからです。そもそも人間は、失敗して辛い、悲しい、苦しい、悔しい、凹む、ムカつくなどの感情があります。それは、「向上心」があるからなのです。向上心のない人間はいません。「私なんてどうせできない」と思っていても「やっぱり出来たらいいな」って思うのが人間です。だから学び、勉強し、教育を受け続けるのです。親が嫌いというのは、親そのものが嫌いという場合と、親の教育の仕方に原因がある場合の2種類と考えます。子供に好きになってもらおうと甘やかすのは間違いです。ここで親がすべきことは、「あなたにこうなって欲しい」ということを明確に伝えること。これは教師、教育者にも言えることです。親や教師、教育者は嫌われてもいいんです。むしろ嫌われるものなのです。親や教師、教育者が「怒り、叱り、高圧的」になるのは、その子に対して「真剣に取り組んでいるから」です。それが「教育」なのです。甘やかすのは「教育」ではなく、「育児放棄」と言っても過言ではありません。甘やかすのはそもそも「愛」ではないからです。自分(親)のエゴを押し付けているのが「甘やかし」なのです。相手の気持ちを無視し、エゴを押し付けても、相手には伝わらないし、最後には拒絶されます。「私はこんなに相手のためにしてあげてるのに、相手はちっともわかってくれない」当たり前です。それはあなたのエゴの押しつけだから。今までしてあげていたことを、しなければいいんです。以前「食事も洗濯も掃除も全部やってあげてるのに、文句ばかり家族から言われるんです。」という相談を受けました。「全部やめたらいいんじゃないんですか?」と私は言います。「家族が困るからできません。」「本当にそうでしょうか?だとしても困らせてみましょう。1週間、家族のことをやめてみましょう。」1週間後、相談者が来ました。「最初はたくさん文句を言われましたが、私が頑なに家事をやらないので、自分たちでするようになりました。確かに困ってるのを見て手を出したい気持ちはありましたが、そこはぐっと堪えて見守りました。私はやりすぎていたのかもしれません。」私は言いました。「あなたは家族を甘やかしていたのかもしれませんね。本当は自分でできるのに、妻や母がやってくれるからしない。しなくてもいいんだと思わせていたのでしょう。」「そうだと思います。私はこれだけやっているという思いもありましたし、家事は私しかできないと思い込んでいました。私が家事をやらなくなって2、3日が過ぎた時、仕方なく自分たちでやるようになったんです。最初はすぐ助けを求めていましたが、私が見て見ぬふりしていると、自分たちで考えながらやるようになって。間違ったやり方をしてることもありましたけど。」「その後どうなりました?」「私に文句を言わなくなりました。むしろ謝ってきたんです。そしてやり方を聞いてきました。もちろん教えてあげました。」「よかったですね。それが家庭教育です。それで家族が育まれていくんです。」「家族を育むかぁ…。いい経験になりました。ありがとうございました。」これでカウンセリングは終わりました。「学ぶ」「勉強する」「教育する」これらの違いを理解し、 「教育の在り方」「愛と甘やかし」「エゴ」について考えてみてはいかがでしょうか?