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いまこの瞬間を生きていけるように〜ちーちゃんのインドヨガ留学体験記〜

2020.10.16 08:42

https://indiasantana.net/yoga-exp47-chihiro/  【いまこの瞬間を生きていけるように〜ちーちゃんのインドヨガ留学体験記〜】  より

インドに学ぶ

2月のRYT200のコースに参加したちーちゃん。〝自分と向き合う〟ためにインドへ来たと話します。ヨガ留学を経て、旅人、ロッジスタッフ、そしてヨガスタッフ、全て経験して約半年のインド生活を終えました。ちーちゃんが自分と向き合ったことは自分にとってどういったものだったのでしょうか。

そして、自分と向き合うことはどういうことなのでしょうか?

インドヨガ留学参加のきっかけ

毎日家と職場の往復をするだけで、自分のやりたいことが何なのかがわからず、特に趣味もなく生きてきました。

仕事を辞めたいとは思っていたけど、実際に辞める勇気はない。毎日文句を言いながら続けていましたが、いろいろなことが重なり昨年9月に8年勤めた職場をあっけなく退職。昨年3月に『インド行かへん?』と友達に誘われましたが、仕事の休みが取れないのでお断りし、何となくいつかインドに行ってみたいな~とは思っていました。

わたしが退職して間もなく、その友達に『11月にまたインド行くし行こう!仕事も辞めたし行けるやん!』と誘ってもらいました。

ただ同じ年に二度誘われるとは思ってもみなかったので、誘ってもらったときは“インドか!行ってみたいとは思っていたけど、どうしよう“と悩みに悩み…

結果、“仕事を始めたら長期の休みも取れへんし、多分この機会を逃したらもう一生インドに行くことはないやろう!2週間も旅行をしたらリフレッシュして、帰国したら就活もがんばれるやろう!“という考えに至り初インドへ。

2週間のインド旅行をし、何故かはわからないけど帰国前にはもうすでに完全にインドに心を奪われ、帰国してからもインドに戻りたいとしか思えない日々でした。

わたしが姉に『インドに戻りたい』と、ぽろっと漏らした言葉に対して『ちーちゃん、やりたいこと見つかったやん!インド行ってきたらいいやん』と言ってくれました。

“インドに戻りたい=自分のやりたいこと“

がわたしのなかで結び付いていなかったので目から鱗でした。インドに戻ることが自分のやりたいことだと姉に氣付かせてもらい、一人で安全かつ安心してインドに行く方法を探し辿り着いたのがサンタナロッジ主催のヨガ留学。

インドに戻る方法として辿り着いたサンタナロッジ主催のヨガ留学でしたが、『自分と向き合える』という言葉を見た瞬間にいまのわたしに必要なことはこれだ!と何故か思い、わたしのやりたいことはその瞬間から『インドに戻る』から『インドに戻ってヨガを通して自分自身と向き合うこと』に変化しました。

ただ『インドに戻ってヨガを通して自分自身と向き合うこと』がいまの自分のやりたいこと、とわかったはずなのになかなか決意ができず、申し込めずにいました。

インドに行ってヨガ留学をしてこようと思うんやけど悩んでいる…とわたしが相談した人たちのなかで誰一人反対する人はおらず、あと一歩が踏み出せないわたしの背中を押してくれたのは家族と友達でした。

サンタナヨガ責任者の坂本さんと年末に連絡を取り、『日程に余裕があるなら早めに来てもらうのもおすすめですよ』と教えてもらい、トントン拍子に話がすすみ、1月22日に日本を出発しインドプリーへ行くことが決まりました。

出発当日、朝早い時間に家を出るのにも関わらず、家族全員起きてくれて見送りをしてくれました。その時弟に『ちーちゃん、せっかく行くんやから、“楽しんで“いってらっしゃい』と言ってもらいました。

インドに戻ってヨガを通して自分自身と向き合うことがいまのわたしの使命!ぐらいに感じていたので、楽しむということをすっかり忘れていたことに気付かせてもらいました。

一人で初海外。緊張しかないなか、関西国際空港からタイのドンムアン空港を経由し、ドンムアン空港からインドのブバネシュアル空港に到着する飛行機でプリーに向かったのですが、ドンムアン空港から離陸して着いた先はコルカタ空港でした。

隣の席のインド人に“コルカタエアポート“と告げられ混乱。アナウンスが流れているのに英語がほぼわからないので騙されているのではないかとインド人を若干疑うわたし。

たまたまわたしの前の席の二人の男性が日本人の方で話しかけてきてくださり、コルカタ空港に間違いないことが判明。ドンムアン空港でフライト待ちのときに見かけていたけどタイ人かなー?と思っていたらまさかの日本人。

ブバネシュアルが霧で着陸できないためコルカタ空港に着陸したと説明してくださる。

飛行機のなかで待機時間だけがどんどん過ぎ、アナウンスが入ってはインド人が怒りだす。結局コルカタ空港で入国をして次の日の昼便でブバネシュアル空港に向かうことに。このお二人の日本人が同じ飛行機に乗っていなかったら、プリーにたどり着けなかったと思います。

感謝しかありません。

無事サンタナロッジまでたどり着き、2月1日からヨガのコースが開始しました。

インドヨガ留学のアクシデントによる心の変化

もともと運動が好きではない。身体を動かすことが苦手。すぐに筋肉痛になりました。筋肉を使って背筋を伸ばす姿勢が取れておらず、気付かないあいだに腰を痛めてしまい腰を労りながらアーサナをしていました。

特に体調を崩すことはなく一週間目、二週間目は終了。

最初に大きな変化が起きる人はほんの一握りの人でほとんどの人は小さな変化の積み重ねと聞いていたので、楽しんではいるけれど自分と向き合えているとは思えませんでした。

三週間目の日曜日に自転車を借りて夕日を観に海までサイクリングに出掛けました。

もちろんインド仕様の自転車で背が低いわたしにはまず高さが合わない。ブレーキをかけて止まるときはサドルから降りないと足が地面につかない。ペダルもつま先で漕ぐ形。でも乗ってしまえば問題なかったのでいざ出発。

順調に走り続け、完全に調子に乗っていたわたし。もうすぐビーチ目前という緩やかな坂道で砂にタイヤをとられて、自転車ごと真横に転倒。景色がスローモーションに流れていく光景を初めて見る。前を走っていた同じ2月生のりかちゃんにもスローモーションにわたしが倒れる姿が見えたらしいので、すごくゆっくり転けたようでした。

自転車のチェーンが外れてしまっていたので、りかちゃんに手伝ってもらい必死に直し再び海を目指す。

外傷は全くなく、ただ歩くと左足のふくらはぎに痛みを感じる。歩くよりも自転車のほうが楽。とりあえずビーチに到着し、砂浜に寝転んで空を見上げる。夕日は曇ってしまい見れなかったけど綺麗な空が見れて大満足。

足は痛いけどそのうち治るだろうと鷹をくくり、ヨガを学びにきて休日のアクティビティで負傷するとは恥ずかしいと自分のどんくささを笑って誤魔化していました。

次の日も足は同じ調子。歩くと痛いのでアーサナは見学。

休むこともできたけど、朝ちゃんと起きてマントラを唱えて呼吸法をするところまでは座ってできるので出席。

ヨガスタッフののんちゃんにもみおちゃんにも大丈夫?辛くない?と声を掛けてもらっていたけど、不思議なことに見学3日目辺りから嫌いなはずのアーサナをみんながしているのを見ていて、わたしも身体を動かしたい!みんなと一緒にアーサナがしたい!と思えるようになり怪我がなかったらそんな気持ちにはならなかったと前向きに捉えていました。

ただ一向に良くならない左足の痛みに少し不安を抱き始めていました。

日本から持ってきていた湿布、1月生のことちゃんが残してくれていった痛みに塗るオイル、2.5月生のいっちゃんが持ってきていたタイガーバーム、プラカーシュ先生が持っていたペインキラーという塗り薬、みんなの優しさを改めて感じ、順番に全部試したけど良くならない左足。

自転車で転けた次の週の日曜日、朝からみんなでサリーを着てスーリヤ寺院へ。昼から海辺でBBQ。楽しいのに心から楽しめない。ロッジに戻って、何故かわからないけどなんかしんどいことに氣付く。りかちゃんに『大丈夫?なんか出来ることある?』って言ってもらったけど、わかっていないから大丈夫と答える。

月曜日ももやもや。

火曜日ルチカ先生がセオリー授業の最後に話された“ヨガの最も大きな効果は…”の続きが全く耳に入ってこなかった。

前の訳をノートに書いていたから聞き逃したわけではないことに氣付きました。終わってすぐ隣にいたヨガスタッフのみきちゃんに耳に入ってこなかった部分を聞きノートに書く。セオリー授業後の少人数に分かれてするシェアリングで自分が話す番がきたときに、何故か涙が溢れてきました。

みんなに『本当は我慢してたんやろう。辛かったんやろう。泣いてくれて良かった。感情が出せて良かった』と言ってもらって、やっと“わたしは辛かったんや、我慢していたんや“という自分の感情を理解しました。

ヨガを学びにきて休日のアクティビティで負傷して、でも授業を休みたくはなくて見学で毎日出席して、最初のうちは本当に辛いとは思っていなかったし、むしろアーサナがしたいという気持ちを自分が持てたことにすごいとさえ思っていました。でもなかなか治らない左足に徐々にネガティブになっていっていたことに自分で氣付いていなかった。

わたしの涙が止まるまでみんな待ってくれました。

お昼ご飯を食べて氣持ちを切り替えて、次の週から始まる自分たちがインストラクターをする説明の授業に出ようと教科書とヨガマットを持ってヨガホールに向かおうと思ったが、また突然涙が出てきて止まらない。

さすがにこれは授業には出れないと思い、ヨガスタッフルームに泣きながら休みますと伝えに行く。

坂本さんとみおちゃんがいて、とりあえずスタッフルームにいれてもらい話を聞いてもらった。最初は辛くなかったこと、日曜日あたりから何故かわからないけどしんどかったこと、セオリーの授業の後に自分の感情にやっと氣付いたこと、焦っているんやと思いますと話した。

坂本さんが少しドライブに行きましょうと言ってくださり、バイクの後ろに乗せてもらって出掛けた。

『ちーちゃんは何に焦っているんですか?』

自分がわからなくなっているわたしに、坂本さんは質問形式で一つ一つわかりやすく、わたし自身が氣付けるように話をしてくれた。

『自分は影のように一生ついてくるんです。

ヨガをすると自分と向き合わなくてはいけないから、ちーちゃんはヨガから逃げたいんです。でもちーちゃん、ちーちゃんはもうヨガと出逢ってしまったんです。

ちーちゃんやっとスタートラインに立てましたね。今日がちーちゃんの本当のヨガのスタートです。ロッジに戻ったらヨガホールに入る前に、今日からよろしくお願いしますと言ってくださいね』

と言ってもらった。

ロッジに戻りヨガホールに入ったら、りかちゃんやいっちゃんがインストラクター役の説明を聞いてとっていたノートを渡してわたしに説明をしてくれた。

りかちゃんに『大丈夫?』と聞かれ、坂本さんと話したことを言い、『日曜日に″大丈夫?″と聞いた時点で我慢してると思ってたから聞いたけど、ちーちゃん大丈夫って言うし』と言われ、『日曜日のときはなんかしんどいけどそれが辛いとか我慢してる』とは氣付けてなかったと伝えた。

自分のことが、自分の感情が本当にわからない。

次の日朝から授業に出席するもオームを唱える時点から集中が出来ず、大好きなマントラすら歌えず途中で授業を抜け出した。

アーサナより好きな哲学の授業も出る氣が起こらず休むことにした。

『自分が辛いのに無理して笑うと感情に蓋をしてしまうから無理して笑わなくていいんだよ』と、のんちゃんに言ってもらったけど、ロッジにいるとすれ違う相手に対して反射的に口角が上がるので、海に出掛けることにした。

昼からの授業も休んで屋上にヨガマットを敷いて横になっていたら氣付いたら寝ていた。

初めてヨガの授業をまる一日休んだ。

アーユルヴェーダ診断へ。ドクターに〝伝説のヨギー〟と言われさすがのちーちゃんも「ほんまに〜?!」と驚きを隠せない

次の日の朝起きて歯磨きをして部屋に戻る途中でパキッっという音がして、反っていた何かが元に戻った感覚があり左足の痛みがましになった。

普通に歩ける!ネガティブだった氣持ちが随分ポジティブになった。

2週間左足をかばって生活をしていたので様子を見ながらアーサナに参加。昼の授業の前にのんちゃんとの面談。

相変わらず自分がわからない。

わからないけど左足が良くなったから、ポジティブにはなってきている。火曜の夕方には自分がインストラクターをしないといけないけど、まだ何も出来ていない。

のんちゃんはわたしの話を一通り聞いたあとに、『自分の感情は置いておいてとりあえずインストラクターのことだけに集中してみたらどうかな?』とアドバイスをくれた。

のんちゃんのアドバイス通り、インストラクターのことに集中することにした。

とは言っても学生時代からテスト勉強は一夜漬けタイプだったので、結局日曜の夜になって焦って授業の構成の組み立てをした。

月曜にプラカーシュ先生に構成の内容を見てもらい、少しアーサナを追加しOKをもらう。月曜の朝からみんなのインストラクターの授業が始まり、少し焦り出す。

夜ヨガホールに行き、身体を動かしながら一応予行演習。

氣付いたらヨガホールで寝てしまっていた。

本番当日

授業直前まで悪あがきをし授業開始。

旅人に『長い人生のなかのたったの二時間なのだから、楽しまないと損』と言われたことを胸に止め、いま自分ができる精一杯の授業をしようと望んだ。

呼吸法をしているときにカメラマンをしてくれていたのんちゃんと目が合い、満面の笑みを向けられる。

自分が笑顔じゃなかったことに氣付かせてもらう。

のんちゃんのおかげで、笑顔を取り戻し自分のペースで授業を進める。

途中このままのペースでは時間が足りないことに氣付き、アーサナをいくつかカットし、予定終了時刻より5分過ぎて授業終了。

自分の力というよりは坂本さん、ヨガスタッフののんちゃん、みおちゃん、みきちゃん、共にヨガを学んだ2月生2.5月生の仲間、3月生、みんなのおかげで乗り越えられた2時間だった。

自分の感情は相変わらずわからないけれどみんなにすごく良かったと誉めてもらい、わたしもいま自分ができる全てを出しきれたという思いがあり、心が晴れた。

インストラクターの2時間を無事終えて、わたしは1つ目の壁を乗り越えたようでした。

怪我が治ったこと、あとは本当にみんなのおかげ、それとほんの少しの自分の力で乗り越えることができたんだと思う。

顔が変わった、雰囲気が変わった、笑顔が自然になった。みんな言ってくれるけど、わたし自身はとくに変わった氣はせず。

でも確実に心が楽になった。

ヨガ留学中に誕生日を迎え、そしてコース終了して感じたこと

3月15日 わたしの32歳の誕生日

朝からみきちゃんにすれ違う度に『バースデーガール♪』と声を掛けてもらい、朝食のときに食堂でみんなからバースデーソングを歌ってもらった!

ろっじスタッフが作ったチキンバターマサラ

モヘソ特製!ロッジのキチンバターマサラは大人気!

夕方のアーサナのプラクティカル授業がルチカ先生の特別授業トラタカを教えてもらえることになる!

ランチは5人以上がオーダーしないと食べれないスペシャルメニューのチキンバターマサラをみんなで食べれることに。

授業まで時間があったのでりかちゃんとウッドストックに美味しいアイスコーヒーを飲みに。みんなのおかげで、なんて素敵な誕生日を過ごしているんだろうと思っていた。

次の日でヨガのコース終了のため、夜ご飯はみんなでハニービーへ。

美味しくご飯をいただいていたら、サプライズでケーキを用意してくださっていて、またみんなでバースデーソングを歌ってお祝いをしてもらった。まさかケーキまで用意してもらっているとは思っていなかったので、みんなの温かさと優しさに大号泣してしまった。

ヨガセオリーの授業が終わってルチカ先生から終了証明書をいただいた。

終了した感が全くない。

昼から最後のシェアリング

45日間のシェアリングで涙が込み上げてくる…

ヨガスタッフのみきちゃんが45日間で撮ってくれていた写真で動画を作製してくれていた。その動画を観て初めて、″終わったんや″と感じ、涙が溢れてきた。

自分の番のシェアリングでまた涙が出てきた。坂本さん、のんちゃん、みおちゃん、みきちゃんから一人一人に折り紙で作ってくれたメダルをいただいた。

わたしのメダルは″自分と向き合ったで賞″だった。

自分のことは相変わらずわからないままだけど、怪我が治ったこと、みんなに支えてもらったおかげで一つ壁を乗り越えられたこと、感謝の氣持ちしかなかった。

みんなで過ごした45日間はかけがえのないものでした。みんなのおかげでやり遂げられた。2月生がこのメンバーで本当に良かったと心から思った。

ヨガ留学を終えて旅行から戻り、

ロッジスタッフへ就任

その後10日間プリーに残り、朝夕のアーサナの授業や坂本さんのワークショップに参加させてもらいながら過ごし、りかちゃんとバラナシへ旅立った。

プリーを出る時点で体調を崩していて、旅行中も体調不良。バラナシからバンコクへ行き、その後デリーに行く予定をしていた。

旅行中ということと体調不良で一切ヨガが出来ていないことに、このまま日本に戻ってもヨガは続けられないと思い、デリー行きを辞め2週間という期間を決めてプリーに戻ることにしました。

プリーへ戻ったとき、日本人もインド人スタッフもみんながおかえりなさいと温かく迎え入れてくれてすごく嬉しかった。2週間という期間を決めていたので帰国の飛行機も取っていました。

でももうヨガ生ではないことでわたしは毎日が日曜日で、ヨガを続けていけるようになるために戻ってきたはずなのに、ヨガをしていない自分がいました。

ヨガ生の時からロッジスタッフをしてみない?と声を掛けてもらっていましたが、返事はしていませんでした。

戻ってきて、『やってみない?』とまた声を掛けてもらいました。

このまま日本に帰っても多分ヨガは続けられない。ロッジスタッフとして仕事をして、その中で自分でヨガをする時間をつくっていけたら日本に帰っても続けやすいと思い、帰国を辞めプリーに残ることに決めました。

ヨガ留学の体験談を書いて思ったこと

1週間後からロッジスタッフをさせてもらうことに決め、それまでの1週間は45日間の体験談を書く期間にすることにしました。

1週間あれば書けるだろうと思っていました。その1週間書こうと思っても全く書けない自分がいました。

坂本さんに書けないことを伝えにいき、自分のことを知らないから書けないということをまた氣付かせてもらいました。

『ちーちゃん、ヨガの第2章のスタートです。

これからは自分のことを知るためにヨガをしていきましょう』と言ってもらいました。