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【59番】平安時代最大のライバル・紫式部とも清少納言とも友だちだった!!赤染衛門!!

2020.10.17 03:42

ジャンル:恋
時代:平安時代 
超要約:連絡しろよ

歌の意味(子ども向け):来るって言うから、起きてまっていたのに。ぷん!
歌の意味:(こんなことなら)ぐずぐず起きていずに寝てしまったのに。(あなたを待っているうちにとうとう)夜が更けて、西に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまいましたよ。
☟この首に関するクイズ

Q 百人一首が詠まれていた平安時代は、夫婦はいっしょに住んでいた。〇か✖か?

A ✖
 夫は妻の住んでいる家(やしき)を夜たずね、朝帰るという、 「通い婚(かよいこん)」が普通。
 デートも、昼間男女が会うことはなく、夜に彼女の家を訪ねるのが普通だった。
👇語呂合わせ(覚え方)


 作者の姉妹のところへ通ってきていた中関白(なかのかんぱく)(=藤原道隆)が、訪ねると言っておきながら来なかったので、次の日に作者が代作したものです。(藤原道隆は、後に、儀同三司母(54番)と結婚した。)代筆ではありますが、姉妹の状況と気持ちを丁寧にくみとりながら、月がしずむまで待っていたと詠むことで、恋人の言葉を信じて待っていた女性の恨みをやんわりと表現しています。

 「やすらはで」は、「ためらわないで」という意味です。「寝なましものを」は、「寝てしまったらよかったのに。」という意味です。

 作者である赤染衛門(あかぞめゑもん)は、藤原道長の妻や、その娘で一条天皇の中宮(后)となった彰子(しょうし)に仕えたインテリの女房。赤染衛門は、和泉式部と並び称されるほどの才女でしたが、道長に「尻軽女」とまで言われた恋多き和泉式部とは違い、良妻賢母として名高かったそうです。和泉式部(56番)、紫式部(57番)、伊勢大輔(61番)、清少納言(62番)とも親しく、歌のやりとりをしていたと伝えられています。生没年共に不詳です。仮名文の歴史物語「栄華物語」正編の編者とも考えられています。