通州事件をユネスコ記憶遺産に
7月29日は「日本民族受難の日」として、毎年この日を思い起こすべきかもしれない。
今から79年前、1937年のこの日は、「通州事件」が起きた日である。事件は、当時の北平、現在の北京の東18キロにあった通州に住んでいた日本人居留民230人が、反日を掲げたシナ人暴徒、狂気の集団によって、筆舌に尽くしがたい残虐な方法で組織的、計画的に殺害、陵辱され、死してなお恥辱を与えるため、おぞましいほどの方法で遺体を損壊・遺棄し、犠牲者の尊厳を徹底的に奪った事件である。
現代の日本人にとって、まさに「記録にはあるが、記憶にはない日」(ペマ・ギャルポ氏)とされるこの通州事件は、「20世紀中国大陸における政治暴力の記憶:チベット、日本」として、中共軍によるチベット侵攻・チベット人虐殺事件とともに、ユネスコの記憶遺産に登録するため、チベットの有志と日本の民間基金がタックルを組み、5月31日、通州事件関係18点などの関係資料をユネスコに送り、共同申請の手続きを行ったという。
そして今年の7月29日には、「通州事件アーカイブス設立基金発足記念シンポジウム」と題された集会が新宿の区民センターで開催され、230席あまりのホールがほぼ満員になるほどの市民が集まった。当日の登壇者の発言内容は、以下のYouTubeで確認することができる。
平成28年7月29日「通州事件」とは何か?①通州事件の歌と事務局長挨拶
https://www.youtube.com/watch?v=7afS5pzMtgk
「通州事件」とは何か?②挨拶:藤岡信勝氏&ペマ・ギャルポ氏
https://www.youtube.com/watch?v=DJOWzO4EptM
「通州事件」とは何か?③通州事件遺族の証言 石井葉子氏:皿木喜久氏
https://www.youtube.com/watch?v=W5Nbsr6bmGg
「通州事件」とは何か?④ 鼎談 北村実氏・加藤康男氏・藤岡信勝氏
https://www.youtube.com/watch?v=btQYnJzpZeE
藤岡信勝氏の「目からうろこの日本史講座」(第45回通州事件とは何だったのか)
https://www.youtube.com/watch?v=vRSd6Y8G8Tc&list=PLgWDZ7Z_8LQYMvzMdJogrRf4wWU2WSGq4&index=45
<通州事件とは何だったのか>
改めて「通州事件」とは何だったのか、この事件の持つ意味を探ってみたい。
藤岡信勝拓殖大学客員教授によると、通州事件とは、日本を戦争の泥沼に引き込むという当時のスターリン、コミンテルンの方針のもとで用意周到に画策された謀略事件の一つで、中国共産党の軍が日本軍に対して発砲して挑発した1937年7月7日の盧溝橋事件の発生から、蒋介石軍が上海の日本居留民地区を取り囲み、日本海軍陸戦隊と交戦した8月中旬の第2次上海事変に至る、すなわち日中戦争が本格的に始まるプロセスのなかで、日本の国民感情を揺すぶり、戦争へと突き進ませる重要な契機となった事件でもあった。
通州とは、北京の東18キロ、明の時代に城壁が築かれた城郭都市で、運河が通り、天津からの物資の集散地だった。当時は河北省通州県、現在は北京市通州区となっている。殷如耕という日本に留学経験があり、日本人女性を妻にして、親日家と見られていた男が、1935年、南京政府から独立した「冀東防共自治政府」を通州に作り、独自の軍隊「保安隊」約1万人を置いていた。一方、日本軍も、1900年義和団事件の後、北京の日本居留民保護を目的に軍の駐留が認められ、この通州に部隊を置いていた。また「冀東防共自治政府」の「保安隊」には日本人顧問を派遣して教育指導に当たっていた。ところが、この「保安隊」のなかに、ひそかに国民党軍と通じ、反日的な考えをもった指揮官がいて、将来の軍幹部を育てる教導総隊などを率いていた。さらに南京の国民党政府と通じた冀察政務委員会という組織が、日本人居留民の家族構成などをひそかに調査し、日本人と現地人が混住する街のなかで、事件前には日本人住家だけにチョークで印をつける工作なども行っていた。
また、事件の一年以上前から、通州に住む朝鮮人たちが現地の中国人に対し、盛んに日本人の悪口を言うようになり、中国人の対日感情を悪化させる動きを見せたという。これは後に紹介するが、通州事件を現地で直接目撃した唯一の日本人・佐々木テンさんの証言にも出てくる。
さらに事件直前には、地元のラジオ局は、盧溝橋では日本軍が惨敗したといった虚偽の情報を盛んに伝え、蒋介石軍は「冀東防共自治政府」を打倒し、通州を「屠城」(皆殺し)にするつもりだなどといったデマ情報を流し、蒋介石軍に寝返ったほうが安全だと思い込ませる謀略放送を行った。要するに通州事件とは、事前に用意周到仕組まれ、準備された政治暴力事件だったことが分かる。
事件は通州に駐留する日本軍部隊が別の場所での演習に参加し、留守にしていたところを狙われた。事件当日の7月29日午前2時ごろ、城壁の城門がすべて閉じられ、無線も封鎖されたうえで、殺戮が始まった。
米国のジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズは1938年に出版した『中国の戦争宣伝の内幕』のなかで、次のように書いている。
「それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男、女、子供は、野獣のような中国兵によって追い詰められていった。家から連れ出され、女・子供は、この兵隊ギャングどもに襲いかかられた。それから、男たちとともにゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同胞が彼らを発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。何時間も、女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し拷問をかけていたのだ。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉をつながれて、村の通りに生きたまま吊るされた。空中にぶら下げられる拷問である。犯され殺された者の多くは子供であった」。
彼はこの事件を、「古代から現代までを見通して、最悪の集団屠殺だ」と表現している。
事件を目撃し証言できる日本人は、ほとんどいなかった。なぜなら当時、通州にいた日本人はほとんど殺されるか、命からがら逃げ出し助けを求めたごく少数の人も人目につかないように身を隠し、いち早く逃げたため、現場を目撃する機会はなかった。しかし、ただひとり事件の一部始終を目撃していた日本人がいた。佐々木テンさんという女性で、中国人と結婚し、事件前は日本人であることを隠して通州に暮らしていた。日本人であることが知られたら何をされるか分からないと夫に言われ、事件の一年ほど前からは日本語を使わず日本人との接触も避け、完全に中国人を装って暮らしていた。そのなかで、前述のように日本人の悪口を盛んに中国人に吹き込む朝鮮人たちの姿も直接体験していた。
佐々木さんが目撃した事件の一部始終は、事件後、中国人の夫と離婚して日本に帰国し、戦後、半世紀近くも語らなかった事件のことを、講話を聴きに通っていた寺の住職にはじめて打ち明けた。その証言を文章にまとめた佐賀県基山町の因通寺住職・調寛雅さんは、「天皇さまが泣いてござった」という本にそれを収録し、平成9年に出版している。
この本のなかで、調さんは「この通州事件の残虐行為を見ると、やはり支那人の持つ残虐性というものを極めて明白に知らしめられるのです。それは殺した相手に対して一片の同情もなく哀れみの心もなく、殺すということに、屍体をいたぶるということに、これ以上ない興味を持っているのです。日本人にはこうした死んだ人に対して残虐行為を行うということは習慣上あり得ないのです。よく南京事件のことどもが問題になり、日本人兵が支那人三十万人を殺戮したというように言われていますが、このことは全くのデッチ上げであり、妄説であります」と書いている。
佐々木テンさんの証言と調寛雅さんが書いた「通州事件の惨劇―日本人皆殺しの地獄絵」は、2016年7月に出版された藤岡信勝編著『通州事件 目撃者の証言』(自由社ブックレット)にも再録されている。また月刊「正論」(2016年8月号)でも「民族の受難 通州事件の研究」と題して藤岡氏が一文を寄せている。
http://www.asyura2.com/acas2/OqFlhwsrrXM.html
通州事件については、事件翌日に東京日日新聞は号外を出して伝え、そのあとも読売、東京朝日など各新聞社が実際に記者を現場に派遣して取材し、その凄惨な殺害現場や日本人の残虐な殺され方については詳細な報道がされ、鬼畜の所業に日本全体が悲憤に震えた。「暴支膺懲」「暴虐な支那人を懲らしめよ」の声が全国に充満、「恨みは深し通州城」など事件をテーマにした歌が、その年の内に8曲も作られ人口に膾炙したという。これだけの詳細な記録や直接証言が残っているのは、南京事件のあいまいな記録とは比較にならず、ユネスコの記憶遺産として残す価値は十分すぎるほどあるのは明らかだ。
そして今、通州事件を深く考察する意義は、何より通州事件におけるシナ人の殺害や拷問の方法、死体に対する陵辱、女性に対する虐待・陵辱などの犯行は、シナ人特有の、まさにシナ5000年の伝統に即した典型的な姿であり、それこそ『史記』や『資治通鑑』に描かれる世界そのものであると再認識することにある。
そして、こうした行動・思考様式のなかに、彼らの根底にある人間観や死生観、倫理観などすべてが端的に現れ、それが、たとえば今日の反日運動や南シナ海をめぐる国際司法裁判への反応として彼らの行動や言論にも現れ、さらには、毛沢東による最大の政治的人権迫害事件だった文化大革命などで彼らを突き動かした行動・思考様式だったことを再認識することができる。
7月29日のシンポジウムに登壇した京都大学の北村稔教授によると、通州事件には皆殺しを容認する中国人の倫理性、主観即客観として自己を絶対的に肯定してしまう考え方が背景にあるという。つまりたとえば反日運動や南シナ海問題にしても、自分に絶対の大義があると思えば、「愛国無罪」で何をしても許され、国際的規範でさえ無視することができる。通州事件の現代的な意義といえば、南シナ海における「九段線」の主張のように、本気で信じていれば、あとは力で押し切り、都合の悪いことがあれば隠し、逆に相手を誣告し、口汚く罵倒するのが、かれらの習性、本性だということを、この事件を振り返ることで改めて確認する契機とすることにある。