03. ようこそCinecittàへ。
改めて知る、私たちの 新潟・市民映画館 シネ・ウインド。
皆さんはシネ・ウインドのことをどれくらい知っているだろうか。実は私はシネ・ウインドのことをよく知らない。しかし、過去を振り返るとシネ・ウインドで観た映画のことだけでなく、色々なことが思い出される。20代の頃にセルジュ・ゲンスブールの追悼イベントでボランティアスタッフとして参加したり、映画塾に参加していた友人の作品に脇役で出演したり、オールナイト上映で塚本晋也監督特集を観に行ったりしたこと。そんな塚本晋也監督が5年前に「野火」の上映で来館した時に観に行き、上映後のサイン会でお話しする時に緊張しすぎて声が裏返ったこと。どれも私にとっては楽しい思い出だ。
シネ・ウインドは開館してから12月7日で35周年を迎える。35年も経つとシネ・ウインドがどんな想いで立ち上げられた映画館なのかは風化していき、市内に複数あるシネコンと同じ、まちの映画館の一つとして見るようなっていく。ご存知の通り、COVID-19による外出自粛要請で映画館は窮地に追い込まれた。セーブ ザ シネマやミニシアター エイド基金、シネ・ウインドの明日のため募金などに署名や募金をした人も多かったのではないかと思う。署名や募金を行うにあたりシネ・ウインドのことを考えた時に、シネウインドはまちの映画館の一つではあるが他と違う映画館なのだ、会員の会費を中心として運営されている映画館なのだと改めて思った。
市民が立ち上げた市民による市民のための映画館「シネ・ウインド」とはどんな映画館なのか、支配人の井上経久さんに話をうかがった。
__シネ・ウインドの誕生のきっかけは古町にあった映画館「ライフ」の閉館だったそうですね。ライフは若い層のお客さまが多く、往年の名画や支配人選定による特集を上映し人気を博していたそうですが、ライフの閉館後に誕生したシネ・ウインドは市民にどんな映画を観てもらおうと思って始めたのですか。
井上経久 1985年3月にライフが閉館し、惜しむ声がありました。当時新潟日報に連載していた映画評論家の故 荻昌弘が「こういった気骨ある映画館を維持できないというのは県都として恥ずかしくないか、新潟市民の精神的威信に関わる問題ではないか」ということを言ったそうです。当館代表の齋藤が新潟・市民映画館鑑賞会を作ったのですが、荻昌弘の言葉に衝撃を受けて、仕事を辞め、映画館を作るんだと言って始めたのがきっかけです。齋藤は映画のみならず坂口安吾に関心を持っていて、安吾がやるとしたらこういうことだと言って活動を始めたそうです。映画ファンだけでなく、音楽ファンに演劇や文学関係者が集まって、新潟・市民映画館鑑賞会を作ったことから今に至りました。その立ち上げ時も市民に一口一万円で5,000人の会員を集め、会費を原資にしたいという思いがありました。この市民に寄付を呼び掛け一緒に運営するスタイルは、直近の「明日のため募金」につながるシネ・ウインド活動のベースともいえますね。最初に上映したのは「アラビアのロレンス」。齋藤はひたすら有名な映画会社に当たっていたそうです。ある会社の理解があり、映画史の名作「アラビアのロレンス」の上映が決まった。その時に、ご存命だった淀川長治さんに相談したら「良い映画を得られましたね」と言われたそうです。
__あの淀川長治さんからお言葉を!それは嬉しいですね。ところで映画だけでなく落語や演劇など、あらゆる芸術を上映されていますが、どんな目的で幅広い芸術を扱うことにしたのですか。やはり新潟・市民映画館鑑賞会の立ち上げメンバーの影響もあったのですか。
井上 新潟・市民映画館鑑賞会の立ち上げには多種多様な方々も集まっていましたから影響はあったと思います。当時はライブハウスや芝居を発表できる場所が今よりも限られていました。そういう場所を求めていた気運があったのかもしれないですね。映画は第7芸術と言われ歴史は浅く、文学や音楽、絵画というような人類史とともにあるような芸術があって、そこから映画ができました。シネ・ウインドは1985年12月7日にオープンするのですが、その前夜祭では映画の上映ではなく、詩の朗読や音楽の演奏など、映画ができるまでのアートの表現をやりました。当時から今に至るまで、スタッフの中にも演劇や落語などを愛好する人がいますし、不定期的に演劇や落語公演を行なうのも、そういったことが一つのきっかけになっているかもしれないですね。基本的には映画好きが集まる場、映画を上映する場なので、ここで会うことで違うものに興味を持ったり、違うものを始めたり、そういう人が出たり入ったりした35年間というのが実際のところだと思います。
新しい日本映画のタネが芽吹く瞬間を目撃するために、更にそれを育んでいける環境づくりに力を注ぐ。
__私が20代の頃、塚本晋也監督の「鉄男」などオールナイト上映を観に行きました。オールナイト上映はスタッフの中村賢作さんが立ち上げた企画だそうですね。
井上 1990年前後に日本映画がとても元気がない時期があって、日本映画を上映しても人が来ない。日本映画はそんなことはないんだという志で1992年に中村賢作さんが「日本映画大冒険」という企画を立ち上げました。最初の上映は原節子さんの「麦秋」と高峰秀子さんの「カルメン、故郷へ帰る」。日本映画大冒険は100作品上映するという企画でした。それが終わると次は100個の企画を日本映画で達成しようと「HOGA-BIN」という企画を始めました。HOGA-BINの第一弾が塚本晋也監督オールナイトの”ボディ ミーツ メタル”。1996年の春頃でした。「鉄男」や「電柱小僧の冒険」などを上映しましたね。その頃の日本映画は塚本晋也監督や阪本順治監督、山本政志監督が出てきて随分活気があったと思いますよ。100企画終わったのが2000年12月。今も日本映画は面白いですよ。いっぱい新しい監督や俳優さんが出てきて人気だと思います。中村賢作さんが凄いと思うのは、監督をお招きしてオールナイトで上映したり、俳優さんに注目してその特集を上映したこと。そういうことをする映画館は、日本でも、特に地方の映画館では初めてだったのではないかと思います。田口トモロヲさんや大杉漣さんといった今となっては大変な方々が来てくれました。もう私たちが日本映画を企画紹介するには体力的な問題もあります。若い人にもっと来て欲しいと思いますし、かつての中村賢作さんのような方が来て動いてくれたら良いなと思います。今は昔と違って低予算で映画ができるようになりました。まだ知られていない俳優さんやスタッフさんなどにスポットライトを当てて上映してきたつもりです。皆さん決してメジャーではありませんが、そういった方々とのパイプはこれからも続けて行こうと思っています。
__8月は戦争映画の特集をしていましたが、昔から戦争映画の特集はやっていたのですか。
井上 今年は特別でしょうか。今年は何よりもCOVID-19の影響が大きい。休館の時期があったり、色々な映画の公開が先延ばしになってしまった。上映映画の選択肢はかなりありますが、人数制限やマスクの着用、アルコール消毒したり、そういったハンディキャップの中で何を上映するかというのが映画館に問われていると思います。今、戦後75年のタイミングで戦争映画を特集するということは自分たちの姿勢をアピールするのに良いと思いました。今回やってみて、戦後何年に関わらずやらなくてはいけないと思いました。
想いはシネ・ウインドに。
__明日のため募金は1,560万円ほど集まったそうですね。沢山の人たちがシネ・ウインドの存続を願っている結果ではないでしょうか。
井上 まずは感謝申し上げたい。何より先にある目標額を設けなかったですし、設けられるものでもない。維持のためというのはありますが、誰もが大変な時期に、どれだけ集まるのか不明な部分がありつつもスタートした募金でした。結果的に新潟市民の方を中心に色々な方から募金が集まりました。ありがたかったです。嬉しかったのは、かつてここに来たことがある方や新潟で新潟大学に通っていた方、今は違うところにいるが何年間か新潟に移動で来ていた方、今は関東にいるが元アルバイトだった子が募金してくれたりとか。その方たちのシネ・ウインドの像があって、それぞれにとってここは大事な場所、維持して欲しい場所として認識してくれているんだなと思いました。シネ・ウインドで上映した若手監督や俳優さんにも、皆さん大変だと思いますが、寄付をいただいたりして、続けなければいけないなと思いましたし、尚更シネ・ウインドを応援してくれた監督や俳優さんの活動や作品を、こんな作品ですと提示する場所にしなければいけないなと思いました。同時にこれからの方々を今まで以上に紹介していかなければならないなとも思いました。
色々な人が交差するから面白い。
__数年前まで私は、忙しくて観に来られない時期もあるので観たい時だけ1,800円払って観ていました。しかし今回のCOVID-19をきっかけにシネ・ウインドは主に会員の会費で運営されている映画館なんだと意識しました。
井上 会員になると運営に参加できるのをうたっています。上映作品の選択委員に関われますし、色々な方たちが出入りしてくれています。今私たちが嬉しいのは、特に女性が平日の午前中に来て電話番をしてくれたり、掃除や花の手入れ、月刊誌の発送作業などをしてくれ、とても助かっています。それぞれの役割をできることに応じてやってくれています。入会すると安く観られるというのはアピールしています。色々な映画を上映することで映画会社へも還元していきたいと思っています。関われる人が増えれば増えるほど、上映映画のリクエストが増えてくる。全部に応えられる訳ではありませんが、選択肢は増えます。そういう所で私たちも勉強することが多いんです。
__ボランティアスタッフが映画の選定もされているそうですが、ボランティアスタッフは若い人たちもいますか。どのように映画の選定をされるのですか。
井上 若い人もいますよ。大学生もいます。大学生の子はアルバイトなんですが、ティモシー・シャラメの特集を企画してくれています。映画は上映企画部があり、その会議で色々提案があって、それから私が映画会社に問い合わせしています。あとは映画会社から直接オファーがあったりとか。そこから映画を観て決めています。
__皆さん観たい映画は様々だと思いますが、最終的にどのように選定をされているのですか。
井上 映画選定そのもののストーリーを大切にしていますね。この映画を観た人が予告編を見て、この映画を観てくれるんじゃないかといった感じで考えています。シネ・ウインドの姿勢を見せるというのもある。戦後75年というのができるのも私たちの映画館の強みだと思っています。シネコンではできないけれど、シネ・ウインドで何ができるのかを考えつつやっています。得意先や仕入先との関係もあります。今これを新潟市民に届けるべきだろうという映画もやっています。
__明日のため募金で集まった寄付金はどのように活用されていく予定ですか。
井上 寄付金が集まって大変ありがたいですが、年間売上目標に全然達していません。入場収入や会費収入でフォローするというのもありますが、結局、人件費やこれまでに上映した映画の支払い、水道や光熱費、家賃といったものもあります。まずは会員になってもらいたい。私たちの活動を理解していただいた上で、できたら映画を観に来ていただきたいと思っています。
__COVID-19の影響で仮説の映画館が登場しましたが、どう思われましたか。
井上 仮設の映画館は増えていくと思いますよ。違う形で残ると思います。配信があった時に劇場で何をやるかというのは私たちに課せられた使命だと思っています。映画上映はここでやって、監督とのトークはリモートで行うとか、ネット配信したものをまたここでやってみて捉え方の違いを試してみたいですね。映画館で観ると気づくことがいっぱいあると思います。
__確かにそうですね。それでは最後に、市民のための、より開かれた映画館であるために今後はどのような活動を行っていきたいですか。
井上 私は色々なことが好きなんです。そういった活動をどこかで繋げていけたら良いですよね。なるべく映画と離れた活動、演芸とかスポーツなどを通じ興味を持ってくれる人がいたら良いなと思います。そういうことがシネ・ウインドの足腰の強さに繋がると思っていますから。寄付のような活動をしても、映画と離れた活動をしている所から支援してくれることも多い。それは大事なことだと思っています。セイブ ザ ライブハウスがあったんですけど、セイブ ザ シネマと合体でセイブ ザ カルチャーになった。東京では色々やっています。そういうのをもっとローカルでやっても良いのかなと思います。地元のライブハウスや劇団関係の方と関わりながら一緒に浮上するようになれば良いなと思っています。
【写真左】「新聞記者」藤井道人監督✖️シネ・ウインド
コラボチャリティーTシャツ 限定発売中 3,000円(税込)
【入会案内】
会員特典
■会報(月刊ウインド)毎月送付、格安入場料、運営への参加、他多数
■会員のお子さまの入場料割引…3才以上中学生まで500円
■会員の同伴者 入場料1名1,100円(2名まで)
■土日・祝日、イベント時の電話による入場予約(前日17時まで)
■シネ・ウインド蔵書(約2万冊)の貸出
■シネ・ウインド鑑賞券(1年間有効)…11枚綴り10,450円(9,500円+税)
■「ツール・ド・シネマ・ジャポン」割引あり
入会手数料 1,100円(1,000円+税)
年会費 3,300円(3,000円+税)
期間 1年(入会月から翌年同月末日まで)
■入会・更新時に半年有効の鑑賞券1枚進呈
■更新者は入会手数料不要
会員入場料(会員証の提示が必要です)
大人 1,100円
29歳以下、シニア(60歳以上)、障害者・療育手帳を提示の方 900円
★維持会員(1口 10万円 何口でも)常時募集中★★
※会費は(有)新潟市民映画館の運営費の一部として充当されます。
★年会費は振込でも受け付けています(公式サイトでクレジットカード支払可能)★
振込先 新潟・市民映画館鑑賞会
ゆうちょ銀行 (振)00650-2-10766
第四銀行 新潟駅前支店 (普)1188693
北越銀行 新潟東大通支店 (普)359417
新潟県労働金庫 東新潟支店 (普)1523870
新潟・市民映画館 シネ・ウインド
新潟市中央区八千代2-1-1万代シテイ第2駐車場ビル1F
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