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五郎のロマンチック歴史街道

加古川町寺家町 大将軍堂 時を超え、今なお地域の人々に崇められる、ミステリアスなお堂 大将軍堂

2020.10.21 08:28

『大将軍堂』は、寺家町字山之内に在って、大将軍は、暦塞の方位を掌る神(方位の守護神)で、首楞嚴経(しゅりょうごんきょう・八世紀における中国の書物)註に「上天大将軍は天帝(帝釈天・仏教を守護する神)を官する(掌る)将なり、三十三天(帝釈天が住む世界)に住し、各鬼神を領して(所有して)四方を鎮護(平安を護る)す」と見えている。

古来、この町の鬼門除として祭る。

近年は、大神宮神社と呼んでいる。

『兵庫県境外佛堂明細帳』(境外佛堂とは、寺院の境内以外に建てられたお堂のこと)によれば

1.本尊:大将軍4.境内地:四十九坪民有地

2.由緒:不明5.信徒:八十人

3.堂宇:梁行壹間桁行四尺三寸

明治十四年五月十九日建替許可~以上、『加古川市誌第1巻(310頁)』(S28年)より~



「小門口」信号より北へ約100m、県道加古川・小野線(18号線)の西に隣接する「小門口公会堂」裏に瀟洒なお堂がある。案内板には『大将軍堂』とあり、その名称からしても、以前より“不思議なお堂”という感が否めなかったが、今般、その管理者である、小門口町内会長・糟谷氏と、また当地でお堂について詳しいと言われる、近隣に住む川崎氏のお二人にご縁をいただき、様々なお話を伺う機会を得た。


糟谷氏には、まず、ご無理をお願いし、お堂内部を拝見させていただくことが出来たので、まず、その写真から、内部を紹介する。


大将軍の由来について


郷土のおはなしとうた(第1集)より


寺家町は、山陽街道の宿場町として栄えて、人馬の往来が激しかった。ちょうど、町筋の中ほどに『常住寺』というお寺があって、(現在は、加古川市福祉会館)庭に鹿児の松(初代)があり、その枝ぶりが、蛸の足のように伸びて、枝の先が町通りまで広がっていた、といいます。


ある年(秀吉時代?)加古川が氾濫して寺家町は大洪水に見舞われ、お寺のお堂も水浸しになりご本尊の阿弥陀像も流出してしまった時のことです。


水が引いて、町の人々もほっと一安心して外に出たところ、鹿児の松から光り輝くものがあるので近寄ってみると、『常住寺』のご本尊・阿弥陀様が松の枝に留まっておられたので、住職はじめ、檀徒一同大喜びで仏様の徳をたたえて、元の本堂に安置しました。しかし、加古川の洪水はたびたびあって、人々を困らせました。


「これは、阿弥陀様をお祀りする方角が悪いからだ」だと言い出しました。そこで、その鬼門除けのため、常住寺山という小高い丘に神様を祀っては、ということに衆議一致しましたが、さて、神様は何神様がよいか、いろいろ議論の末、一番偉い神様の『征夷大将軍』ということで話がまとまり、お祀りすることになったのです。


それ以来、『大将軍』と呼んで、町中の人々の尊敬を集め、大洪水の被害もなくなったとのことであります。



大将軍堂にまつわる謎と、その考察


前述の川崎氏のお話によると、やはり、小生と同じ疑問を持っており、彼は、長年にわたって気になっていた、とのことである。そして二度目の面会の時、『自身の考えではあるが』、と前置きされた上で、以下のように話された。


『大将軍堂は、鶴林寺の“北の守り”と、地元では言われているが、小門口が北の門なら他の方向を示す地名があっても不思議ではないが、それは全く見当たりません。

それに、祀られているのが、征夷大将軍の尊像ではなく、「増長天」であり、これは南方を護る神様です…。糟谷氏が記述されたように、昔、この地は、隣接する「常住寺」を中心としていました。そして、寺を基点として考え、常住寺の北東側が丑・虎の方角、すなわち「鬼門除け」となるので、ここに大将軍堂を建てたのではないかと考えても不思議ではありませんね…。


昔は、境内も広く、私たちも、野外映写会や、相撲大会などを楽しんだ記憶があります。この地域は、日岡神社の氏子地域であることから、現在は、毎年お正月に町内会役員が日岡神社に赴き、お祓いをうけており、また、7月14日~15日には、「大将軍堂祭り」を行い、お堂をきれいに清掃した上で、日岡神社からお越しいただいております。…



常夜燈について

現在は、日岡神社に返納されていますが、昭和の初め頃までは、奥病院の南側に大きな石造りの常夜燈があり、寺家町の人々が、交代で油を持って、火をともしていました。その常夜燈には、日岡神社の銘が彫ってありました。今でも、寺家町から日岡神社に行く旧道の河原村には、日岡神社の石灯籠があります。

大将軍の石灯籠(常夜燈)には、金毘羅宮と日岡神社の銘があり、江戸中期のものと思われます。献納年月が読み難くなっているのが残念です。

(常夜燈について:播磨石造遺品研究会会長三浦孝一氏による。