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私は「人間の亜種」になりたい

2020.10.20 10:23



「亜種っていいな」



私は期間限定メニューに

惹かれるときのような好奇心でそう思った。



亜種とは、

「種」をさらに細かくわけた分類のことで

住む地域の気候や、生息環境によって

カラダや習性に違いが見られる。


また、

種と亜種を分ける明確な基準はなく

種として独立させるほど大きくはないが、

変種とするには"違いの多い生物"に

つかわれる言葉だ。




同じ種だけど違っている。


そう思ったときに私は

「人種」のことが頭に浮かんだ。


私たちは人間という種であるが
「人種」は亜種なのか?




答えは

「人種は亜種ではない」


ホモサピエンス(人間)

という種の中の「地方種」で

地域による違いが人種だそう。


となれば

人間の亜種は存在しない。


しかし他の生き物のなかには

「亜種」として認められているものが

何百といる。




「私は"人間の亜種”になりたいな」

と思った。





◼︎「人間の亜種ってなんだろう?」


そういえば、

私は亜種から一種の抵抗を感じた。


種として決められた設計通りに

生きるのではなく

自分は自分だと個を主張している。



私が考える”人間の亜種”とは

「人間であることを受け入れないこと」

だと思った。



私は人間として労働するし、

公共施設や医療機関もありがたく

利用させていただいている。


こうして日本語を打つこともできる。


それは人間として教育を

受けさせていただいたゆえの結果だ。




しかし私は

自分の ”人間”というカテゴライズに

違和感を持っている。


これに深い意味はない。

要は、人と一緒が嫌ということ。


「人間」と一括りにまとめられ

「典型的なタイプ」「普通」

とされるのを避けているのだと思う。




だから周りの人から

「変わってるよね」
「宇宙人みたい」

と言われることに喜びを感じる。



”人と違っていたい”


それも、少しじゃなくて

思い切り違っていたい。


180°真反対(まはんたい)、

ウェルカムである。




そう思う私だから

「ハミ出した人間」=「人間の亜種」

になりたいのだと思った。



私は、

身体的特徴が変わっているわけでも

習性が違うわけでもないのだが


この

「一括りにされることへの抵抗」や

「個を主張する」ことだけは

「人間の亜種の特徴」として

身につけていたいと思っている。





自分を型に落とし込んでも

何もおもしろくない。




大きく大きく、


生きていかないか?





■後記

この文章を口頭で母に説明したら

母は「亜種」のことを

「アッシュ(ヘアスタイル)」と勘違い。


しばらくそのまま

話が進んでいました。



まるで

亜ンジャッ種さん(お笑い芸人)の

勘違いネタみたいに!




違うよ!!

アンジャッシュだよ!!

(大島さんのツッコミ)



違う違う違う!

児嶋だよ!!!