お金のこと
「お金」について
商売人である僕らにとって、お金は「自分たちの商品の対価」として「お客様」からいただくものであり
日々の生活は、そうして手にしたお金でやりくりをしていくことになる
毎日なんとか墜落すれすれの低空飛行で飛び続けていることは、お客様のおかげでありミラクル(奇跡)といえる
正直、お金はたくさん欲しい
勤め人だったとき、給料というものは組織に自分の時間を捧げた対価だと思っていた
もう一つ言えば、仕事や人間関係の我慢代金
商売人になってからは、お金の源になるのは自分の商品だけ
僕らの商品を買いたい!とわざわざガソリン代と自分の時間と行動のエネルギーを使って来てくれるお客様から頂くお金にはエネルギーがある
そのエネルギーに満ちたお金の対価として、僕らは僕らの誠意を精一杯込めた商品を心を込めてお渡ししている
先日聞いたpodcastである人が言っていた
「エネルギーのexchange」
商売とはそうありたいという理想がある
正直正直、お金は欲しい
好きなものが何でも買えるくらいたくさん欲しい
でも1000円というお金の価値は、僕とビルゲイツでは違うはずだし
さらに、パチンコで儲けた1000円と故郷の祖母からもらった1000円とでも違うはず
(違わないという人も多いでしょうが、僕にとっては違う)
そこにある1000円というお金は、それを手にして使う人の価値観で1円にも10000円にもなり得る
とスピリチュアルな方向に進んでしまったが(笑)
今の僕らにとってお金は十分ではないし、蓄えもなく、時々恐ろしくなることもあるけど
今の僕らにとっては実は十分なお金なのかもしれない
それは10年前、本当に何もない、ゼロどころかマイナスから始まったという経験があるから
今の全てを失っても、あのころ以上(ゼロ)だって思えるから
一番大事なのは
愛のこもった商品を作ってお客様に渡すこと
そうすればお客様からエネルギーのこもったお金をいただけること
そのエネルギーのこもったお金で生活させていただくことで、また愛を込めた商品を作れること
その循環
なのではないか
キレイごとのような気もするけれど、もし僕に卑しさがあって品質の悪い安い豆を使って同じ値段で販売してみたり、賞味期限を6か月とかにして酸化した豆をずっと売ったりしてしまったら、必ずその循環は切れてしまうことになるだろう
なぜなら楽園珈琲のお客様は、僕らがそういう商品を売らないことを知っているから
「ありがとう」という気持ちで手渡してくれるお金
「ありがとう」という気持ちで手渡せる商品
エネルギーのexchange
商売のお金とはそういうものだと思う
まぁでも、働かなくていいくらいお金は欲しいなぁ