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子どもも喫煙OKだった! 江戸時代の驚きのタバコ事情とは【銘柄やタバコ入れも】

2020.10.20 13:23

https://edo-g.com/blog/2016/09/cigarette.html  【 子どもも喫煙OKだった! 江戸時代の驚きのタバコ事情とは【銘柄やタバコ入れも】】 より

遊女が朱色の長煙管(きせる)で一服。なんとも色っぽい(『北廓全盛競 大文字屋内一墨』喜多川歌麿 画)

江戸時代前期は何度もタバコ禁止令が出された冷遇期

世界にタバコが広まったきっかけは、コロンブスの新大陸発見(1492年)だと言われています。日本にタバコが伝来した時期については諸説ありますが、16世紀後半には日本にあったとか。

日本で一番初めにタバコの種をポルトガル人宣教師から受け取ったのはこの方。

神君・徳川家康

家康が江戸に幕府を開く2年前の1601年(慶長6年)、スペインのフランシスコ会の宣教師ヘロニモ・デ・ヘススが家康に謁見し、タバコの種を献上したのが記録に残る最古のものといわれています。この時、タバコを原料に加えた薬も献上されたんだとか。

それからほどなく、国内でもタバコの栽培がおこなわれるようになり、江戸時代初期の慶長年間(1596~1615年)には喫煙の風習も広まり始めたそう。

しかし、これに対し、幕府が「待った」をかけ、タバコ禁止令を何度も出したのです。

喫煙もダメ、タバコを栽培するのもダメ、売買もダメ。売買がバレた場合、家や財産が没収されるなんて厳しい罰則もあったとか。

なぜ、幕府はタバコを禁じたのか?その理由は次の通り。

タバコの火による火災の増加

アウトロー集団「かぶき者」への統制

年貢米の確保

などなど。順番に説明します。

タバコ禁止の理由

1.火災対策

江戸時代の建築物は木と紙が基本ですのでとにかく火に弱い。

特に江戸は火事が多く、幕府の悩みの種だったので、火災の原因となるタバコの火は当然ながら取り締まり対象になりました。

江戸時代中期のある火事では、火災の原因が女性のくわえタバコによる失火だと判明すると、その女性は火あぶりの刑に処せられたんだとか。

タバコが原因で死刑になってしまうなんて、現代では考えられませんね。

ちなみに、江戸城内も全面禁煙だったそう。

ただし、4代将軍・徳川家綱の時に緩和され、江戸城内には喫煙エリアができたそうです。今も昔も愛煙家は肩身が狭いですね。

2.「かぶき者」への統制

これは江戸時代初期ならではの問題。

当時、奇抜なファッションに身を包み、徒党を組んで乱暴狼藉を働くアウトロー集団「かぶき者(傾奇者)」が江戸や京などの都市部にいました。

珍奇を好んだ彼らは南蛮渡来のタバコも好み、グループのシンボルにしたり、当時の喫煙道具である煙管(きせる)もやたらめったらデッカくし、それを武器に喧嘩をしたりしたそう。

反社会的集団として「かぶき者」の取り締まりをしていた幕府にとって、彼らがシンボルにしていたタバコも取り締まり対象になったわけです。

3.年貢米の確保

ご存知のように江戸時代の納税の基本は米。なので米の収穫量は幕府にとっても重要でした。

しかし、喫煙の風習が広まり始めると農家もタバコ栽培に目をつけ、タバコへの転作をするようになりました。「このままでは年貢米の確保が危ぶまれる!」と幕府は危機感を募らせ、タバコ禁止令を出したのです。

初代将軍・家康、2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の頃まではタバコに関する幕府の態度は厳しく何度も禁止令が出されました。

一説に徳川家光の時には「刀狩り」ならぬ「煙管(きせる)狩り」が行われ、日本橋のたもとに設置された煙管捨て場には没収された煙管が山のように集まったとか。

しかし、禁じられれば禁じられるほどやりたくなるのが人の常。タバコ人気は衰えず、禁止令もぜんぜん守られずにやがて形骸化してしまいます。

そして、喫煙の風習も時代とともにますます広まり、老若男女問わずタバコを喫むようになりました。

江戸時代の驚きの喫煙率!

江戸時代後期に江戸でタバコ屋を営んでいた文筆家・三河屋弥平次は自著のなかで「喫煙しないのは100人に2~3人」と推定しているんだとか。

んん??これが本当なら喫煙率 97%以上!?

ただ、素人の女性はほとんど喫煙しなかったというし、全体統計としては少し信ぴょう性に欠けますが、まあ、それほどまでに喫煙する人が多かったというのは確かなようです。

ちなみに、「未成年者喫煙禁止法」が施行されたのは1900年(明治33年)のこと。

なので、江戸時代〜幕末〜明治中頃までは子どもがプカプカ喫煙しても法律的には問題なしでした。

とはいえ、金銭面を考えるとそんなに喫煙していたとは思えませんが……。

日本独自に進化した刻みタバコ。お求めは「タバコ屋」で

現在「タバコ」といえば紙巻タバコが主流ですが、江戸時代の「タバコ」は煙管(きせる)で「刻みタバコ」を喫すスタイルのみ。

当時の海外では、紙巻タバコのほか、パイプや葉巻などさまざまな喫煙スタイルが誕生しましたが、日本では260年以上も続いた江戸時代にあって、喫煙スタイルが変わることはなかったようです。

喫煙アイテムの煙管(きせる)についてはあとでくわしくお話しするとして、まずは刻みタバコとタバコ屋のお話しを。

喫煙の風習が広がり始めた当初は、喫煙者が店で買ってきた葉タバコを自分で刻んでいましたが、4代将軍・家綱の頃になると町中に刻みタバコを売るタバコ屋が登場し、瞬く間に数を増やしていきました。

刻んだ葉タバコを煙管で吸う、という喫煙スタイルはアジア諸国でも見られるのですが、日本では刻みタバコの加工方法に度肝を抜く進化が起きました。

なにかというと、とにかく刻み方が細かい。

最初は荒かった刻み方も時代とともにどんどん細かくなり、最終的に「こすり」と呼ばれるものすごく細かい細刻みタバコが登場しました。

また細く刻めば刻むほど味わいがマイルドになるのだから、これは日本の職人魂に火がつく。「こすり」の細かさに至っては、なんと毛髪レベル。

この、諸外国からしたら呆れるほどの技術は、時代が下りタバコの需要が増すなかで、生産力アップができる器械刻みに取って代わられることになります。

ちなみに、刻みタバコの値段(1800年頃)は、1匁(約3.75㎏)=38文(約760円)だったそう。現在のタバコが1パッケージで400円ちょっとなので、リーズナブル。

余談ですが、江戸時代の武士のなかには給料だけでは食べていけず、内職に励む者もたくさんいました。というか、下級武士はほとんどもれなく内職していました。

武士の内職というと、傘張りや朝顔の育成が定番でしたが、刻みタバコの製造も大事な武士の内職のひとつだったそうです。。

江戸のタバコ屋は、看板ではなく障子に葉タバコの絵を大きく描き、京や大坂のタバコ屋は菱形の板1枚ずつに「た」「ば」「こ」と書いたものをつなげて店先にぶら下げたんだとか。地域によって看板も色々だったようです。

人気銘柄も登場!なかには売れっ子遊女のプライベートブランドも!?

現在、タバコの銘柄にはマイルドセブンやキャスターなど様々な種類がありますが、江戸時代の刻みタバコにも産地によって銘柄があり、人気ブランドもありました。

たとえば江戸で人気があったのは、大隅(現・鹿児島県)の「国分(こくぶ)」、摂津(現・大阪府北中部と兵庫県南部)の「服部(はっとり)」、越後(現・新潟県)の「大鹿」、甲州(現・山梨県)の「生坂(いくさか)」などなど。

特に国分タバコは最高級品として人気を集め、産地を偽装したニセモノも出回ったとか。

利きタバコの様子(『国分煙草七種の評并讃』部分 春木南溟 画)

タバコの産地を当てる「利きタバコ」なんていう遊びもありました(『国分煙草七種の評并讃(こくぶタバコななしゅのひょうならびにさん)』部分 春木南溟 画)

産地によってタバコは味が異なるため、お土産やプレゼントとしても重宝されました。

そんなタバコの銘柄のなかには、売れっ子遊女が自分好みにブレンドしたプライベートブランドもあったそう。ある遊女が刻みタバコを包んだ紙に自分の名前を書いて馴染みの客に渡したそうなのですが、もらったお客はさぞかしうれしかったことでしょうね。さすが売れっ子遊女、やることが粋です。

煙管での喫煙スタイルは「かっこよさ」にこだわる

前述したように江戸時代の喫煙スタイルは「煙管に刻みタバコ」なわけですが、具体的にどのような手順でタバコを吸っていたのかご紹介。

1.刻みタバコを丸める まずは刻みタバコを適量手に取り、丸めます。

2.火皿に詰める 煙管の先端にある火皿に丸めた刻みタバコを乗せる感じで詰めます。

3.着火 火種に煙管の先端を近づけて刻みタバコに火をつけます。

4.ゆっくり喫う 勢いよく吸い込んではいけません。イメージとしては熱い飲み物を飲むときのように、そっとすする感じでゆっくり喫うのがポイント。

5.灰を落とす 現在の紙巻きタバコのように数分間吸い続けるものではなく、3~4口でおしまい。タバコが灰になったら煙管を逆さまにして、灰吹き(今の灰皿)のふちにコーンと当てて灰を落とします。

と、まぁ、こんな感じです。

紙巻タバコより匂いも気にならず、タバコ本来の味が楽しめるそうです。

ちなみに、“粋”を大事にした江戸っ子たちは喫煙の際にも「いかに粋にタバコを喫うか」にこだわったそうで、ポーズの研究にも余念がなかったとか。

喫煙に欠かせないタバコセットとは?

さて一服しようとなった場合、屋内の場合なら用意するのが「タバコ盆」という喫煙セット。このタバコ盆は喫煙に必要なアイテムをすべて収納したとっても便利なすぐれもの。

最初は家にあるお盆で代用していたそうですが、次第に機能的にも装飾的にもグレードアップしていき、大名や豪商などはとても豪華なものを使っていました。

お盆に乗っているのは――煙管(手前)火入れ(左奥)タバコ入れ(中央)灰吹き(右奥)

です。これが喫煙に欠かせない基本アイテム4点セットになります。

さて、喫煙アイテムのうち、火入れは現代のライターの役割を果たしたもので、なかに炭や炭の粉を丸めた「たどん」を入れて、これに火をつけて着火具にしました。火は数時間キープできたそうで、火入れがあればいつでも好きな時に喫煙できました。

タバコ入れは刻みタバコの収納ケースで、灰吹きは今でいうところの灰皿です。

「火皿」に刻みタバコを詰め、吸い口に口をあて喫煙します。

雁首と吸い口が金属製で、間をつなぐ羅宇(らお)が竹でできた「羅宇煙管」というものが多かったようです。

煙管はヤニがつくとタバコの味が落ちるのでこまめな手入れが必要でした。手入れの際には、紙をよったコヨリなどを管に通して掃除したそうです。

これはなかなか面倒。

ということで、喫煙の習慣が広まると羅宇屋という商売も登場します。

羅宇屋は劣化してしまった羅宇の交換や、ヤニ取りなどをしてくれる商売。交換用の羅宇や掃除グッズを携帯しています。

「らおや~……きせるッ!」と、呼ばわりながら町中を歩き、声がかかると軒先で作業しました。

煙管の種類には「羅宇煙管」のほかにも材質によって、金や銀、鉄といった金属で全体ができた「延べ煙管(のべきせる)」や、ガラス製の煙管、はたまた石や陶器製のちょっと変わった煙管もありました。

煙管はそれを持つ人のシンボル

たとえば、遊女。

喫煙をする遊女の姿が数多くの浮世絵にも描かれているように、タバコと遊女の縁は切っても切れぬほど深いもの。

そんな遊女たちが愛用したのが朱塗の羅宇が艶めかしい長い煙管。ランクの高い遊女ほど長い煙管を持つことができたんだそう。

遊郭での風習に吸いつけタバコというものがあります。

張見世(はりみせ)に並びお客を待つ遊女は、気に入った男性客を見つけると格子越しに自分が吸った煙管を男性の方に差し出します。

これを男性が受け取ればカップル成立、男性はその遊女の客として店に入る、というわけです。遊女流の“逆ナン”。なんとも色っぽい。

イケメンが店の前を通るとあちこちから煙管が差し出されたんだとか。

ほか、尾張藩の7代藩主の徳川宗春の煙管はかなりユニーク。

宗春は、“暴れん坊将軍”こと8代将軍・徳川吉宗のライバルとして有名なお殿様。

吉宗の質素倹約政策に対して、「経済を活性化させるには消費が一番」という政策を打ち出し名古屋バブルをつくりだした人物です。

宗春は非常に変わり者のお殿様で、行動も自由なら、ファッションも奇抜。ド派手な着物に、頭にはヘンテコな笠、めちゃくちゃ長い煙管を手に牛にまたがり市中を歩いたというから普通じゃありません。

そんな宗春の煙管はなんと長さ約3.6m(2間)だったとか。ホントに喫っていたとしたら肺活量半端ない。

実用品とは思えませんが、これは締め付け政策を打ち出す時の将軍・徳川吉宗に対する反骨精神のシンボルだったといわれています。

一方、お金持ちのお坊ちゃんや遊びを極めた「通人(つうじん)」などは全部が銀でできたゴージャスな銀煙管をステータスシンボルにしたんだそう。

全部銀ですからね、お値段も相当なものだったでしょうから、そりゃシンボルになります。

余談ですが、「ヤニさがる」という言葉があります。意味は「気取って構える」「得意げになってニヤニヤする」など。主に男性に対して使われる言葉で、あんまりいい意味ではありません。

この「ヤニさがる」は江戸時代のカッコつけ男性の喫煙スタイルから生まれた言葉で、こんな風にカッコつけて煙管を喫う姿に由来するのだそう。

口にくわえた煙管の雁首をこれでもかと上げています。めちゃくちゃカッコつけています。でも、これじゃあヤニが口のほうに下がってきてしまいます。で、カッコつけ男は「ヤニさがり」なわけです。

携帯用喫煙セット「タバコ入れ」がオシャレに進化しすぎ

火災の原因となることから屋外での喫煙には今以上に注意が必要でしたが、仕事のひと休みに一服、旅先で一服、行楽の途中での一服……などはよくあったようです。

旅路の途中、夜の一服(『木曾街道六拾九次之内 軽井沢』歌川広重 画)

旅路の途中、夜の一服。たき火から直接火を煙管に移しているのがワイルド(『木曾街道六拾九次之内 軽井沢』歌川広重 画)

そんな屋外での喫煙で活躍したのが喫煙アイテムがコンパクトにセットになったタバコ入れでした。

タバコ入れの代表的なものはこんな感じ。

上から順に部品の説明をしますと、帯に挟んでタバコ入れが落ちないようにする「根付(ねつけ)」、煙管を入れる「煙管筒」、刻みタバコを入れる「タバコ袋」となっており、これらが鎖でひとまとめにされています。

「根付」は実用的でシンプルなものからスタートし、やがて装飾性とウイットに富んだユニークなものが数多くつくられ、コレクターを生みました。そんな「根付の世界」についてはまた別の機会に。

煙管がステータスシンボルであったように、タバコ入れも持ち主が個性を発揮するファッションアイテムとして進化し、セレブな人々はお金をかけた凝ったオンリーワンの「マイタバコ入れ」をしつらえました。

季節やシーン別に何個も持ったといいますからシャレてます。一説に高額なタバコ入れは高級車が買えるくらいの値段がしたとか。すごい。

では、個性的で美しいタバコ入れをいくつかご紹介しましょう。

金唐革という革を使用したタバコ入れ

こちらは「金唐革(きんからかわ)」というオランダから輸入した貴重な革を使用したタバコ入れ。海外に憧れるセレブが持っていたんでしょうか。

木製のタバコ入れ(別名「とんこつタバコ入れ」)

これは木製のタバコ入れ(別名「とんこつタバコ入れ」)のひとつで、刻みタバコを入れる部分がダルマになっており、なんと顔が蓋。

煙管筒を帯に差すと、ちょうどダルマが落っこちないよう帯にしがみついているように見えるというユニークな一品です。

熊の手のタバコ入れ

ユニークさでいえばこれがナンバーワンでしょう。なんと熊の手のタバコ入れです。

熊の手の内側に木製の容器が入っていて、ここに刻みタバコが収納できます。これは目立つこと間違いなし。一体、どんな人が腰にぶら下げていたのか気になります。

女性用のタバコ入れ

女性用のタバコ入れは腰にぶら下げるのではなく、懐に入れるタイプが主流。こちらのタバコ入れのようにインドなどから輸入した生地でつくられたものが多いのだとか。今見てもステキですね~。

高級な輸入生地を使用した女性用タバコ入れ

こちらも高級な輸入生地を使用した女性用タバコ入れ。深い紫色のビロード生地に艶やかな秋の草花が刺繍されたとても美しい一品です。セレブのご婦人が秋になると使ったのでしょうか。

江戸時代の携帯用喫煙セットには、持ち主と職人のこだわりが詰まっていますね。

ちょっとメンドクサイ? 江戸時代の喫煙の作法

江戸時代前期には「茶道」や「華道」と同じように「タバコ道」ともいえる喫煙に関する作法が上流階級の人々の間で流行ったそうです。

それはたとえば…。

他家を訪問した際、使用人に案内された部屋に入ると席の前にはタバコ盆。

「うむ、これはありがたい。では、お心遣いに感謝して、亭主が現れるまで一服しながら待つことにしよう」と、煙管を手に取る。

これはNG。

手に取ってはいけない。

ややあって、亭主が現れひと通りのあいさつもすみ、「さ、タバコをどうぞ」と亭主に勧められたので、「それでは」と、ようやくタバコを喫う。

これもNG。

喫ってはいけない。「なんだい、わかってないね、この人は」と、なってしまう。

必ず遠慮します。

主人「さ、タバコをどうぞ」

客「いえいえ、まずはご主人から」

このやりとりを2~3度くりかえしてのち、ようやく客は煙管を手に取り一服。

そして、必ず褒める。

「これはまたよいタバコですなぁ」

これも重要。このひと言を忘れると、亭主にやっぱり呆れられてしまう。

正直面倒ですが、これがタバコ道における「遠慮の美学」。

とはいってもやっぱり江戸時代の人にとってもメンドクサかったようで、この作法もやがて消えてしまったようです。

愛煙家VS嫌煙家~400年以上続く終わりなき論争~

嫌煙の動きが強まる現代でも、嫌煙家と愛煙家のバトルは決着を見ませんが、喫煙率が今より圧倒的に高かったといわれる江戸時代にもやっぱり今と同じく、愛煙家と嫌煙家のバトルがあったようです。

タバコの煙に顔をしかめる妖怪(『和漢百物語』より「小野川喜三郎」月岡芳年 画)

タバコの煙に顔をしかめる妖怪。もしかしたらタバコ嫌い?(『和漢百物語』より「小野川喜三郎」月岡芳年 画)

では、さっそくではありますが、

江戸時代の嫌煙家VS愛煙家ファイッ!!

嫌煙家の主張

効能なくて害ばかり、健康に悪い(江戸時代のベストセラー健康本『養生訓』にもタバコの害が書かれている)

大切な財産を煙にするなんてバカバカしい。お金のムダ

喫煙している時間もムダ

愛煙家は「タバコはコミュニケーションツール」なんて言うが、タバコが登場する以前だってコミュニケーションできていた

タバコの火が原因で大事な衣服や家、はてには命を落とすことだってある

くわえ煙管、かっこ悪い

愛煙家の主張

嫌煙家は「タバコは毒」と言うが、タバコが原因の病気って具体的になに?

お金がもったいないと言うが、タバコの喫いすぎで破産した人なんて聞いたことない

嫌煙家はタバコを喫ったこともないのに嫌悪するから所詮は空論

ひとり旅の際、タバコの香りが野犬やオオカミ除けになることだってある

食後の一服はなにものにも代えがたい

仕事や読書の休憩時間に一服するタバコの美味さよ

江戸時代に決着はつかず、現代においても嫌煙家VS愛煙家の論争は止むことがありません。

今と異なるスタイルでの喫煙文化だった江戸時代ですが、変わらぬ部分もあったり、とっても興味深いですね。