あるがままに受け止める
Facebook・清水 友邦さん投稿記事·
風邪を引いて体に不快な症状が現れるとそのことばかりを考えてしまいます。
望まない状況に遭遇すると無意識の層から隠されて抑圧されていた情動が不安として表出してきます。
自我は情動を受け入れずに拒否しようとします。
過去の経験から記憶が引き出されているのです。
それを感じないようにするため、思考を働かせて思考が作り出す物語の中に逃げ込んでしまいます。
不安に襲われると今ここから離れて思考が忙しくぐるぐる廻り始めます。
「このままでは仕事が出来なくなってしまう」
「痛みを取るには痛め止めを飲むしかない」
そうして大抵の方は、その症状をとろうと試みて薬を飲みます。
体は自分で修復する力を持っているので治癒力を低下させるようなことをやめてしまえば薬を飲まなくとも風邪は自然に直ってしまいます。
頭を使い過ぎても胃腸が疲れても、疲労が蓄積されても風邪をひきます。
痛み止めの薬は症状を緩和させているだけなので症状が現れている本当の原因が取り除かれているわけではありません。
痛みがあるからといって、湧き上がる情動を無視したり、再び抑圧してしまうと心と体の分離を促進してしまいます。
体が鈍くなると体が発する危険信号がわからなくなり、原因が起き去りにされたままになり、かえって深刻な事態を招いてしまいます。
体は必要があって症状を起こしているので、もし全くサインを送らなかったならば体に何が起きているのかわかりません。
火事が起きても火災報知器がならなかったならば逃げ遅れて焼け死んでしまうでしょう。
痛みについて分析したり、考えても痛みの原因が消えるわけではありません。
そして苦しみを増大させているのは痛みではなくて痛みに伴う恐怖、不安です。
思考は未来を予測できないことに不安を感じます。
このまま痛みが増してしまったらどうなるだろう。
耐えられない、このままだとダメになってしまうのではないかと恐れてしまうのです。
不快な症状を思考や薬で取り去ろうとするのではなく、今ここに意識を向けてその痛みが起きている事実をあるがままに受け止めます。
痛みにレッテルをはったり言語化せずに体に現れている感覚として受け止めます。
そうすると症状は常に変化しているということがわかります。
痛みの感覚を起こしているのは体であって私ではありません。
思考は未来を心配して今ここにいません。
この痛みを消え去って欲しいと思うと今ここから離れてしまいます。
体の感覚、恐怖や心配、頭を駆け巡る思考をあるがままに受け止めると沈黙が現れます。
すべての出来事は思考の理解を超えてただ自然に起きています。
頭の中に浮かぶ考えを自分と信じていますが感情や思考に気がついている意識が本当の自分です。
思考が現れては消えていく沈黙の空間が本当の自分なのです。