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Eimi企画  それぞれの虹

縄文からの風

2020.10.21 04:36


『縄文からの風』

         蘇芳 環





「ひとくちに縄文時代と言いましても、草創期から、早期、前期、中期、後期、そして晩期まで一万年以上もありまして、近世や近代と同じような感覚では捕えられないのであります」


 夏の真っ盛り、村の基幹集落センターの中会議室は百名近くの人でにぎわっていた。


 平日の昼日なかに、考古学の講義を受けようなどというのは余程の暇人か、或いは相当なオタクか変わり者かに違いないと信じていただけに、その日、中会議室を訪れた桜井香織の驚きは大変なものだった。


 香織は、友人の村瀬洋子に耳打ちした。

「ちょっと、どうなってんの。大見村中の人間が総出で来てるんじゃないの」

 洋子は笑って拳を上げて、香織の頭を打つ真似をした。


 大見村は人口四千人弱の過疎村で、その七十パーセントの土地が原野で覆われ、九十パーセントの家が農業を営んでいる。

 大見村出身で、同じ村内の幼ななじみと結婚した友人の洋子は、兼業農家の主婦として、また二児の母親として逞しく生活していた。

 その洋子が歴史に興味を持ち、村の郷土史会に入会していたとは、大学時代の親友である香織には青天の霹靂だった。

 香織は学生時代の気分で一泊二日の滞在予定で洋子の家にやって来て、ちょうど彼女のこの郷土史会の講義の日と重なってしまったのだ。

 何も言わない洋子も洋子だ、前もってそう言ってくれれば日を改めたのに、と、香織に不満が無い訳ではない。

 しかし"大見村遺跡"と聞くと、香織としても、わずかながら、胸ときめく思いがない訳でもなかった。

 彼女は講義に耳を傾けながらも、もう七年も前の学生時代の頃に心を馳せた。


 大学一年目のコンパで知り合ったのは、考古学を研究する大学院生の林雄三だった。

 雄三は、低く通る声で静かに話す。

 理知的で大人っぽい分囲気に一目惚れした香織は、積極的に迫っていった。

 電話番号を聞き出しデートに誘い、キャンパスで待ち伏せし、弁当を作り、手編みのセーターをプレゼントした。

 香織の熱烈な行動に、最初こそすげなかった雄三も、やがて心寄せるようになる。

 二人が青春を謳歌し、互いを好ましく思い、楽しい語らいの日々を過ごすようになるのに、たいした時間は掛からなかった。

 だけど、あっという間に終ってしまった。


 雄三は研究熱心で教授の評価も高く、気がつくと助教授の助手という形でいつも奔走するようになっていた。

 彼は精力的に情報を入手してあちらこちらの発掘隊に加わり、目を見張るような活躍で研究グループに貢献した。

 そのため、つきあいは悪くなり、デートはキャンセルされ、電話は途切れた。

 彼は、突然何日も行方知れずとなり、また突然戻って来る。

 何かの調査隊に参加しているらしいと、いつも噂で聞くばかりの香織は苛立っていき、ついには刺々しい言葉をぶっつけるようになった。

「私と発掘とどっちが大事なの」

 だが雄三はその質問に答える事はなかった。


 彼は翌日から何も言わず調査隊に加わり、一週間後に香織の前に現われた時には、何事もなかったかのように考古学について熱っぼく語った。


「人間の文明は何度も繰り返している。この現代だって、いつかまた、人の手で発掘される時期が来る。恒久なる時間の前に、人は手も足も出ない。だから、そういう遺跡の調査に僕は熱い思いを感じずにはいられないんだ」

 そして黒曜石の矢尻を見せて続けた。

「僕の故郷は大見村といって、福岡県の端っこにあるんだ。中学生の頃、この矢尻を見つけて以来、この道にのめり込んでしまった。これがその記念すべき第一号だ」

「香織にあげる」

 香織には決定打だった。

  雄三は何よりも誰よりも、 研究が大切なのだと思い知らされた。

 自分のために時間を割いて欲しいとか、もっと一緒に居たいとか、そんなわがままは彼には通用しないのだと知らされ、それ以来、香識は雄三に電話をしなくなった


 やがて彼は長期の発掘隊に加わり、東北地方へ向かったのだと風の噂で聞いたのが最後だった。



 あれからもう七年が過ぎてしまった。

 親友の洋子が大見村出身というのは本当に奇遇だった


「今回のこの東友枝曾根遺跡というのは、西日本最大の遺跡として、考古学の研究上、大変貴重な文化財なんです」

 講師の声は中会議室に響き渡っている。

 今回は村内の、しかもこの集落センターのすぐ近くで発掘している遺跡についての講義らしく、村人達の熱気で会護室内は盛り上がっていた。


 講義後、すぐに洋子は香織に言った。

「見に行くでしょ。東友枝曽根遺跡。このすぐ近くなのよ。貴重な文化財よ」

 香織は苦笑した。

 ――なんで私が……。

 だが言葉は出てこなかった。

 香織のすぐ後ろに、たった今講義を終えた村の講師がニコニコと笑いかけながら立っていたのだ。

「そうそ、連れていってあげましょう。すぐそこですから。貴重です。西日本一の規模です。ただ、“縄文"は売り物にはなりません。残念ですけど、何せ原始の文化ですから。猿の脳ミソを食ったり、猪を食ったり、とか紹介しても観光客は寄って来ませんからね」

 講師はカラカラと笑った。

「矢尻なんか、大見村はゴロゴロしてるんでしょ」

 香織は顔を上げた。


「だけど黒曜石の矢尻は貴重です。それが出ると文化庁の方が放っておきません。必ず遺跡が出ますから、我々も一つの目安として考えているものなんです」


 香織は眉を寄せ、洋子へと目を移した。

 洋子は微笑みながら領いている。

「じゃあ、黒曜石の矢尻は考古学上、大切な物なんですね」

「そうです。とでも大切です」

 二人の会話のイントネーションも気になり始めた。

 香織は交互に二人の顔を見比べた。

「僕だったら、人生の最初に発見した黒曜石の矢尻は決して人には渡せません。それがどんなに好きな相手でも」

「そうそう、そうでしょうね」

「林先輩は、それを渡した昔の恋人が忘れられず、今でもずっと独身なんです。きっと縄文時代ばかりを掘り過ぎて、情熱的で純粋な原始人みたいになっちゃってるんでしょうね。桜井香織さん、そう思いませんか」

 香織は確信した。

 ――ハメられた!


「言ったら来なかったでしょ」

 洋子は笑って、その講師の後ろに隠れた。

「僕、洋子の従兄です。はじめまして。一緒に現場に行きましょう。林雄三は大学院の研究室の先輩なんです。林先輩、今日、午後から来ますよ。僕はいつも先輩からあなたの事を聞かされてきました。そしたら偶然にもあなたは洋子の親友だというじゃないですか」

 にこにこと嬉しそうだ。

 信じられない。

「小さな村ですからね、講義の日程の発表なんて十日前でも構わないんです。それで是非あなたに来て頂きたかった」

 香織は目を丸くした。

「わざわざわたしに合わせたんですか?」

「そうよ、香織。あたし、もう黙っていられなくて……」

「たかが恋愛でも、きちんと話し合った方がいいと思います。お互い七年間も引き摺っているのですから」


 ……お互い?

 風は熱く遺跡の上を吹いている。


 香織は、笑う二人の顔が、情熱的な縄文人と重なっていくような気がした。



                                    (了)