バロックの時代21-内面まで描く教皇肖像画
2020.10.22 11:09
ウェストファリア条約の1648年はスペインの敗北の年である。その年ヴェラスケスは第二回目のイタリア遊学を行った。庇護者オリバーレスをなくし、スペインも大規模建設の余裕はなくなり、作品数も少なくなったが、国王フェリペ4世の支持は失わなかった。
翌49年1月に、フェリペ4世は、オーストリアに嫁いだ妹の娘マリアナ・デ・アウストリアと再婚、その出迎えの船にヴェラスケスも同行した。この船団はかなり豪華で、オーストリアとの絆を深めようという国王の意志が表れている。その後画家はミラノで「最後の晩餐」を見たという。
そして50年、ローマで描いたのが傑作肖像画「教皇インノケンティウス10世」である。この教皇は44年から在位していたが、こちらもウェストファリア条約で打撃を被り、反対の回勅を出したが、各国からまるで無視された。イギリスでは清教徒革命が始まっていた。
ヴェラスケスはこの教皇の複雑な立場や猜疑心深い性格、一方で宗教的情熱を見事に表現している。この絵がかけられると、側近達が、本人が居ると見間違ったという逸話もある。教皇自身はこの絵に満足したらしい。1953年フランシス・ベーコンがこの絵の本質を描いた絵画を発表しても話題となった。
下左はヴェラスケス作「教皇インノケンティウス10世」右はフランシス・ベーコン