Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

Site Hiroyuki Tateyama

想い出づくり

2016.08.06 09:40

 タイトルは違いますが、7月13日に投稿した『ある日の出来事(追悼 永六輔さん)』の続編です。

 有楽町の朝日ホールで、中止になった芝居の代わりに、急遽、舞台版『徹子の部屋』を催したというお話。永六輔さん以外のゲストは、奥田瑛二さん、久米宏さん、春風亭小朝さん、とんねんるずさん、板東英二さん、山田邦子さんでした。(50音順)

 チケットの管理や、会場との折衝に加え、朝日ホールのある有楽町マリオンに到着したゲストを、エレベーターホールへ出迎え、さらに楽屋に案内するのが、私の仕事。

 当時は、本多芸能という会場警備の会社があり、何かというと、そこに警備や人員整理を依頼していました。この日は、いつにも増して、警備を強化。久米宏さんがゲストだったからです。

 黒柳徹子さんは、1978年から1989年まで、TBSで放送されていた人気歌謡番組『ザ・ベストテン』の司会を務めていました。その放送開始から1985年までのパートナーが久米宏さんです。お二人の丁々発止のやり取りが名物の、高視聴率番組でした。

 ただ、舞台版『徹子の部屋』を催したこの頃、久米宏さんは、TBSを退社、『ザ・ベストテン』の司会もお辞めになり、テレビ朝日の『ニュースステーション』のキャスターを務めていらっしゃいました。ニュースキャスターへの脅迫電話は当時も珍しいことではなく、厳重な警備は、それ故、でありました。

 『ザ・ベストテン』での楽しい会話は、実は99パーセント台本通りで、等々、早口でまくしたてるお二人のトークに、会場は大いに沸きました。本当は芝居を見るつもりでチケットを購入されたお客様が、満足した表情で、会場を後にされるのを見て、安堵しました。

 駐車場までお送りするエレベーターの中で、すらっと長身の久米さんに笑顔で尋ねられました。

久米さん「どうでしたか~、お客様の反応は?」

私「はい、結構、盛り上がりました」(ありゃりゃ、結構って…すごく盛り上がりましたって言いたかったのに! 言い間違えたぁ。どうしよう!)

 と、動揺しましたが、すぐに訂正できず、後の祭り。

 エレベーターには、久米さんの奥様もご一緒されていましたが、1階までの異常に長い沈黙を、未だに覚えています。

 若いうちは、大いに恥を掻くのが良いでしょう。

*写真は1987年頃。