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【65番】藤原定家お気に入りの恋多き女流歌人!!相模!!

2020.10.24 09:20

ジャンル:恋
時代:平安時代 
超要約:噂の濡袖女

歌の意味(子ども向け):泣いてばかりなのに、さらに噂になってしまうなんて。
歌の意味:恨んで恨む気力もなくなり、泣き続けて涙を乾かすひまもない着物の袖さえ(朽ちてぼろぼろになるのが)惜しいのに、さらにこの恋のおかげで悪い噂を立てられ、朽ちていくだろう私の評判が惜しいのです。


☟この首に関するクイズ

Q 作者の相模は、百人一首の撰者、藤原定家に好かれていた。〇か✖か? 

 A 〇
 百人一首の撰者・藤原定家は相模の恋歌が好きで、定家撰の歌集には彼女の歌が多く採用されている。

👇語呂合わせ(覚え方)


 この歌は失恋の歌で、振り返ってくれない男を恨んで恨む気力もなくすほど疲れた女性の歌になっています。泣いて袖が涙で濡れ続けてぼろぼろになるのさえ惜しいのに、「恋に破れて毎日泣いているんだそうだ」と噂されて、さらに私の評判まで落ちるなんて、なんと悔しいのでしょう、と歌は語っています。 

 1051年、内裏根合(だいりねあわせ)という歌合(うたあわせ)で、右近少将源経俊の歌に勝ったもので、終わりゆく恋に未練をもつ女ごころが伝わってくるような歌です。

 「恨みわび」は「恨む気力も失って」、「恋に朽ちなむ」は「恋に朽ちてしまいそう」、「名」は「評判」という意味です。

 相模は、はじめ乙侍従(おとじじゅう)と呼ばれていましたが、大江公資(おおえのきみより)と結婚して、夫の任国にちなんで、相模と呼ばれるようになりました。しかし、後に離婚。藤原定頼(64番)をはじめ、次々と恋をし、恋多き女性として有名です。

 歌論集「八雲御抄(やくもみしょう)」では赤染衛門、紫式部と並ぶ女流歌人として高く評価されています。生没年共に不詳です。

 百人一首の撰者・藤原定家は相模の恋歌が好きで、定家撰の歌集には彼女の歌が多く採用されています。

 順徳院(第84代天皇)は、中期の女流歌人として、赤染衛門・紫式部・和泉式部と並んで相模を挙げ、「上古にはぢぬ歌人」の一人として称賛しています。