「共同幻想論」(吉本隆明著)
「『エンペラー・ヒロヒト』はどうしている?」
ゆったりとウエーブした光沢の髪、はかなげに透き徹る白い肌。
右肩先からたおやかに伸ばされた側の女の白い指先をゆったりと包み込むその手指。
昭和天皇崩御の少し前、
かの大戦の連合国の一員コロンビア首都ボゴタからの遊学だという、物憂げな青年の淡いブルーの瞳にはかすかな侮蔑と奥まった畏怖とが幾重にも織り交ざり浮かんでいた。
「もうひとつ西欧の国家概念でわたしを驚かせたことがある。それは国家が眼に視えない幻想だというそのことである。わたしたちの通念では国家は眼にみえる政府機関を中心において、ピラミッドのように国土を限ったり、国境を接したりして眼の前にあるものである。けれど政府機関を中心とする政治制度の具体的な形、それを動かしている官吏は、ただ国家の機能的な存在であり、国家の本質ではない。もとをただせば国家は、一定の集団をつくっていた人間の観念が、しだいに析離(アイソレーション)していった共同性であり、眼にみえる政府機関や建物や政府機関の人間や法律の条文などではない。」
「どうしてわたしたちは国家という概念に、同胞とか血のつながりのある親和感とか、おなじ顔立ちや皮膚の色や言葉を何となく身内であるものの全体を含ませてしまうのだろう。最小限、国家を相手に損害賠償の訴訟を起こしたというばあいの国家をさえ、思い浮かべようとしないのだろう。それでいて他方では政府がどういう党派に変わるかとか、どういう政策に転換したかということに、いっこう関心をしめさずに放任したままで平気なのはなぜか。」
「個々の人間の観念が、圧倒的に優勢な共同観念から、強制的に滲入されしてしまうという、我が国に固有な宿業のようにさえみえる精神の現象は、どう理解されるべきか。」
「海部民は、内陸に入れば農耕民や狩猟民として定着できたし、それぞれの荷なっている文化や宗教も多層化して、相互に混合することができた、このことは、いわば経済外の強制力というべき共同観念の構造を複雑化した。名目的な首長は神格化されるが、実質的な行政力や政治支配は、別途の人格と回路に接続される独特の初期国家の構造は、この多層化と複雑化とが生み出したものといえよう。政治的な諸制度の強制力を、共同観念のうちにみるかぎり、わが初期国家の成立過程に生じたこれらの問題は、アジアの沿海周辺部及び島嶼における、内陸とはちがった〈アジア〉的特性の一つの典型をなしている。」
「共同幻想も人間がこの世界でとりうる態度がつくりだした観念である。〈種族の父〉(Stamm-vater)も〈種族の母〉(Stamm-mutter)も〈トーテム〉も、たんなる〈習俗〉や〈神話〉も、〈宗教〉や〈法〉や〈国家〉と同じように共同幻想の表れ方であるということができよう。人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担を作り出すことができる存在である。共同幻想もまたこの負担のひとつである。だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造を持っている。」
(吉本隆明 角川文庫発行「改訂新版 共同幻想論」序文)
もう壮年期を迎えているはずのあの物憂げな青年はいまもつぶやくのだろうか。
「『エンペラー・アキヒト』は、どうしている?」