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むかしの記憶〜おおみそか〜

2020.12.18 07:18

※画像は下記。

大晦日についての昔の文章を挿絵と共に読み易い雰囲気に置き換えて。

いまだに、当時自分が書いた文章を読んだり音読すると、大号泣してしまう。

私の確信は、私が一番わかっているのだな。

私の処方箋を出せるのは、私だけなのでしょう。

季節が気持ちを連れてきているせいかもしれない。

冬が好きだしクリスマスが特に大好きだし、年越しも七草も大大大好きなのだが、瞬きひとつであちら側にもっていかれるのもこの季節の仕業。

なのかもしれない。

折り重なった絶望が、トッとダムが崩壊するように、溢れ出す。

びっくりするくらい、落ちてしまう。

昨晩までにこにこと団欒していた人が、翌朝首を括って冷たい状態で見つかったという話を聞く度、ああ、あれだなと思う。

負の念や邪気やその類いがお迎えに来る、あれだ。

私はお酒を呑んで記憶をよく失くす。

そういう時に、完全にあちら側に連れていかれていないというのは、

「まだまだ、おまえは足りないよ」

と言われているせいだ。

私の中の、私じゃない人が、既の所で首根っこ引っ張って、こっちに張り倒す。

「ああ、ああ。まだだから、無駄ですよ。」

そうやって静かに笑いかける。

そんな感覚。

私は心の振り子をブンブン振り回しているだけなので、命の綱は、今のところ問題無い。

心の振り子が止まった時、否、失くなった時、人は心音に関わらず死を迎える。

だから、悲しみ、苦しみ、憂い、笑って、今日も生きることをしていく。

ただそれだけだ。

今夜はライブ、無力無善寺です。

その年の明ける前の日の事、私は急な腹痛にベッドで身悶えていた。

ぐぬぬぬという程の痛みにどこか同情して欲しさがあったと思う。

うずくまり肩で大きく息をしながら、ちらりと彼の顔を見た。

心配でも、戸惑いでもなく、その表情はひどく辟易としていた。

明らかに、

「めんどくさい」

と言っていた。

女は共感を求め男は結論を求めるという話をふと思い出しはしてみたが、そんな傾向なんてフェミニン臭い話ではない。

“セックスをしに来た人間が、それを為し得ずに心の中で舌打ちをしている”

という現状に気付いてしまい、世界で彼だけが理解者だと思い込んでいた私は、察せられぬ様、うつぶせになって泣きながらぜーぜー笑った。

「ごめんね、お腹、痛いから」

と、うずくまったまま呟いた。

今夜、もうこの先は無いんだよと、口には出さないが匂わすと、彼はすんなりと帰っていった。

心の何処かで、安心するまで抱きしめていてくれる彼を思い描いていた。

現実はいつも悲しくて、残酷だ。

ひとりぼっちがこわくてさみしくて、未来も明日も見たくなくてこのまま死んじゃいたいっ。

大晦日の夜、泣きながらひとりぼっちなんて死に値するじゃんっ。

でも…。

と思った。

腹痛の中、思い出した。


いつかの大晦日の夜。

賑やかなバラエティ番組の、

「さあいよいよあと××秒で新しい年を迎えます!!!」

という興奮気味の生放送を眺めながら、

「おかあさん、もう年、明けるよ。」

と、横でくたびれてうなだれる肩をほんのちいさく揺する。

勿論起きるわけがない。

起こしちゃいけない、という本能があるから、そもそも起こすつもりも無い。

父親は仕事で、姉は外で過ごすからと何処かへ行ってしまっていた。

3、2、1、と数えて盛大なクラッカーや紙吹雪。

チャンネルをパッパッパと飛ばしてみるが、どこもかしこもお祝いムード全開。

NHKに関しては煩悩を殺すべく108の鐘の音。

天井から煌々と照らされるリビングと、私と、仕事でくたびれて眠る母親と。

おうちで、家族といるはずなのに。

灯りは点いているはずなのに。

TVの画面から溢れる、押し付けがましいお祭りムードが、その差異に追い打ちを掛ける。

これなら宇宙に放り出されたほうがマシだ。

これなら首をちょん切られたほうがマシだ。

たくさんのあざやかに囲まれて、その瞬間、私はとてもひとりぼっちだった。

宇宙一ださくて、いますぐにしにたかった。

私は、とても幼かったから。

深夜も、今夜だけ朝まで走り続けているというJRが、行く宛ての無い私を、一体全体何処へ連れて行ってくれるというのだろう。

行き場もなく、深夜24時と数分。


血縁なんかよりずっと信頼して、信用して期待していたあの人が呆気なく去っていった、家具もエアコンもない6畳の部屋。

白い息を吐きながら、あのやるせなかった大晦日を思い出していた。

放心状態になっていると、それまでの沢山の絶望が走馬灯&オールスターしてきて、成す術もなく思考に従う。

「彼女のことも好きだけどじゅんじゅんの事も好きなんだよね」

と言われた瞬間、奪われた希望と、すこし灯された心の灯火。

秋葉原の車道で引き摺り廻され、警官に囲まれて顎を強打して気絶した夏の日。

早朝の高円寺駅前、雨晒しで這い蹲って、

「ふざけるなー!」

と叫んだら、

「もう迷惑なんでさっさと帰ってください!!!!」

と、警察官に大絶叫のお説教を喰らって、

「わかってますよ!!かえりますよ!!!」

と、ぐじゃぐじゃに泣きながら自転車乗って中野坂上へ帰ろうと漕ぎ出したのに、気付いたら真逆の荻窪方面へ向かっていて、チャリごと転けてわんわん大号泣したあの日。

「もうお酒呑まないから結婚してほしい」

なんて、出来もしない背伸びとぶりっ子な約束をした直後、酒呑んで記憶飛んで彼に暴言吐いて蹴り飛ばしてさようならされた日のこと。

問題児なのは百も承知だが、とっくのとうに児じゃない歳を経てきたのが恐ろしいところ。

南無阿弥陀。

どこかおかしかったかという認識も、あの時私は、限界即ち正常では無い精神状態であった、という自覚も、ちゃんとある。

ストレスの其の実はわかっている。

わかっているはずなのだけど、その時になると、

「ほかの誰かを曲げるくらいなら」

とだんまりを決めて、ひとりで泣く。

そうやっていっつもいっつも、過ごしてきた。

そうして、いずれ爆発する。

それをずっと、繰り返してる。

それが人生とおもう。

苦行とおもう。

私のたいせつなところと君のたいせつなところを重ねてはみ出したところを、わかったりわからなかったり、そういうことをするべきなのはわかっているのに。

人も物も関係も、意外と壊れやすくて意外とタフだから、毎回、あーあっておもう。