Iconograph 鏡月 玖璃子
「私達は愛の裏で動いていた」
瀬戸内寂聴を始め松本准平監督等、様々な著名人にまで愛された作品。pangaea dollより文章が更に洗練されて「透明感」が似合う作品。ここで鏡月さんのpangaea dollは自伝のように見えて、そうではなかった。これこそ鏡月さんの人生なのかとまたここで思ってしまう。
舞衣、光音、真希の三人が動かす世界で死んでしまった舞衣が
象徴的だった時計台の針を動かす中心となった。主人公の光音は分針、羽根は時針、
真希や運命を暗示する天文時計と一つの塔の中で動いている。これほど描写がダイナミックでありながら、美しい動きはない。ネタバレしそうで怖いのですが、
家族が連れ去られた後、私は平然としてセガンティーニの絵画を見に行った。
本当に平然としていたのだろうか。遺体が見つからないまま、テレビでやっていたこの絵画展の紹介に吸い寄せられた。――――雪の降る町だったから――――。そんな私が目を閉じると繊細で冷たい布が自分を包むようだった。優しくはない布。纏わりつくようで、水を吸ったように重たい。それはまるでこの二枚の『悪しき母たち』の衣装のようだ。まずは青の章、そのブルーは闇のようで、闇になりきれていなかった。太陽の光を失っても青の色に留まり続け、表情を失いながらも女という形を浮かび上がらせる。
女であるということ、その死にきれない光が灯っているように思えた。夜明けの章、ブルーの闇が終わり、日が昇ろうとしている光景、曇り空の雪景色、あの足を降ろしたらどんなに冷たいだろうと私の足を凍らせる。悪しき母は枯れ木に吊るされ、樹形に歪さを与えている。淡い濃淡の中、樹影という移ろう存在に逃げることが出来ず、夜の闇に暈されることもなく露骨に肉体が現れ出る。日が昇ろうとしているのは嬰児殺しの女が赤ん坊に乳を与え、母になったことに対しての赦しだと聞いた。
それでも、この瞬間はまだ、完全に赦されたわけではない。見せしめから、赦される存在になろうとする瞬間、魂が昇天する寸前、天の光が空遠のことではなく、近くまで来ているということ。
赦しとは哀婉――――
(Icon o graph 白夜の章)
と、本当にここだけでも描写が綺麗で何度も読んでしまう。カトリックも自分達の株をあげたかったら、ここに出てくる素敵な神父にかなう人なんかいないのに。愛がテーマですが、
これは日本人では書けない愛で、アガペー、隣人愛、エロース、そして鏡月氏の
留学したが故なのか「翻訳出来ない愛」がテーマ。
舞衣という女教師と羽根という靴職人として既に才能がある美形の男の子の恋愛、
二人の愛が盛り上がってきたときに、舞衣が事故にあって植物人間となってしまう。
舞衣のドナーをめぐって舞衣のドナーを探すものの彼女の家族は震災で消えてしまった。
・・・・と誰がドナー候補なのか言ってしまえばネタバレなのですが(汗)
鏡月氏のここにも医療が万能、安全と謳っている皮肉が書かれてあります。
しかし最終的には本当に松本准平監督が言ったように感動しました。もっとカトリックのことが分かれば感動するのかもしれない。
次は、鏡月さんの担当もイコノグラフですら超えていると言っていたので楽しみですね。
ワタリガラスも神秘的、鳥の巣の現象学も神秘的で、もう少し勉強が必要。
カトリックの酒井司教にも認められ、女子パウロ会からも認められた作品。