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のらくらり。

醜い化け物と美しい指輪

2020.10.27 05:32

火事からしばらくした頃の三兄弟。

公式で三兄弟の指輪を出してくれるみたいなので、嫌なことを言われて自信を無くしたルイスが指輪をもらって励まされていたら良いなと思ってる!


「まぁ醜い傷痕」


そうだろうなと思いながら視線を合わせずただただ俯く。


「でも元の身分相応の傷なのだからあなたにはよくお似合いね、うふふ」


今も昔も爵位を継ぐことのない元孤児の養子であることは事実なのだから、気にすることもない。


「いやぁ先代のモリアーティ伯爵は実に慈悲深いお方でしたなぁ。得体の知れない孤児を二人も引き取るなど、そう簡単に出来ることではない。一人死んだのは好都合でしたな、アルバートくん」


兄さんは過去の人生を殺して"ウィリアム"となったのだから間違っていない。

自分達にとって不都合な世界を好都合な現実にしてみせたのだから。


「だがこんな傷物、家に置いておく理由はもうないんじゃないか?捨てるなら早い方が良いだろう」


まるでこの場に自分がいないかのように嘲り罵る言葉を浴びながら、ルイスはただひたすらに俯いては締まる喉に吐き気を感じていた。

こんな傷物、捨てるなら早い方が良い。

確かにその通りだろう。

だってアルバートにとってルイスはウィリアムのおまけで、どうせウィリアムを引き込むための駆け引きとして心臓の治療をしてくれたのだから。

ウィリアムとアルバートが目指す理想が同じだと知った今、アルバートがルイスをそばに置いておく理由はない。

けれど、アルバートはルイスのことを弟だと認めてくれて、新しくルイスの兄になってくれた人なのだ。

その言葉に偽りはないと信じたいし、信じてほしいと言われたのだから大丈夫だ。

大丈夫だと、ルイスは自分に言い聞かせながら小さくか細い息を吐いて、隣に座るアルバートの言葉を待った。

アルバートと反対隣にいるウィリアムの顔を見て安心したかったけれど、下手に動いて相手を刺激したくはない。


「何を仰います、ゴート子爵。ルイスはもうモリアーティ家の人間です。この子を捨てることなど有り得ませんよ」


年齢に見合わないその風格は、いずれアルバートが引き継ぐ爵位を思わせる迫力を既に携えていた。

ルイスには感じられなかったけれど、その言葉の隅々にははっきりした苛立ちが滲んでいることにウィリアムは気が付いている。

孤児であり貴族たりえない弟を庇う言葉は軋んだルイスの心を救ってくれて、弟を支えにして生きてきたウィリアムの信念をも救ってくれる。

俯いたまま顔を上げない弟の背に手をやり、ウィリアムは最愛の弟を蔑んだ子爵夫妻に笑みを返してルイスとともにその場を後にした。


「に、…ウィリアム様」

「ルイス、良いから。向こうに行こう」

「は、ぃ」


モリアーティ家を全焼した大火事の後。

手術後である心臓の経過をしっかりと診るために長く入院していた末弟の快気祝いをしたいと、そう言っていたのは何だったのだろうか。

ルイスが養子であることは一部の貴族には知られているし、ゴート家の人間には間違いなく知られていたのだから怪しいとは思っていたが、世話になっているロックウェル伯爵の顔を立てる意味でも面会を拒否することは出来なかった。

始めは良い顔をしていたように思うが、ルイスを見た途端に瞳が暗くなったのを見て心底嫌気がさした。

けれど後見人である伯爵と兄であるアルバートの顔に泥を塗るわけにもいかず、当のルイスも覚悟していたのか一切表情を変えずに俯いて応じていたのだから、ウィリアムが要らぬ波風を立てるわけにもいかない。

まして、ウィリアムとルイスは血の繋がりのない貴族家次男と養子という設定なのだから。

最愛の弟からウィリアムと呼ばれることにも、最愛の弟を貶す人間に笑みを向けることにも慣れたくはないけれど、前者はともかく後者にはいつか慣れなければならないのだろうか。

もう気は済んだだろうとウィリアムがルイスを隠すように足を進めていると、強張ったルイスの表情が少しだけ和らいでいた。


「あんな醜い人間、アルバート様にもウィリアム様にも相応しくないでしょうに。お優しいのね、アルバート様」

「いやはや、本当にご立派なことだ。だが、あんな人間がいてはモリアーティ家の格を下げてしまうのではないかな?あんな傷を負って平然としているなど、化け物じみている」


部屋を出る直前、特別大きく響いてきたその音にルイスの足が止まる。

ウィリアムも眉を顰めたが、これはすぐにこの場を去らなかった自分の落ち度だと心の中で舌を打つ。

ルイスを見れば元々真っ白い顔なのにますます血の気が引いていて、今にも倒れてしまいそうなほど青褪めていた。

気にすることはないよとウィリアムがその背を支えて部屋を出ようとするが、腕が背に触れる前にルイスが前を駆けていく。


「っ、ルイス、待って!」

「…すみません、執事長にスコーンの焼き方を教わる約束をしていたので、失礼します」

「ルイス!」


慌てて扉を閉めてルイスを呼び止めたけれど、ルイスは自分の右頬に手を当てて振り返ったかと思えばすぐに走り去ってしまった。

目の前には耳に残る足音すらなく行ってしまうルイスの髪が流れていて、けれど今見た姿にウィリアムは嫌な予感がする。

これは僕の覚悟なのだから絶対に治しませんと言ったのはルイスだった。

将来のためにも傷一つ残らないよう治そうと提案したアルバートの言葉を、二人のために負った傷だからこのままが良いのだと懸命に突っぱねていたルイス。

ウィリアムとアルバートの前ではあからさまに傷を隠すような真似はしなかったのに、今この一瞬ですら、ルイスは爛れた右頬をウィリアムから隠そうとした。

周りの人間に何を揶揄されようが気丈に振る舞っていたはずなのに、今の言葉で折れてしまったのだろうか。

ウィリアムは血色の良い肌を白く染めて、追いかけることを拒否されたルイスを思った。


「ウィリアム、ルイスはどうしたんだい?」

「…執事長と約束があると彼の元に行ってから、帰ってきていません」

「君が目を付けている元軍人の元へかい?大丈夫なのか?」

「おそらく問題はないでしょう。ですが心配なのは…」

「昼間聞いた子爵夫妻の言葉かい?」

「…はい」


ルイスの様子がおかしかったことにアルバートも気付いていたようで、綺麗に整っている眉を顰めて口元を歪める。

今この場にいない子爵への苛立ちが募るけれど、彼らがそういう人間であることは分かっていた。

だからこそ世界を変えようと決めて三人一緒に家族になれたのだから、言うなれば彼らこそがウィリアムとアルバートの人生を決めたと言っても良いだろう。

けれどやはりあんな存在がいなければ罪を犯すことも弱者が虐げられることも、愛しい弟の顔と心に傷が付くこともなかったはずだ。

それを思うととても悲しくて、そして悔しい。

どれだけウィリアムとアルバートが心を尽くして否定しようと、悪意のある言葉はいつまでだってルイスの心に巣食ってしまう。

人は悪意よりも好意を求めているくせに、たくさんの好意よりも少しの悪意の方がずっと根深く残るのだ。


「…ルイスが気にしていなければ良いのですが」

「とにかく、ルイスを迎えに行こう」

「はい」


そうしてウィリアムとルイスが執事長であるジャックの元へ行くと、そこには数時間前までともにいた彼とは違った弟がいた。

快活に上げていたはずの前髪は右側だけが下ろされて、もう必要ないと言われていたはずの白いガーゼが右頬を覆っている。

青褪めていた表情は幾分か良くなっているけれど、それでもいつも兄に見せている和らいだ雰囲気には緊張感が混ざっていた。


「ルイス、どうしたんだい?」

「少し気分を変えてみようと思って、髪を下ろしてみました。子爵夫妻にも不快な思いをさせてしまったようなので、しばらくはガーゼを使おうと思います」

「でももうそれは必要ないんだろう?」

「いいえ。僕のせいでモリアーティ家に妙な印象を与えたくはありませんから」


貼り付けた笑みはウィリアムが浮かべるものとよく似ていて、だからこそ偽り隠していることがよく分かる。

あぁやっぱり、心無い言葉の数々はルイスの中に居座ってしまったのだ。

貴族に貶され忌み嫌われることに慣れていても、傷を負わないわけではない。

どれだけウィリアムが大切だと慈しんでも、どれだけアルバートが優しく労っても、自分自身の存在が二人の悪評に繋がってしまうのならルイスは自分を隠してしまう。

モリアーティ家に相応しくないという言葉はつまり、美しい二人に醜いルイスは相応しくないということだ。

美しいものには美しいものが似合う。

醜いものには醜いものが似合う。

そんなこと、ちゃんとした学のないルイスにだってよく分かる。

兄の計画を助け、兄と似た顔を捨てるために顔を焼いたことに後悔はないし、これが自分なのだと胸を張って生きていこうと思っていた。

それで良いとウィリアムとアルバートもルイスを認めてくれた。

けれど、三人だけが良くてもいけないのだとルイスはようやく気付いたのだ。

アルバートは近く伯爵位を継ぐ人間であり、兄はウィリアムの名を奪い貴族として生きている。

ルイスだけが元孤児の養子のままモリアーティ家に在籍していて、それはきっと周囲の貴族から見れば異端児そのものだろう。

突然の大火災、先代伯爵と母親と兄弟の死、哀れに残された年若い実子二人と幼い養子、その養子は最下層出身で顔に醜い傷を持っている。

なるほど、噂好きな貴族にしてみればモリアーティ家は格好の餌だ。

あることないこと言いふらされてもおかしくないだろう。

だがいつか完遂する計画のためにも、今はまだ周囲の貴族から浮くわけにはいかない。

当たり障りなく上手くやっていく必要があるのだから、ルイスがモリアーティ家の妙な噂の的になっても困るのだ。

そういう建前の元、ルイスは髪を下ろしガーゼで傷を隠す。

本音はただ単純に、だいすきな兄に醜い自分は相応しくないと言われたことを悲しく思っているだけなのに。


「髪を伸ばして傷を隠そうと思います。そうすれば兄さんと似た顔も隠せますし、ガーゼを無駄にすることもなくなりますから」

「でもルイス、そんなことする必要はないよ。君は今までのままで良い」

「兄さんがそう言ってくれるのは嬉しいです。でも他の人間はそう思いませんから」

「ウィリアムや僕の言うことより、会ったばかりの人間の言葉を優先するというのかい」

「違います。これは僕が考えて出した結論なので、子爵の言葉はただのきっかけに過ぎません」

「ルイス」

「…僕、庭掃除を手伝うと約束しているので、失礼します」


ウィリアムとアルバートがルイスに何を言おうと、ルイスが見せる貼り付けた笑みは変わらない。

誰より一番近くにいるはずのルイスが今はとても遠くに感じられる。

それがウィリアムには耐えがたいほどに苦痛で、焦燥感に駆られるまま走り去ろうとするルイスの腕を手に取った。

けれどそれを拒否するように、ルイスは手を振り払って怯えたように兄を見る。

大きな赤い瞳にははっきりした恐怖が浮かんでいた。


「ぁ…す、みません」

「っ…ル、イス?」

「ぇ、と、あの…い、急いでるので!」

「ルイス!」


生まれて初めて、ルイスに手を振り払われた。

ウィリアムにとってルイスは生きる糧であり生きる目的そのもので、ルイスがいたからこそ自分が成すべきことを見出した。

間違った形だと理解しているけれど、ルイスが生きる世界を守るためなら少しの後悔もないというのに、心を砕く当の本人から拒否をされてしまった。

それはウィリアムにとってあまりに悲しい現実で、同じくらいに絶望で心がいっぱいになる。

そしていつも仲睦まじい弟達を知っているからこそ、アルバートが受けた衝撃も大きかった。


「ウィリアム、待ちなさい」

「っ、でも」

「僕が行こう。今の君では感情的になってしまうだろうから」


生まれて初めて、ウィリアムはルイスに拒否された。

いつも余裕めいた笑みを美しく携えているウィリアムだというのに、今は欠片ほどもそんな様子が見られない。

今のウィリアムは気に入ったものを自分のそばに置いておこうとする子どものようで、焦ったように追いかけるのも彼にとって自然な行動なのだろう。

だがアルバートはそれを止め、今は自分が行くべきだとウィリアムの肩を支えてその場に置いてルイスの後を追う。

どうせ付いてきてしまうのだろうがそれで良い。

少しの時間を与えればいつもの彼に戻るはずだと、アルバートはウィリアムに対してはさして心配することなく心が脆いであろうルイスを思った。


「ルイス!」

「あ、アルバート兄様…これは、その、今から庭に行こうと思っていただけで。…サボっているわけでは…」

「そんなことは気にしていない。そもそももう日も暮れるのだから掃除などしなくて良い。こちらにおいで」

「……」


庭に繋がる裏口の扉近くでしゃがみこむルイスを見つけ、アルバートは極力優しく声をかけた。

子爵との面会に備えて上質な衣服を着ていたのだから、庭掃除をするという嘘を実現させようにも汚すわけにはいかないと思って尻込みしていたのだろう。

おかげで外を探す手間が省けたと、アルバートはルイスを呼び寄せるが首を振って拒否をした。

ふるふると左右に舞う髪の毛が柔らかで、事実触れると子猫のように手触りが良いのだ。

アルバートは仕方なしにルイスの隣に膝を付いて、傷付いたように瞳を曇らせるルイスの顔を覗き込む。

上げていた前髪は思っていたより伸びていたようで、瞳の半分は隠してしまう長さだった。


「兄様、お洋服が汚れてしまいます!」

「構わない。それより、きっかけというのはどういう意味だい?」

「え…」

「子爵の言葉がきっかけで髪を下ろしてガーゼを使っているんだろう?どの言葉が君の琴線に触れたのか、僕に教えてくれないか」

「ぁ…」


慌てて立ち上がったルイスに腕を引かれるままアルバートは立ち上がり、自分よりも幾分か小柄な弟を見下ろして静かに問いかける。

相手の無礼な言葉に傷付いたのは事実だろうし、それを気にして髪を下ろし傷を隠したのもルイスの判断で間違いないだろう。

だが、それだけにしてはルイスの様子がおかしい。

深く深く傷付いたのであれば、尚更ウィリアムのそばにいたがるのがルイスだとアルバートは思うのだ。

ウィリアムもそう思ったからこそルイスをそばに置いて癒してあげようとしていたのだから、きっとアルバートの予想は間違っていない。

けれどルイスは自分を癒してくれるウィリアムから距離を取り、今もアルバートから一歩距離を取っている。

最近になってようやく懐いてくれた末の弟との距離がまたも遠くなったことに気付かないほど、アルバートは鈍くも疎くもないのだ。

いくら考えてもルイスの考えはルイスにしか分からないのだし、尋ねることを恥ずかしいとは思わない。


「ぁの…えっと…」

「うん」

「…僕、傷物なので…兄様と兄さんみたいに綺麗な顔をしていないから…」

「…うん」


それは違うと、ルイスは綺麗な顔をしているのだとすぐに否定したくて堪らなかったけれど、言葉を遮ってしまってはようやく口を開いたルイスを萎縮させてしまう。

アルバートは喉をついて出そうになった否定の言葉を辛うじて飲み込んで続きを促す。

近く、微かに靴音が聞こえていた。


「今まで気にしていなかったけど、僕は醜いから…綺麗なお二人のそばにいちゃいけないんだって、そんなことにも気付けなかった自分が恥ずかしくて…兄様と兄さんの言葉を鵜呑みにして、醜い傷をそのまま見せていたんだと思うと、二人に申し訳なくて」

「…ルイス」

「……兄さんが、僕を近くで見て、嫌いになったら嫌だから」


だから兄様も、あまり僕のことを見ないでください。

今はガーゼがあるけれど、高価なガーゼをずっと使うわけにもいかないから。


「ルイス!」

「に、兄さん」


今にも泣きそうな顔で俯きながら、声変わり前の高い声でか細くルイスが本音をこぼせば、耐えきれなかったのか近くにいたウィリアムが駆け寄ってくる。

そうしてルイスの腕を引き、違うよ違う、と首を振ってルイスの言葉を否定した。


「君を嫌うはずないだろう。君のこの傷は僕を助けてくれるためのもので、大切な僕達の絆じゃないか」

「でも、子爵は僕が兄さんと兄様に相応しくないと言っていました」

「僕よりあの人の言葉を信じるのかい?どうして?」

「だって僕の顔に傷があるのは事実です!兄さんも兄様も格好良いのに、僕だけが醜くて…っ」

「ルイスは醜くないよ、とても可愛い」

「可愛くなんてない!」


またもルイスはウィリアムの腕を振り払い、大きな瞳でだいすきな兄を見据えて堪えるように歯を食い縛る。

どんなに温めてもいつも真っ白い顔なのに、今は興奮してほんのり赤く染まっているのがどこか滑稽だった。


「僕は可愛くなんてないです!こんなに大きな傷がある!みんなみんな、僕を診てくれたナースだって蔑むように僕を見てました!ゴート夫人だって僕に似合いの傷だって笑ってました!僕は火事で焼け出された哀れな孤児じゃなくて、あの火事でも平然と生きていられる醜い化け物だって、みんなそう言っている!兄さんの言う可愛いなんて錯覚です、僕は、僕は…醜い化け物なんだっ…!!」


そんなことも気付かなかった、気付けなかった、兄さんと兄様のおそばにいたくて、考えもしていなかった。

ルイスはそう言いながらボロボロと大きな滴で頬を濡らす。

乾いたガーゼが濡れていく感覚が気持ち悪いと思う余裕なんて持っていなかった。

ただただ寂しくて悔しくて、そして惨めな気持ちでいっぱいだ。

二人のために在りたいと思っていたのに、二人に相応しい自分ではなかったなんて。


声を我慢して唸るように泣き出すルイスを見て、ウィリアムの胸は吊れるように痛み出した。

幼く脆い弟だから、傷付かないよう大事に守ってきたつもりだった。

けれどルイスを守りきるにはまだウィリアムも幼くて、せめてルイスを通して知った愛情をたくさん注いであげようと、他の誰よりルイスを愛してあげようと頑張ってきたつもりだったのだ。

けれどそんなウィリアムの努力も虚しく、あずかり知らぬところで受けていた悪意を持つ言葉のせいで、ルイスの心はついぞ折れてしまったらしい。

醜い自分を見せたくないと、嫌われたくないと、そう願いながら傷を隠して距離を取ろうとするルイス。

ウィリアムはアルバートが悲痛な表情を浮かべて状況を見守る中、そっとルイスの頬に触れて濡れたガーゼを剥がして捨てる。

跳ねた肩を優しく抑え、愛しい弟だけに向ける目一杯の笑顔を浮かべて柔らかに唇に弧を描いた。

それはとても美しくて、ルイスは見慣れているはずなのに畏怖してしまうほどだった。


「…化け物でも良いよ。それでも、ルイスは僕の可愛い弟だ」

「に、ぃさ…」

「頑張ったね。つらい思いをしたのに、僕と兄さんのために考えてくれたんだね。ありがとう、ルイス」

「っ…」


ふるふると勢い良く左右に首を降って、ルイスは何かを否定する。

何を否定したいのか知るよりもまず先にウィリアムがすべきことは、心無い言葉で自信を無くしてしまった弟にたくさんの想いを届けてあげることだ。


「でもね、ルイス。僕は僕に相応しいから君をそばにおいておきたいんじゃない。ルイスだからそばにいてほしいんだ。君は醜くない。化け物じゃない。誰より可愛い、僕のルイスだよ」

「〜…!」

「自信を無くしてしまったんだね。でもこの傷は大事なものだから、治すことも考えてない。僕は君のそういうところがすきだし、ルイスが納得しているなら君が思うままにしてほしいと思う。傷、治したくはないんだろう?」

「…はぃ…治したくない…兄さんと兄様に近付くために作ったものだから、このままが良い」

「それで良いよ。僕もその方が嬉しい。でも、傷があると悲しい気持ちになってしまうんだね?」

「……」


まるでルイスの気持ちを全て見透かしているような言葉は至極優しい音で響いてくる。

悲しい気持ちになるのだと、嫌われないか不安になってしまうのだと、ルイスは同意するようにしきりに頷いて浮かんだ涙を拭い取る。

赤い瞳と同じくらいに、目元の皮膚が赤くなってしまっていた。


「僕はね、ルイス。ルイスがルイスである限り、何があっても君を嫌うことはないよ。傷があってもなくても、髪を上げていても下ろしていても、ルイスがルイスなら何でも良い。でも君が僕のそばにいることに納得してくれないのなら、僕が魔法をかけてあげようか」

「ま、ほう…?」

「そう、魔法。ルイスが自分に自信を持って、僕のそばにいてくれる魔法」


悪戯に片目を閉じて微笑むウィリアムは、愛おしげにルイスの右頬へと触れてはますます笑みを深くする。

そうしてアルバートへと目配せをして、不安で小さくなっているルイスを連れて寝室へと歩き始めた。

上手く進まない足取りを二人の兄で支えて何とかウィリアムの部屋へと向かい、ルイスは促されるまま椅子へと腰掛ける。

ウィリアムは机の上にある何かを探しているらしく、アルバートはルイスの背後に立ったまま金色の髪に触れていた。

大きな手が撫でてくれるのはとても嬉しい。

ウィリアムが探し物を見つけるまでの間その手を堪能していると、何か小さいものを持ってウィリアムがルイスの元へと帰ってきた。


「あの、兄さん」

「何だい?」

「魔法って、一体何をするのですか?」


ルイスの声を聞きながらその右手を取り、指の細さを確認するように根本から先に向かって触れていく。

どの指が良いだろうかと考えたけれど、さして目立たない指を選ぶならば小指が最適なのだろう。

節もなく細く頼りない指だけれど、微かな温もりと確かな質感を感じられる。

生きているのだと教えてくれるその指を見つめ、ウィリアムは体温を移して少し温かくなったシルバー素材のリングをひとつ、ルイスの右手小指に嵌めていく。

少し緩いようだが、じきに丁度良くなることだろう。


「ゆび、わ…?」

「そうだよ。以前勧められて買っておいたシルバーのリングだ。中央にはルイスの瞳と同じ色の石を嵌めてある」


入院中、宝石商が家を訪ねてきたと言っていたからそのときに買っておいたものなのだろう。

細身のリングの中央には確かに濃い赤をした宝石が収まっていた。

宝飾品の類など今まで一度も身に付けたことはないし、これからも身に付けることはないと思っていたけれど、ウィリアムは立場上必要に駆られることもあるはずだ。

照明に当たってキラキラ眩しいシルバーと赤い宝石は、見ているだけでどこか気持ちが浮つくように美しかった。


「これに今から僕が魔法をかけてあげる」

「この指輪にですか?」

「あぁ」


ルイスは自分の右手を掲げてまじまじとリングを見る。

落として失くしてしまいそうで怖いけれど、ウィリアムがくれたものなのだから絶対に無くすわけにはいかない。

ウィリアムが宝飾品を欲しがるとは思えないので、アルバートからの勧めだろうとルイスは少しだけ後ろを振り向いて頭を下げた。


「ルイスの魅力をたくさん引き出してくれますように。ルイスが自分に自信を持ってくれますように。…ルイスが、僕と兄さんのそばにいてくれますように」


ルイスの右手を両手で支え、三つの魔法をかけていく。

魔法というよりもまじないのようなそれは、ウィリアムの願いをリングに込めているようだった。

ウィリアムの体温が移っているリングはとても温かく、言葉とともに冷えた指を温めてくれるようだ。


「それが魔法、ですか…?」

「うん」


いつも美しく余裕めいて笑うウィリアムなのに、今はとても寂しそうに歪んでいた。

魔法なんて非現実的なことを言ってしまったけれど、本当は自信がないのだ。

大事な弟が傷付けられているのに、貴族になった身でもウィリアムはあの頃のまま無力なのだと思い知らされる。

誰より大事な人なのに、自分だけではこの子を守ることが出来ない事実をとても悔しく思う。

ルイスがいたからこの英国でも生きる理由を見出したのに、ルイス本人が自分のことを嫌ってしまっているのだ。

少しで良いから自分に自信を持ってほしい。

少しで良いから自分のことをすきになってほしい。

だって、ルイスはウィリアムにとってたった一人の弟なのだから。


「ルイスが自分のことを嫌いでも、僕はルイスのことがだいすきだよ」

「…にいさん…」

「僕だけじゃない、アルバート兄さんもルイスのことがすきだから」

「あぁ。ルイスもウィリアムも、僕の大事な弟だ。捨てることも嫌うことも有り得ないよ、ルイス」

「…にいさま…でも、僕がいたら、モリアーティ家に変なイメージが付いてしまうかも…」

「言いたい奴には言わせておけば良い。僕もウィリアムも気にしないよ」


ウィリアムはルイスの右手を握り、アルバートはルイスの右頬に触れた。

大事にしているけれど嫌ってしまいそうなこの傷を、ルイスの兄は気持ちごと優しく救ってくれるのだ。

優しく美しい兄達が、心を砕いて傷物の自分なんかに構ってくれている。

自分は醜い化け物だけれど、二人の兄がそういうのであれば信じてしまいたくなった。

美しいウィリアムと美しいアルバートが認めてくれるのならば、自分も少しは自信を持っても良いのだろうか。

二人のそばにいても許されるのだろうか。

ルイスはウィリアムに嵌められた小指の美しいリングを見やり、赤く透き通った宝石に視線を移す。


「自信がなくなってしまいそうなときはこのリングを見ると良い。きっと、ルイスの魅力をたくさん引き出してくれるから」

「…兄さんが、魔法をかけたから?」

「そうだよ。誰が何を言おうと、僕とアルバート兄さんはルイスのことがだいすきだから」

「ルイス」

「…は、い…はい、はい…っ…兄さん、兄様…」


右手のリングを抱えるように左手で握りしめる。

大きな傷のあるルイスはきっと、夫妻の言葉の通りウィリアムとアルバートには相応しくないのだろう。

刺すような言葉を向けられるたびにルイスの心は少しずつ傷付いていく。

けれど他の誰に何を言われようと、このリングを見ればルイスは二人の言葉を思い出す。

悪意ある事実に心を痛めたとしても、ウィリアムとアルバートがくれた言葉もまた事実なのだから、信じるならば二人の言葉が良い。

ルイスはアルバートに体温をもらった右頬に手をやって、涙を落とさないよう懸命に顔を上げて不格好な笑みを浮かべていた。




(〜♪)


(ふふ。最近のルイスはウィリアムがあげた指輪をよく見ているね)

(気に入ってくれたようで安心しました)

(見たところ、自信を持ちたいというよりもただ指輪を眺めて嬉しそうにしているだけのようだ。…良かったね)

(えぇ…ところで兄さん、しばらくは面会の予定はないんですよね?)

(あぁ、伯爵に頼んで全て断っている)

(ありがとうございます。…もう少し時間があれば、ルイスも自分に自信を持ってくれると思うのですが)

(時間がなくとも、あの指輪があればルイスはきっと大丈夫だよ)

(…ふふ、そうだと良いですね)