1.ご縁ありまして。
1.この島と暮らす、きみのこと。
薄く開いた出窓から、網戸越しに聞こえる蝉の声に目を覚ます。
露に湿った草花の匂いが僅かに涼しさを運んでくる、ようやく季節は十月。
ここではいまだ蝉が鳴き、一年の大半はTシャツで過ごせてしまうので、暦の上の出来事だけではあまり実感が湧かなかったりもする。
少し前まで、携帯のアラームを五回鳴らしてようやく七時に目を覚ましていたが、今となってはアラームを掛けずとも六時前には起床出来ているから不思議だ。
日本列島を南に下った所、沖縄県の少し手前。
本土とも沖縄とも明らかに異なる文化や風習が、色濃く息づく程よく手狭な離島。
叶曜(かのうひかる)は、そこで生まれ十八の年の頃まで育まれた。
島に暮らす子供たちの大半は、思春期を過ぎ将来なんてものを意識するより早く島外へと出て行く。
それは至極当然の様であり、そんな同級生達の例に漏れず曜も島を出た。
それから十年の日々を都市で過ごし、つい先日この島に帰還したのだ。
育った場所、親元を離れて初めて過ごした刺激的で甘美な時間は、改めて振り返ると非常にありふれていた。
いつかドラマで見たような、いつか漫画で読んだような、いつかの誰かの私小説のような。
懐かしく鮮やかだが、眺めて見れば見るほど味のないガムのようでもあった。
そんな日々だった。
「おはよう、曜さん。」
曜は手元のホースの散水口から指を離し、声の先を振り返る。
いかんせんアラームを掛けずとも六時前に目覚めるという日々を送っているため、実家の庭木の水やりが曜の日課になりつつある。
「おはようございます、西さん。」
曜に声を掛けたその人は、カイヅカイブキの植え込みの隙間から此方を覗き込み白い歯を見せている。
「曜さん早起きですねえ、無職なのに。」
所々に白髪の混じる頭髪を無造作にあげた上背のあるその人は、今日も今日とて白のコットンシャツに麻のパンツが異様に涼やかだ。
曜の実家の裏の平屋に独り暮らす五十路前の男、西さん。
言葉尻は柔らかいものの、どうやら配慮にはやや欠けるらしい。
「何だか目が覚めちゃって。ニート故に早起きといいますか。水やりくらいしようかな、なんて。」
半ば取り繕うように言葉を濁す三十路前、無職。
現時点で唯一の生産活動、草木の営みの手助け(自宅の庭先)。
「今日も暑くなります、日中は氣をつけて。」
山向こうからは既に水色の陽光が射し込み、庭木の露と撒いた粒が煌めいている。
空を仰ぎ僅かに目を細めながら、やっぱり西さんは笑っている。
その人の姿に、曜は僅かに緊張を覚える。
「ありがとうございます。」
の、言葉の裏で、『危ないのはアンタだっての』なんて霰もない悪態をついて見たことは勿論、知られてはいない。
そして、この肚(はら)の中の態度にも歴とした所以があった。
***
帰って来た曜を囲む飲み会は、彼女が帰島した翌日早々と催された。
島にある唯一の繁華街は、曜がそこを離れていた十年で随分と様変わりしていた。
古くからある居酒屋、中華料理店、ラーメン屋に混じる洒落たダイニングバーや創作料理屋みたいなものは、確かにあの頃には無かったものだった。
それらが至る所にあり、聞けば曜の同級生だったり、近年増えたUターン、Iターン者がその活気に一役買っているらしい。
そんな世代交代の波が漂う繁華街にも、マッチ箱みたいなスナックのネオンだけは変わらず座している。
その日飲んでいた店は、繁華街の昔からある裏通りの一角にある創作の串焼き屋だった。
店を見繕ってくれた友人曰く、昨年出来たばかりで大体が女性客で賑わっている人気店。
陽が傾く少し前を切り取ったような電球色に彩られた店内は、既に予約客で賑わっていた。
見渡すと、確かに女性客ばかり。
カウンター越しに見える開けた厨房からは、年若いスタッフが景気良く出迎えた。
それに手慣れた様子で挨拶を交わし、やっぱり手慣れた様子で席に着いた友人、希林(きりん)と百望(もも)。
希林とは小中学、百望は高校からのそれぞれ友人だった。
「おかえり、曜。」
カウンターから程近い四名掛けのテーブル席でしっかりと冷えたグラスを合わせると、正月の帰省以来の再会と、再び始まる地元暮らしの門出を二人が盛大に祝ってくれた。
「しばらくゆっくりするんだね、羨ましいなあ。」
一杯目を既に飲み干して、希林が言った。
そういう彼女は来年、彼氏のいるイタリアへの移住が決まっている。
曜同様に現在無職、事情は違えど同じ身の上である。
希林も曜と同じくして高校を卒業後、関東へ進学しそのまま就職、そして今回のイタリア行きのためにスッパリと仕事を辞め一時帰省している。
「希林さんがいる間に、三人で会えて良かったよね。」
少し緩やかなテンポの百望が言う。
百望とは高校進学後、希林を通じて仲良くなった。
いつも穏やかでワンテンポ遅れ気味の彼女は、小学校教諭となり、今年職員の異動辞令で島に帰って来た。
アラサーと言う呼び方がすっかり定着した世代の女三人、顔を合わせればこれと言って代わり映えのない近況報告と他愛もない会話。
既に気心知れている距離感は、曜に地元に帰って来たことをひしひしと伝えていた。
こんな風に、いつかの自分の鋳型が今も変わらずそこにある事への安堵の向こうに、言葉にし難い閉塞感を感じることもまた事実だった。
鳥モモや鶏皮のような定番串、トマトをベーコンで巻いたもの、トウモロコシの天ぷらのような創作料理を楽しみながら、曜はそんなことを思った。
曜が『その人』に気がついたのは、彼女達が来店してからもう何度目かの客の入れ替えが行われ、それを尻目に自家製サングリアを注文しようとした時だった。