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Jan and Naomiが生み出す時代に左右されない静謐な音楽の調べ

2016.08.29 10:00


Jan and Naomiというユニットのミュージシャンを知っているだろうか。狂気と静寂が同居したかのような音像。そしてモデルとしても活躍するほどに端整なルックスにじわじわとファンを獲得している2人組だ。

SILLYでは今回、時流に左右されずインディペンデントなマインドで活動する彼らにメール取材を敢行。7月8日に品川キリスト品川教会グローリア・チャペルで行われたライヴのリハーサル写真とともに1/3レポ、1/3レビュー、1/3インタビューで構成した記事をお届けする。

Jan and Naomi〔ヤン・アンド・ナオミ〕

JanとNaomiによるデュオ。2012年、渋谷百軒店で各々がソロで活動しているときに出会う。2014年2月、ファーストシングル「A Portrait of the Artis as a Young Man/time」をHot ButteredRecordより7inchレコードで500枚限定リリース。10月末に1st EP「jan,naomi are 」を発表。《狂気的に静かな音楽》という新たなミュージック・スタイルを確立し、儚く切ないメロディーセンスで多くのリスナーを虜にしてきた 。6月23日に最新EP『Leeloo and Alexandra』を発売。7月には FUJI ROCK FESTIVAL '16 出演も果たす。2017年公開予定の映画「AFTER-PARTY」(村本大志監督)で初の映画音楽を手がける。


品川でのツアーファイナルのライヴはチャペルという場所柄もあってか、厳かな緊張感に満ちた雰囲気から始まった。しかし彼らが1曲目「HESO」のアルベジオを奏で、ささやくようなウィスパーボイスで歌い、コーラスが重なり会場に響くにつれて、ステージと会場が次第に溶け合うように親密な空気になっていったように感じられた。

ちなみにこの日の照明を担当していたのは、気鋭の照明作家・渡辺敬之氏。楽曲に合わせて放たれる暖色の光は彼らの楽曲が放つ親密で穏やかな光を十二分に伝えるものだった。ツアーファイナルということもあってか、この日はリリースされたすべての楽曲を順に披露するという演出で、これまでの活動を総括するかのようだった。




すぐに消費されない音楽を求めて


さて、話を今年6月にリリースされた新譜『Leeloo and Alexandra』(リールー・アンド・アレキサンドラ)に移そう。1stEPの発売は2014年10月であったから、じつに約1年半ぶりにリリースされたものだ。同アルバムはNHKの「いじめを考えるキャンペーン」のドキュメンタリー番組を制作している人から直接楽曲制作を依頼されたことからはじまったという。

盤としてのリリースこそはないものの、彼らは月に一度、富ヶ谷にある「CALLAS」などのホームグラウンドでセッションやライヴを開催して、定期的に楽曲を披露していた。それでも、そうした現場から生まれた楽曲群からではなく、すべて新曲でとのオーダーから楽曲を制作することにしたのだ。前作のEPとはその点が大きく異なる。


Naomi「1曲目のイントロダクション以外の5曲ともNHKの番組用に作った曲です。AlexandraとMicrophone Barではじめて自分の叩いたドラムを録音しました」


1曲目のAliensでのおどろおどろしい空間から聞こえるようなささやき声からはじまる今作は、心の深部に訴えかけるような静謐さと、自分自身の知覚していなかった無意識の扉に潜り込んでくるようなある種の乱暴さというアンビバレントな2つの要素を内包しているように感じた。

そして、短いサイクルで消費されてしまうようなチープな音楽とは異なり、長期にわたるリスニングに耐えうる普遍性を感じた。これらの要素はどのような姿勢によりもたらされるのかを解き明かすべく、どのような音楽家でありたいかを尋ねてみたところ、至極シンプルでまっとうな答えが返ってきた。


Naomi「何年たっても色褪せない、変わらない美しさを持ち続ける楽曲を作りたいです」




「高速回転する人々の悩みや苦しみは、発電所のように見えます」


いじめのドキュメンタリー番組に提供するための楽曲を作るというテーマが明確に設けられたからだろうか。今作の歌詞には<<救済>>に関連するようなキーワードが並ぶ。「スタジオで曲のアレンジが変化していくプロセスを感じながら歌詞を書いたのははじめてでした」とJanはいうが、どのような思いで歌詞を記したのだろう。彼らの新譜を理解する上でヒントになると思ったのが、Janが品川チャペルのライヴMCで語った言葉だ。要約するとこんな感じになる。


Jan「今回のアルバムの制作期間には、胸を揺さぶられる出会いと手痛い別れがあった。それを歌詞に落とし込んでできていった」


別のメディアのインタビューでは今作の歌詞のテーマを「混沌と虚無感が高速で回転した時に生まれる小さな光」と語っていた。その言葉の真意については、以下のように語っている。


Jan「高速回転する人々の悩みや苦しみは、僕には発電所のように見えます。発電所が作動して作られる鮮やかな光を、僕は生活の中で感じることが多くなりました」


エイジレスに感じる楽曲やいつの時代にも通用するような歌詞を制作する上で、目まぐるしいスピードで進む時代や自分に湧き上がる感情そのものがイメージソースになったのだろうか。


Jan「最近はオリンピックに向けて無機質化してきている東京の街並みが創造の源になっていることが多いです。無機質化というある一種の抑圧は、反動を生みます。その反動によって、人々は色鮮やかになっているように見えます。それは、無機質化によって生まれた混沌と虚無感が高速で回転し、光を創造しているからだと思います」


自分個人の体験の中での人とのつながりを通して感じる思いと、社会全体の流れを俯瞰して見ながら感じる部分を音楽で表現しているのだろう。音楽を作ることは自分にとっての救済ですか? それとも誰かに対するメッセージですか? という問いに対してのJanから意味深長な回答はこうだ。


Jan「青春という傷の救済」


なんだか煙に巻くようなことを言ってるように感じるかもしれないが、別に言葉遊びをしているわけではないのだろう。ちなみにnaomiは「音楽を作ることは、今のところ人生で経験した一番楽しいことです」と回答している。



彼らのサイケデリックフォークやアンビエントミュージックに通じる音像から感じる楽曲の印象を形容するとき、たとえば「白昼夢のよう」とかいうことができるかもしれない。しかしそういった言葉で表現するのも野暮に感じるほどに、彼らの楽曲はそれ自体で完結していて、余計な言葉を受け付けない神聖さがあるようにすら思えるのだ。

なんというか、部屋の壁や床のシミをぼーっと見つめながら聴きたいな、女の子を口説くときにバーで流れていたら最高だろうな、って思うくらいだ。


蛇足になるかもしれないが、筆者がはじめてJan and Naomiを観たのは数年前に訪れた「Bar Music」。女の子と飲んでいていい感じの気分になったので、そこに連れていったときに偶然目にしたのだ。怒られるかもれないけれど、一応そのこともメール取材のシートに記しておいた。


naomi「音楽の聴き方は様々で、正解も間違いもないはずです。次のデートの約束をとりつけるのに夢中でほとんど聴いていなかったというのもあっていると思います」


そう答えてもらって少し安心した。ではまだjan and naomi を聴いたことがない読者に自分たちの音楽を説明するならどのような言葉で説明するのだろう?


naomi「音楽を言葉で説明するのは難しくて、ヤバイって言葉は稚拙かもしれないけど便利で、スマートフォンはもっと便利で、それでも言葉で説明が必要ならJan and NaomiのSoundcloudかYouTubeのリンクをお伝えしようと思います」



<<安全な身となったのだから あなたの秘密を、そして、あなたは一体誰なのか? Microphone Barで教えてください>>『Alians』和訳より

彼らは地球のどこにも存在しないMicrophone Barで待っている。音の世界に潜り込めばそっと隣に座ってくれる。けれど二度と再会することはできないかもしれない。

いや、本当は毎月都内のお酒を飲む場にしっかり現れて素敵な演奏をしてくれるんだけれど。そんなことが言いたくなってしまうほどに、彼らの音楽はこの時代において特別で幽玄な魅力を放っている。

  能書きはこのへんにしておこう。あとは音を聴いてみればすべてがわかるはず。



photography:Yuri Nanasaki/七咲友梨

coordinator : Thumper Jones