記紀神話:国生みから神生みまで
https://blog.goo.ne.jp/sansui-ou/e/92b4539de6f7d291a4a42172a9a18930 【記紀神話:国生みから神生みまで】 より
国を生み終えたイザナギ・イザナミ両神は、続いて諸々の神を生んで行きます。
言わばここからは両祖神による神生みの神話へと移行する訳ですが、特に『古事記』では次々に出現する諸神がかなりの数に上るので、段階毎に整理しながら話を進めて行かないと読み解くのが難しくなります。
また古くは四大文明を始めとして、世界各地の神話で同様の現象が見られるように、記紀神話でも祖先の史実を下敷きにした伝説と、この国の歴史とは何の関係もない(多くは他民族にも伝わる)民間伝承、同じく上古に実在した人物と、存在する筈のない自然神等が入り混じっており、加えて本来は人である祖先神が、自然神や創造神に擬せられたりしているので、今更それらを明確に線引きするのはほぼ不可能とさえ言えます。
もともと神話という世界そのものが、学的には既に史学などではなく、考古学もしくは民俗学の分野であり、人代の歴史に接するのと同じ姿勢で臨める筈もないのですが、それらを踏まえた上で神生みの物語を見て行くと、『古事記』に記された最初の神々は以下の通りです。
①大事忍男神(オホコトオシヲノカミ)
②石土毘古神(イハツチビコノカミ)
③石巣比賣神(イハスヒメノカミ)
④大戸日別神(オホトヒワケノカミ)
⑤天乃吹男神(アメノフキヲノカミ)
⑥大屋毘古神(オホヤビコノカミ)
⑦風木津別之忍男神(カザモツワケノオシヲノカミ)
⑧海の神、大綿津見神(オオワタツミノカミ)
⑨水戸の神、速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)
⑩速秋津日子神の妻、速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)
以上『古事記』では、大事忍男神か速秋津比売神までを十柱と数えており、本文中では特に言及されていませんが、恐らく石土毘古神と石巣比売神も(夫婦か兄妹かは別にして)男女の対神と見ていいでしょう。
また風木津別之神までの七柱については、果してこれらの神々の名が何を意味したもので、如何なる神であるが故に諸神の最初に挙げられているのか、今も意見の分かれるところです。
加えてこの七柱の神名を伝えるのは『古事記』だけで、『日本書紀』にはこれに該当する神が見当たらないこともまた、七神の存在を不可思議なものとしています。
ただ『日本書紀』で全く触れられていないということは、歴史上それほど重要な神々ではないということなので、ここでは深く立ち入らずに先へ進みます。
続いて海の神と水戸の神ですが、海の神である大綿津見神について言うと、「ワタツミ」の「ワタ」は「海」を表す古語で、「ミ」は「神」や「霊」を意味する古語なので、「ワタツミ(わだつみ)」という言葉がそのまま「海の神(霊)」という普通名詞になります。
従って記紀の他の箇所にも「ワタツミ」の同名を冠する神が何度か出てくるのですが、ここでは「オホワタツミ」という一個の「海の神」になっています。
因みにこれはこの後に出てくる山の神「ヤマツミ」に於いても同様です。
「水戸」は「水門(ミナト:港)」に同じで、「山門(ヤマト)」とは対になり、河川と海が交わる河口付近を指すとも言われ、「ハヤアキツ」という神名もこれに由来するものと思われます。
そして速秋津日子と速秋津比売の両神の間に生まれた神として、以下の八柱を挙げています。
水神①②沫那芸神(アワナギノカミ)、沫那美神(アワナミノカミ)
水神③④頰那芸神(ツラナギノカミ)、頬那美神(ツラナミノカミ)
水神⑤⑥天之水分神(アメノミクマリノカミ)、国之水分神(クニノミクマリノカミ)
水神⑦天之久比奢母智神(アメノクヒザモチノカミ)、
⑧国之久比奢母智神(クニノクヒザモチノカミ)
以上いずれも水に関わる神であり、その名が何を意味しているのかも一読しただけで凡その見当がつくほど分かり易いのですが、前の七神と同じくこの八柱の水神も『日本書紀』には登場しません(但し前記の如く全く別の形で「沫蕩尊(アワナギノミコト)」の名は見えます)。
そして『古事記』にはこの先も数多くの神々が出現する訳ですが、江戸時代に国学が確立され、記紀神話が本格的に研究されるようになってから三百年の時を超えてなお、それらの神々の実像については全くと言ってよいほど解明されておらず、この一事をもっても近世以降の日本人にとって神話という時代がいかに遠い世界であるかを実感させられます。
もし記紀神話を完璧に解読しようとするならば、恐らくそれを説明する文字数だけで数冊の大著となり、人生の限られた時間の殆どを注ぎ込まなければ追い付かないほどの労力が必要だと思われるので、ここでは大勢に影響のないような神については敢て深入りせずに話を先へ進めることにします。
ともあれ水戸の神に続いてイザナギ・イザナミ両神から生まれた神は以下の通りです。
風の神、志那都比古神(シナツヒコノカミ)
木の神、久久能智神(ククノチノカミ)
山の神、大山津見神(オホヤマツミノカミ)
野の神、鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)、亦の名を野椎神(ノヅチノカミ)
更に山の神オホヤマツミと野の神ノヅチの間に生まれた神として以下の八柱を挙げています。
山神①②天之狭土神(アメノサヅチノカミ)、国之狭土神(クニノサヅチノカミ)
山神③④天之狭霧神(アメノサギリノカミ)、国之狭霧神(クニノサギリノカミ)
山神⑤⑥天之闇戸神(アメノクラドノカミ)、国之闇戸神(クニノクラドノカミ)
山神⑦⑧大戸惑子神(オホトマトヒコノカミ)、大戸惑女神(オホトマトヒメのカミ)
以上自然神が四柱、天と国の対神が六柱、男女の対神が二柱ですが、『古事記』に度々出てくる天と国を冠する同名の双神が何を意味しているのかは今も解読されておらず、神道の祝詞にも見られるように言霊の仕来りに従っているだけという意見もあれば、男女の双神も含めて同一神の別称(単神を複数形にしたもの)に過ぎないという見方もあります。
また前の水神八柱と同じく、この山神八柱もその名が何を表しているかは和名を聞くだけでほぼ察せられるので、そういう意味では決して難解な神々ではありませんが、やはり水神と同じくこの山神も『日本書紀』には登場しません。
太安万侶が『古事記』を編纂して、時の元明女帝に献上したのが和同五年(西暦七一二年)、舎人親王等の撰による『日本書紀』の完成が養老四年(七二〇年)であり、両書の編修作業はほぼ同時進行で進められていたので、当時の書物の貴重性からして『日本書紀』の編者が『古事記』を精読していなかった可能性も否定はできませんが、素直に読めばこれらの神々は正史から外されたということでしょう。
大事忍男神から大戸惑女神まで、『古事記』では三十柱の神々を挙げるのに対して、『日本書紀』本文によると、国を生み終えた伊弉諾尊と伊弉冉尊は、次に海を生み、次に川を生み、次に山を生み、次に木の祖の句句廼馳(ククノチ)を生み、次に草の祖の草野姫(カヤノヒメ)、亦の名を野槌(ノヅチ)を生んだと記すだけで、何とも素っ気無い扱いとなっています。
水戸が川になっていること、風が抜け落ちていること以外はほぼ同じですが、海・川・山を生んだとはしているものの、その神を生んだとはしていないところや、野の神を草の祖としているところは多少異なっています。
これを「国生み」の一環として読む限り、『日本書紀』の方が理に適っているのは言うまでもありません。
尤も神話というのは必ずしも理に適うものではないのですが。
また一書(第六)では、大八洲国を生み終えた後、伊弉諾尊が霧を吹き払うと、その息が級長戸辺命(シナトベノミコト)、またの名を級長津彦命(シナツヒコノミコト)という風の神となったと伝えます。
また飢えた時に生まれた児を倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と言います。
また海の神等の少童命(ワタツミノミコト)、山の神等の山祇(ヤマツミ)、水門の神等の速秋津日命(ハヤアキツヒノミコト)、木の神等の句句廼馳(ククノチ)、土の神の埴安神(ハニヤスノカミ)が生まれ、その後に万物が生まれたとしています。
ここでも海の神ワタツミと山の神ヤマツミ、そして水門の神ハヤアキツヒが出てくるのですが、何故か山門(ヤマト)の神というのは記紀共に存在しません。
また(埴安神を除く)いずれの神も尊号は一段低い「命」となっています。
ここまでを簡単に整理すると、国を生み終えて神を生み始めたイザナギ・イザナミ両神は、『古事記』では先ず大事忍男神以下七柱の神を生み、次いで海の神、水戸の神(男女神)、風の神、木の神、山の神、野の神を生み、水戸の神が四対八柱の水神を生み、山の神と野の神の間に同じく四対八柱の山神が生まれたとし、『日本書紀』本文では先ず海を生み、川、山、木の祖、草の祖を生んだとします。
『日本書紀』一書(第六)もほぼ同じ内容であり、要は始まりの七柱の神と、途中で挿入される四対八柱の水神と山神の列挙を除けば、国生みと比べても余り大したことが書かれている訳ではありません。
叙事詩的な性質を持つ『古事記』はともかくとして、正史である『日本書紀』の編者にとって海の神だの山の神だのという話は、本心では敢て触れるまでもないような箇所だったのかも知れません。