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蒸気機関車の保存の意味と在り方、そして守りたいもの

2020.10.29 14:10

蒸気機関車が保存されている地域の方々にお話を聞くと、

「できるものならば遺したい」との思いを聞くと同時に、

「今仮に保存整備したとしても、将来的に地域の負担になるのでは解体も止む無し」といった声もお聞きしております。

それは大崎市内に限らず、全国の自治体で老朽化した蒸気機関車が抱える問題です。


では蒸気機関車が保存できている地域と、荒廃させた地域の「差」はいったい何なのでしょうか?

それは「守りたい」と思う人がいたかどうかでしょう。


これまでの蒸気機関車の保存環境は大きく分ければ、2パターンでした。

①保存当時から存在していた「国鉄OB」による保存活動

こうした方々がいた地域では、比較的綺麗な状態で蒸気機関車が保存・維持されています。

大崎市の近くだと、美里町小牛田にも「C11」という蒸気機関車が保存されていますが、小牛田は「鉄道の町」として栄えた町なので国鉄OBも多く、定期的に保存維持活動をされているそうです。

しかし蒸気機関車が歳を重ねるのと同じように、守ってきてくれた方々のご高齢化も進み、そうした理由から誰からも手をかけて貰えず荒廃・・・、結果として解体の運命を辿った蒸気機関車は少なくありません。実は西古川地区でもかつては定期的な清掃などもされていたと聞きます。


②保存会がそもそも存在していなかった

大崎市の場合はこれに当てはまります。

誰も守ろうとする人がいなければ荒廃するのは避けられません。

保存当時、国鉄は大崎市合併前の旧古川市・岩出山町・鳴子町と「車両賃貸契約書」を交わしており、「蒸気機関車は無償で貸すけど、しっかり借りた側が責任を持って保存管理してください」とされております。この契約内容は今のJR、そして大崎市に移行されています。


ここで、「タダで借りておきながらロクな管理もせずに、荒廃したから多額の税金を使って壊すというのはどうなんだ!?」と、行政責任を問う人もいるでしょう。

しかし行政職員も人事移動があれば、50年近く前の事を知る職員もすでにおりません。

今回の解体の件も、「解体して欲しい」という要望があった市民の声を聞いた結果に過ぎず、こうした声が出る前に大崎市民の中から保存を望む声が出ていれば、また違った方向になっていたことでしょう。

このため、大崎市が総額6000万円もかけて蒸気機関車3両の解体方針を決めたそのあまりにも大きすぎるツケは、「歴史あるもの」を守ろうとしなかった大崎市に生きる私たち市民にも責任があった事実を忘れてはいけません。


ただ本当に、歴史あるものを、色んな市民の思い出も詰まった蒸気機関車を、多額の税金をかけて解体し、何も遺す事ができない道しか残されていないのでしょうか?

そうした想いから私たち保存会では全国各地の蒸気機関車の保存状況を調べ、「新しい保存の在り方」を見つけ出しました。


③鉄道ファン・地域住民・行政の三位一体による「歴史文化財保存」

一方で、荒廃しながらも再出発・RESTARTできた地域も続々と出てきております。

そうした地域では鉄道ファンが旗振り役となり、保存会メンバーは「鉄道に興味が無いその地域に生きる方々」がほとんどです。なぜ、鉄道ファンでも無い方々が保存に協力的になったのでしょうか?

それは冒頭に述べた通り、「かけがえのない町の風景の一部」であったことが一番大きいのかもしれません。なぜ蒸気機関車が自分たちが生きる街に遺されたのか、そうした疑問から地域の歴史を知り、自らの手で汗をかきながら蒸気機関車を綺麗にしていったことにより愛着心も生まれ、「郷土の歴史あるものを皆で守っていく」という意識が芽生えたといいます。


そうした意識が地域に生まれれば、年に1~2回清掃維持してあげるだけでも蒸気機関車の荒廃は飛躍的に遅くなり、維持費も大きく負担になることはありません。

またそうした市民の想いに応えるために、蒸気機関車の荒廃の一番の原因ともいえる「屋外露天保存」から「屋根付き保存」に変えた自治体もあります。


つまり、これからの地域の歴史文化財を守るためには、「ファン」だけでも「地域の人々」だけでも「行政」だけでもいけず、「ファンと地域の人々と行政すべての繋がり=三位一体」の考えが無くしては成り立ちません。




東日本大震災では、沿岸部の多くの方々が「見慣れた何気ない故郷」を失いました。

太平洋戦争では、日本の多くの方々が「見慣れた何気ない故郷」を失いました。

自然風景は大きく変わる事はありませんが、人の作ったものとは儚く脆いものです。

しかし、自分の家族やご先祖様たちが生まれ生きた時代から「街の風景」として自然に溶け込んで存在し続けているものを「歴史文化財」と認識している地域は、そうした大切もの、つまり「歴史=人々の人生」を守ろうとする人々の活力にあふれています。


だからこそ私たち保存会が守りたいものは単なる「蒸気機関車」ではないのです。

【過去】

戦前・戦中・戦後の時代を歩んだ蒸気機関車が背負った深い歴史と、蒸気機関車がその地域に遺された当時の人々の想い

【現在】

できることならば蒸気機関車を遺したいという今を生きる人々の想い

【未来】

蒸気機関車を見て喜ぶ、これからこの地で生きていく子供達の笑顔


このように、過去を振り返り、現在を見つめ直し、未来を考えることができなければ、蒸気機関車に限らずもっと本質的に大事なものを私たちは見失ってしまうのかもしれません。




11月に入り、大崎市では解体方針に従い予算要求を担当課より行います。

これが承認されれば、来年度から順次に中山平・岩出山・西古川と蒸気機関車シゴハチたちの姿が消えていきます。

しかし今ならまだ立ち止まって、やりなおせるチャンスはあるのです。

その動きを変えるのも変えないのも、大崎市に生きる私たちの声次第です。