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紀尾井文学会

活動報告 上田早夕里先生講演会『人類とSFの未来』

2020.11.11 08:00

 2019年11月2日(土)から4日(月)にかけて、本学上智大学では「ソフィア祭」が開催されました。当会はその中日の11月3日(日)に、SFを中心にご活躍なさっている作家・上田早夕里先生をお招きして講演会を開催しました。

 作品に込められた思いや独特の創作論、SFというジャンルを取り巻く諸問題などとお話は多岐にわたり、会場は大いに盛り上がりました。ご講演のあとにはご来場いただいた方々との質疑応答やサイン会なども展開し、イベントは盛況のうちに幕を閉じました。

 ご登壇を快くお受けくださった上田先生、またご来場いただいた方々に心より感謝申し上げます。

 以下はそのご講演内容の抜粋になります。ぜひともご覧ください。


【作家紹介】

上田早夕里(うえだ・さゆり)

2003年『火星ダーク・バラード』で第4回小松左京賞を受賞。同作の他、『華竜の宮』に代表される「オーシャンクロニクル・シリーズ」や「百目シリーズ」、「洋菓子シリーズ」といったシリーズ作品の他、短編、長編を問わず現在も定期的に著作を発表している。2011年『華竜の宮』で第32回日本SF大賞を受賞。近著に『破滅の王』(第159回直木三十五賞候補作)などがある。宇宙作家クラブ会員。

【▽公式サイト】


 ――先生の作品を何作も読ませていただいているんですけれども、先生が作品全体を通して意識していらっしゃるテーマとは、どのようなものなのでしょうか。


上田先生:

 テーマはありません。小説というのは、物語が生まれる状況があって、人間の動きがあって、そこから予想される結末や未来像があって――つまり、そこへ至るまでの過程を逐一書いていくものだと思っているので、テーマを決めて何かを書くということはない。でも、一つだけ意識しているのは……なるべく多くの視点から書きたいという気持ちはありますね。いわゆる、三人称多視点という書き方です。いろんな登場人物がいて、ものの考え方が人によって全然違っていて、違う視点を持った者同士が衝突したり和解したりする、そういうことはとても意識しています。




 ――「洋菓子シリーズ」であったりとか、妖怪モノ(「百目シリーズ」)であったりとか――また、やはりSFということで機械の技巧であったり、舞台がジャングルであったり、宇宙もテーマにしていたりと、本当にものすごく幅広いジャンル、モチーフでお書きになる作家さんだと感じました。それぞれの世界観を選択される時に何か意図とか、思い入れなどはあるのでしょうか。


上田先生:

 これは書き手によって異なるはずですが、私は世界観や設定でものを書く作家ではありません。たぶん、設定や世界観がどうしても必要になるのは、多くの場合、クリエイターが集団で作るタイプの作品です。実写映画、アニメーション、ゲーム。たくさんの人が集まって作業するときには、メンバーがそれぞれに違うイメージを持っていると、作品に統一感がなくなってしまう。それを防ぐために、最初に共通のイメージを作って確認し合う。それが設定や世界観と呼ばれるものだと思うんですね。

 小説の場合は、データの入力も出力も、作家個人が全責任を負っている。最も必要なのは、作家個人の身体が、現実の社会をどのような目で見ているかそこから未来をどう想像しているのか、あるいは現実の社会や世界に対して、自分がこれまでどんな働きかけをしてきたのか、そのことでどんな失敗をしたとか成功したとか、おもしろかったとかつまんなかったとか悔しかったとか――そういった感性そのものです。作家の視点やものの考え方のほうが、世界観や設定よりも先に必要です。




 ――表現や文体、構成方法などで特に意識していらっしゃることはありますでしょうか。


上田先生:

 複雑なことは複雑なまま書くというのを、一つの方法として、みなさんには試してほしいですね。複雑なものを単純化しようとしたり、うまい言葉で簡単にまとめようとすると、繊細な部分が抜け落ちて、かえってわかりづらくなってしまいます。見たまま、感じたままに、複雑に感じることは複雑なままに書いてください。そのためにも、文体はシンプルな方がいい。ただし、複雑なことを複雑な文体で書いて成功しますと、文学史上に残る大傑作になる可能性もありますので、自信がある方はやってみてください。




 ――先生はどのようなプロセスを踏んで小説を書いていらっしゃるのでしょうか。


上田先生:

 ものすごく特殊なことをやっておりまして……。創作講座に招かれたりすると、一応説明はしますが、いつも、「それは普通の人にはできません」と言われてしまうんです。

 私は、最初に全体像をイメージしてからでないと書きだせない作家です。興味を持ったことや資料で調べたことを頭の中で混ぜて、しばらく待っていると、ある瞬間に突然、全体が一度に降ってくる。

 この時点ではまだ細部ができあがっていませんので、全体のあちこちに接近していきます。望遠鏡で対象を見る、あるいは、顕微鏡で小さなものを観察するイメージで、細部に近づいていく。ちょっと抽象的でわかりづらいかもしれませんが、頭の中にそういうイメージがある。そうやって観察した中から、特におもしろいと思ったものを抽出して、並べていく。すると、いつの間にかストーリーができあがっている。

 そして、必要なエピソードとその見せ方が決まったところで、ようやくエディターを立ち上げて、実際の文章を打ち込んでいく。書く段階になりますと、たくさん情報が加わってきますので、例えば50枚で書いてくださいと言われたら、下書きは、70枚、80枚と増えていくんですが、オーバーした分は、どんどん削っていきます。文章を簡潔にすることで情報密度をあげていく。私の執筆は、書いているというよりも、情報を圧縮していく作業がものすごく多くて、そのために、ひたすら削り続けているという感じです。



 ――先生の作品は史学や民俗学、自然科学などの学術的知識に基づいたものが多いように感じられます。『深紅の碑文』でも、宇宙船開発に携わっている方にも取材されていたと巻末のコメントで拝見しました。作品づくりにおいて、こういったプロセスには何かこだわりとかはありますか。


上田先生:

 私の場合、小説を書くために資料を集めるのは、作家的なこだわりというよりも、「現実に存在することを無視してものを書くと、その世界で実際に生きている人に対して失礼じゃないのか」という気持ちがあって、技術の問題ではなく礼儀の問題が大きいのです。その時代や社会を実際に生きて、それを経験した人に対して、どこまで礼儀を払えるのかということで、これは個々の作家が基準を決めればいいでしょう。

 資料というのは掘っていくときりがなくて、「いったいどこで止めればいいのですか」という質問もよく受けますし、実際私も資料を集めていて「どこまで調べればいいんだろう」と感じることはあります。どこかで「ここまで」と決めなければならない。その「ここまで」という線引きは、作家自身にしか決められませんので、作家の考え方で決めていい。自分の手が届く範囲内で、おもしろい作品を作ることが一番大切です。小説を書いていると、「こうしなければならない」とか「こうするべきだ」と横から口を挟む人がときどき現れるのですが、まずは自分が楽しいことが一番です。そして、楽しいだけで済まなくなったときに、次の行動を、自分の価値観で決めてください。




 ――創作は一人でする作業ですから、「自分の書いているものは正しいのか、おもしろいのか、人に受け入れられるのか」と不安になってくる瞬間があるかもしれないと思うんですけれども、先生のご経験として、そういった迷いとか苦しみとかを感じたことはあるのでしょうか。


上田先生:

 他の作家さんはどうなのかわかりませんが、私に限っていえば、書くことを苦しいと思ったことは一度もありません。道しるべがないとか、暗闇しか見えないとか、何かを克服しなければならないとか、そういうのが全然ないんですよ。答えになっていなくて申し訳ないのですが、書くことが楽しく楽しくてしかたがない

 スランプも経験したことがないんです。ものを書くのが嫌になったことが一度もない。むしろ、書きたいことは山のようにあるのに、人間には寿命があるので、急病で倒れたり、事故に遭ったりしなくても、あと十五年ぐらい経ったら自分の人生が終わってしまうことが、もういまの時点でわかっている。全てを書き終えないうちに死んでしまう、それだけがものすごく心残りです。こればかりは人に譲るわけにはいきませんので、本当に残念です。




 ――最後になりますが、来場者の皆さまに向けて、何かメッセージがあればぜひお願いします。


上田先生:

 たぶん今日お越しになった方の中には、何かおもしろい本を読んでみたいけれど、どこから読んでいいのかわからないという方も、結構おられるのではないかと思います。最近は出版ペースが速くて大量の本が書店に溢れておりますので、自分の好みに合ったものを探そうと書店へ行っても、どれがいいのかわからなかったり、最初に出会った本があまり合わなくてそれで投げ出してしまったりとか、そういったこともあると思うんです。

 そのような方には、最初に読んだ一冊をあまり重視しないほうがいいと、お伝えしたいです。それは、物差しだと思ってほしいのです。最初に手に取った一冊は、二冊目を選ぶための物差しにしてください。最初の一冊がおもしろかったら、同じ作家や同じジャンルの本を読むといいでしょう。逆に、おもしろくなかったときは、正反対のジャンルの本を探してみて下さい。小説はつまらないな、と感じたら、ノンフィクションを読むという道もあります。

 図書館はどんどん利用してください。私は子供の頃から図書館にお世話になってきたので、本といえば、書店と共に必ず図書館が思い浮かぶほどです。図書館に入っている書籍は評価が定まっているものが多いので、歩いて棚を見ているだけでもおもしろいし、パッと手に取ってパラパラとめくってパッと戻すという、そういう気軽に本を手に取る場所として、最高の環境だと思うのです。図書館に接する機会が多いうちは、何でもいいので、いろいろと手に取るのがいいですね。

 それからもう一つ、小説の書き方を知りたいという方も今日はお見えになっていると思いますが、まず、何かを読んでから書いてください。よほど特殊な体験をしているとか、別の分野で得意なものがある場合でもない限り、何も読まずに小説を書くのは非常に難しい。他人の作品に夢中になったことのない人間が、他人をおもしろがらせる作品を書くのは難しいことです。最悪、一作二作書いただけで行き詰まってしまう。それでもいいという方は構わないんですが、長く書き続けたいのであれば、他の作家が書いた作品をある程度読んでください。

 どうして先に読んでおく必要があるかというと、「おもしろい」と感じる現象には、法則性みたいなものがあるんですよ。技術でなんとかなる部分が多い。技術的な部分、いわゆる工学的な部分というのは、他人の作品を読むことで身に付きます。

 あとは、最初にも話しましたけれども、個人としてのものの見方を、とても大切にしてほしいです。小説はひとりで執筆するものですから、どこまで自分を自分で信用できるかが、書き続けられるかどうかの分かれ道になります。最終的には、そこしか強みにならないと言ってもいいほどです。自分を信じる核を持てるかどうかというのは、小説を書かなくても人生の中で必要になる瞬間がありますので、とても大切にしてもらいたいです。


最後までご覧くださりありがとうございました。

WEB記事として再編集するに際してもご協力いただきました上田先生へ重ねて御礼申し上げるとともに、早川書房の編集者のお二方にも多大なる感謝を申し上げます。


(文責 佐藤)