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マタギ 矛盾なき労働と食文化
内容紹介 秋田・阿仁地区に住む現役マタギたちの猟や生活風景を撮影したカメラマンの16年の記録。マタギのアイデンティティーは山と共に暮らす生活スタイルにある。彼らは熊やウサギ、川魚、茸など、山にある様々な恵みをいただいて命をつなぐ。しかし時代が変化し、マタギは消えつつある。そんなマタギの今を写真に捉えることをライフワークとしたカメラマンが贈るフォトエッセイ。 著者からのコメント マタギは何故熊を撃つのか?食べるためである。 マタギは何故熊を食べるのか?生きるためである。 雪深い北東北の山中がマタギ発祥の地。住むに不便極まりないと思われがちな山里。 しかしこの地は江戸時代の飢饉にも餓死者を出さなかった。それは何故か? マタギ、山の民の知恵があったから。深い広葉樹の森から自由に食べ物を取り出せたから。 何もかもを世界中から持ってくるグローバルな経済社会の対局がマタギの暮らしだった。 閉じた空間は小さな地球そのものである。だからマタギは地域を守った。それが自分達を守る事につながるから。 本書では古のマタギは出てこない。今現在息をしているマタギ達の記録である。 熊を追い、撃ち、解体して食べる。それは単に肉を得る行為ではない。 マタギの共同体を維持するために必要な儀式である。それがあって厳しい自然環境の中で生き抜く結束が生まれる。 集団が維持できてこそ様々な技術も伝承される。山菜、キノコ、多様な川魚の捕り方。 生きる力、知恵を守り伝えてこそ地域は生き残れるのだ。熊やウサギを食べるのは何もカロリーの為だけではなかった。 マタギは今消えようとしている。マタギの里からマタギが消える日はそう遠くない。 著者について 1959年
長崎県佐世保市生まれ。
島根大学農学部→日本写真学園→フリーランス。
西表島から知床半島までの津々浦々を巡り歩く取材者。
特に地域の食文化、生活、農業、漁業、伝統産業や手業等を幅広く長年に渡り取材してきた。
その様な取材活動の中から疲弊する地方地域を殺さない方法は何かと常に考え続ける。
そのカギは決して外部ではなくあくまでもその地域にあると確信している。
それをどのように具体化するのか。
この本の舞台となった秋田県北秋田市阿仁地区で"マタギ自然塾"という形で実践している。
マタギ 矛盾なき労働と食文化を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
再掲田中氏(1959-)が秋田の阿仁に通いつめて写し、綴ったマタギの世界。狩猟という人間の最も基本的な生活文化が徐々にそして確実に消え去ろうとしている現在、その文化が消滅することが何を意味するのかが逆に浮き彫りにされてくる。生きるために食う。そしてそれは自然の恵みとして、森の恵みとしての人間の普遍の姿でもあるだろう。本書は熊狩り、ウサギ狩り、ジャガク(冬の川での漁)、岩魚釣り(漁の方が的確かな)、山菜や茸狩り等を通じてマタギの生活(生業ではなく主に副業あるいは文化として)を描きだしている。田中氏は書く「山は多くの恵みをもたらしてくれたが、マタギの命も簡単に奪い去られる。生きるために山に入り、死と向かい合った時にマタギは神を感じたのだろうか。私が思うに、マタギの精神世界の根本は死である。生きるための死である」また、最後に田中氏は学術的なアプローチを行っていない理由として、先人達には及ばないし、学術的な興味がないと書かれる。しかしである。すでに本書が学術的意味を持っているのである。三角寛のサンカ研究の不備は指摘の通りであるが、けっしてマタギ学が成り立たない理由にはならないはずだ。山の民の歴史的背景や文化伝承の研究が我々日本人あるいはそれ以前の我々の先祖からの多くの恵みを含んでいるのではないだろうか。根深誠さんも決して学者ではないが青森のマタギの村を書き綴っていたと思う。田中氏の今後さらなる本分野での活躍を祈らずにはいられない。