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「美」と「醜」の境界線

2020.10.30 04:34

こんにちは、ナツコです。

今日はわたしの嗜好について。


わたしは美しいもの、を心底愛して求めていますが

「美しくないもの」にも

実は心惹かれます。


絵画や映画、美術作品など、

わたしが反応してしまうのは

「美しいだけ」のものではなく


美しさとグロテスクさが混じっているもの。


先日訪れた「フラワーゾンビ展」の作品は

その象徴かもしれません。



醜怪なもの、は

最初から醜かったのだろうか?

わたしには、

「醜怪さ」「怖さ」とは、


「悲しみ」や「怒り」が

長い時間をかけて研ぎ澄まされ、濾されていく

過程で成型された抽出物。そんな気がします。


「フラワーゾンビ展」の絵画を見た瞬間、

コッポラの映画「フランケンシュタイン」

「ドラキュラ」が脳裏をよぎりました。


「フランケンシュタイン」では

美しかったヒロインが、愛情と狂気の間で

醜い人造人間へと変貌させられてしまう。



「ドラキュラ」は、ヒロインが魅了される伯爵が

実は醜怪な吸血鬼だった。


ところで、

「陰陽」のシンボルはご存知ですか?




100%「陽」はありえないし

100%「陰」もありえないように、



「美」の中に微かに含まれる「醜」を

「醜」の中に微かに含まれる「美」を

無意識に嗅ぎ取り、惹かれるのかもしれない。


そして、「陽きわまりて陰となす」

があらわすように

美しさを極めようとすると

そこにそこはかとない「グロテスクさ」が

漂ってしまうのかもしれない・・

某美しい姉妹のように。