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のらくらり。

右手を握り、祈りを捧げる

2020.10.31 06:34

孤児だった頃に弟の看病をするウィルイス。

アニメでのウィリアムは深く寝入ることはないと知って、ルイスの発作が原因で深く眠れなかったのかなぁそうだったら良いなぁと思ったお話。


右肩に感じる温もりと右手に感じる力強さに、擽られるような愛おしさと満たされる気持ちを実感する。

ちらりと視線をそちらに向ければ、鮮やかな金色の隙間に高い鼻筋が見えた。

規則正しい呼吸が聞こえるから、ルイスの肩に凭れているウィリアムは間違いなく寝入っているのだろう。

いつも忙しくしている兄がぐっすりと眠る姿はルイスに安堵を与えてくれるが、決して離すまいと握りしめられた右手には思わず苦笑してしまう。

座っているよりも横になった方が良いだろうと手を離そうとしてみても、とても眠っているとは思えない力で絡み離してくれないのだ。

仕方なくルイスはこのままウィリアムを支えながらソファに座り込んでおり、早一時間が経過していた。


「…おや、ウィリアムはまた眠ってしまったのかい?」

「アルバート兄様。はい、ご覧の通りです」

「ふ、相変わらずだな」


リビングとして使っている応接室にいた弟達の元へアルバートが静かにやってくる。

新しく建てたモリアーティ家において、ウィリアムが寝落ちてしまう光景は極々ありふれたものであるため、アルバートも心得たように小さな声でルイスへと問いかけた。

その問いかけも断定的ではあるけれど、ルイスも面倒に思うことなく苦笑しながら彼を見る。

そんな弟達の間で繋がれた手を微笑ましく思いながら、アルバートは向かいにある一人掛け用ソファへと腰を下ろした。


「近頃忙しくしていたようだからさすがに限界だったんだろうね」

「えぇ。もう眠ってから一時間ほど経つので、そろそろ起きるかと思うのですが」

「休めるうちに休むことも必要だよ」

「…そうですね」


静寂な空間の中、二人の声はよく響く。

けれど物腰穏やかな声はウィリアムの眠りを妨げるものではなかったようで、依然として静かな寝息を立てたままだ。

ルイスは握られた手に同じだけの力を込めて、ウィリアムの頭に少しだけ頬を寄せて瞳を閉じた。

思い出すのはこうして兄弟三人で過ごすようになる前、モリアーティ家に引き取られるよりもずっと昔のことである。


「兄さんがこんなにも深く眠るなんて、少し前ならとても信じられないことでした」

「そうなのかい?僕が知る限り、ウィリアムは頭を働かせた後によく眠っていると思っていたが」

「今の兄さんはアルバート兄様が仰るように、疲れた脳の回復のためによく休んでいます。…ですが、兄様に拾われる前も拾われた後も、兄さんの眠りはとても浅かったんです…僕の、せいで」

「…ルイスのせい?」


ぽつりと、どこか悔しそうにルイスが呟く様子をアルバートは怪訝な顔をして見つめている。

ルイスの存在とウィリアムの睡眠と、一体どう影響するのか想像が付かなかったのだ。

けれどアルバートの反応は予想通りといったように、ルイスは彼の方を見ることなく視線を落としたままだった。

ウィリアムの温もりを分け与えられているルイスはその寝息を感じながら、赤く澄んだ瞳をアルバートの方へとゆっくり向ける。

大人と子どもの狭間にいるはずのルイスの顔は今この瞬間、驚くほど憂いを帯びて大人じみていた。


「兄様はご存知ないと思いますが、手術をする前の僕はよく発作を起こしていたんです。手術が終わってからも、しばらくの間は落ち着きませんでした」


淡々と語られる過去にアルバートの表情は暗く沈む。

孤児であった頃、ルイスの心臓が正常に機能していないまま院で長く過ごしていたことをアルバートは知っている。

けれど具体的な症状に関して知ることはなく、衰弱した体の回復を待ってから手術を受けた以降は健康な状態なのだと思っていた。

ウィリアムは心配していたけれどルイスは平気そうな顔をしていたし、ウィリアムがただ過剰に心配していただけだと、アルバートはそう認識していたのだ。

事実、二人はとても仲の良い兄弟で、ウィリアムはルイスのためならば自分の身を傷付けることにも一切の躊躇がない。

ルイスの右手と繋がれているウィリアムの左手には今もその証たる跡が残っているのだ。

仲が良いという表現では足りないほどの関係が二人にはあるのだから、術後のルイスを慮るというのはウィリアムにとっては当然のことだと思っていた。

だが実際はアルバートの目が届いていなかっただけで、術後もルイスの心臓は危うかったという。

気付けなかった自分を悔やむように、アルバートは目元を歪めてルイスを見る。


「そうだったのか…すまない、気付くことが出来なくて」

「いえ、兄様が謝ることではありません。兄様のおかげで僕は今生きていられるのですから」

「だが…」

「あの頃の兄様は自由に行動出来ませんでしたし、僕も隠していたので」


伸ばし始めた前髪を揺らすように顔を傾け、ルイスは儚げに微笑んだ。

くすんだ金色と深い赤色、そして真っ白い肌に浮かぶ爛れた傷跡は、そのどれもが憂いを帯びた今のルイスに見合うものだった。




今でこそウィリアムは、使いすぎた優秀な頭脳を休めるためならばどこであろうとすぐに寝てしまう。

深い眠りに就いたウィリアムを起こすのは至難のわざで、けれども疲れた彼を起こすつもりはルイスもアルバートにもなかった。

始めのうちは驚いたけれど、長く起きて貪るように知識を吸収しては頭を働かせているウィリアムにはそれが必要なのだと、そう認識してからはむしろ安堵さえしたものだ。

そうでなければ、ウィリアムはいつまでだって頭脳を酷使してしまうのだから。

だが、疲れたらどこでも寝落ちてしまう彼の悪癖はここ最近になって現れ出てきた。

ウィリアムがウィリアムを名乗る前、ルイスとともにモリアーティ家に引き取られるよりも前であるならば、ウィリアムの睡眠はとても浅く短いものだったのだ。


「っ、はっ…は、ぅ…」

「ルイス!」

「に、ぃさ…ぅ、く…」


ルイスは親に捨てられて兄と二人で生きていた頃、とても体が弱かった。

家を出た頃はそうでもなかったはずなのだが、貸本屋や図書館に潜り込んで生活するようになってからは一際体が弱くなってしまったのだ。

特別風邪を引いたわけでもないのに常に体が重く、少し走るだけでも胸が軋んで痛くて苦しくて堪らない。

なるべく気にしないよう過ごしていたというのに、しばらく経つとそれは夜になると顕著に調子を崩すようになってしまった。

毎夜の如く左胸を中心に体が悲鳴をあげてしまう。

疲れやすい体と冷たい手足と合わせて、心臓が悪いのだと気付いたのはルイスよりも兄が先だった。

ルイスよりもルイスに詳しい彼は、様子のおかしい弟の姿を見逃すことはしなかったのだ。

すぐに慈善事業として協会へ往診に来ていた医師の診察を受けさせたけれど、ろくな設備もない場所では簡単な問診と聴診しか許されなかったというのに、それでもその心臓は随分と音が乱れていることが分かってしまった。


「ルイス、ルイス…大丈夫かい?」

「だ、いじょうぶ…ふ、ぅ…」

「ルイス…ごめんね」


心臓が悪いと分かっても、金も伝手もない最下層の孤児兄弟では治療どころか精査すら受けることが出来ない。

だがいつかは必ず治してみせると決意する兄とは違い、ルイスは毎夜訪れる発作に耐えることで精一杯だった。


「ふ、ぇ…にぃさ…うぅ〜…!」

「ルイス、僕が付いてるからね」

「うぅ〜…ふ、ぅく…」

「ルイス…ルイス」


ルイスを襲う発作はいつも夜に訪れた。

まるで安寧であるはずの睡眠を妨げようとするかのように、深く寝入る直前にはいつも心臓が強く軋み始めてしまうのだ。

痛くて苦しくて心細い。

まるでこの世界でルイスが一番不幸なのだと思い知らすように体がつらくて堪らない。

兄の言う通り少しでも楽になれるよう体を丸めて深く呼吸をするけれど、それでもやっぱり完全には楽にならなくて、自分の心臓は欠陥品なのだと現実に突き詰められている気分だった。

せっかく心の詰まる家を出て兄とともに生きていけるのだと思ったのに、それが叶わないという現実にルイスの視界は霞んでくる。

夜なのだから本当はゆっくり休むべきなのに、ルイスは発作が落ち着いた後で気絶するように眠ることしか出来なかった。

そして暗い中で突然訪れる発作に苦しんでいると、いつもすぐに兄がそばへ来てくれる。

ルイスが苦しさを感じるとすぐにその右手を握って優しく支えてくれるのだ。


「にいさん、にいさん…ふ、ぇ…」

「ルイス」


冷たいルイスの手を温かい両手で祈るように持ち上げて、兄は気丈に笑みを浮かべては弟の名を呼ぶ。

その声とその体温にルイスはとても励まされ、何とか発作を耐えてきたのだ。


「兄さん、ごめんなさい…いつも起こしてしまって…」

「良いんだよ、ルイス。苦しいね、つらいね…ルイス、ルイス」


発作は長くは続かない。

ようやく落ち着いたように瞳を見開くルイスを見て、兄もようやく心から安心するのだ。

呆けたように息を吐き、小さな顔に浮かぶ汗を指で拭いながら青白い頬に唇を落とす。

冷えた頬は悲しいほどに体温を感じられなくて、日々ルイスの心臓が悪くなっているのだと思い知らされるようで心が痛む。

大事な弟が苦しんでいるというのに、兄である彼は何も出来ることがないのだ。


「ごめんね、何も出来なくて…」

「兄さん…」


兄さんは悪くありませんと、ルイスは静かに瞳を伏せて握られている手に力を込める。

けれどそれはとても弱々しくて、もはや首を振って否定することも億劫なのだと兄は気付いていた。


「…ルイス」


ルイスの心臓を治療するに当たり、金の用意は出来たとしても孤児の身分では医者の伝手を用意することは困難だ。

それを知っているからこそ兄は己の無力さに気持ちが沈み、ルイスはもう自分の心臓が治ることはないのだと覚悟している。

せっかく家を出たのだからずっと一緒に生きていたかったけれど、いつまでも夢を見ていても仕方がない。

この大英帝国において、身分のない人間は夢を見ることさえ許されないことを知っているのだから。

だからだいすきな兄の心臓が問題ないのであればそれで十分だと、今のルイスは自分よりも兄の無事を嬉しく思っているほどだった。

けれどせめて、この痛く苦しい時間が減ってくれるのであれば兄の睡眠を邪魔することはないのにと思う。

毎夜の如く起こしてしまっては兄も十分に休めないだろうと、ルイスは申し訳なさそうにもう一度謝った。


「起こしてしまって、ごめんなさい」

「良いんだよ、ルイス。もう大丈夫かい?」

「はい。もう、大丈夫…」

「良かった」


朝と昼は起きていて、夜は発作で思うように眠れない。

それがほとんど毎日の出来事だった。

これでは兄まで体を壊してしまうとルイス一人で発作を耐えようとする日もあったけれど、どんなにルイスが声を押し殺して静かに時間が過ぎるのを待っていても、すぐに兄は起きてしまう。

同じベッドで眠るからバレてしまうのだとそれとなくベッドを分けてみても、兄はルイスが少しでも苦しむと必ずその目を覚ますのだ。

まるでルイスのことは何でも分かるのだと、無条件に体が反応するかのようにパチリと緋色の瞳を光らせて起き上がってしまう。

それがルイスには有り難くも悲しくて、どうして良いのか分からなかった。

暗闇で一人恐怖に苛まれるよりも兄に手を握られている方が断然心が落ち着くけれど、無理がたたって兄まで病気に罹ってしまったら死んだとして悔やんでも悔やみきれない。

自分が長く生きられない分、兄には長く生きてほしいと思うのだ。

けれどこのままではそれすらも叶わないかもしれない。

どうしよう、どうしたら良いのだろう。

今夜もやっぱり兄は起きてしまって、ルイスは握られた右手の温かさを感じながら頭を働かせる。

けれど弱った体と疲れた思考では考えがまとまらず、徐々に瞼が降りてきてしまった。


「眠れそうかい?よく眠るんだよ、ルイス」

「ん…にいさんも、ねてくださぃ…」

「あぁ、おやすみ」


まだ僅かに軋んでいる心臓よりも眠気が勝ってしまったようで、ルイスは促されるまま瞳を閉じる。

そうして右手を握る兄に見守られる中、ルイスは弱っていく体に少しでも休息を取るべく深い眠りに落ちていった。


「…ルイス」


兄は真っ白い顔で眠る弟を静かに見つめ、そっと胸に手をやってはとくりと動く鼓動を指で感じる。

眠ってしまうと生きているかどうかが不安になってしまう。

このまま目が覚めないのではないかと不安になってしまう。

けれどルイスの心臓は今も懸命に動いていて、ちゃんと生きているのだとこの指先に教えてくれた。

一刻も早く治せる日が来てほしいと、信じてもいない神へ祈るように小さな右手を握りしめる。

そうしてようやく少しだけ温まったその手を毛布の中へと戻し、兄は自分のベッドへと戻り弟の顔が見えるよう横を向いてベッドに寝そべった。

眠気は少し来なかった。

弟の心臓が悪いのだと分かった日から彼は不安で眠れない時間が長くなり、たとえ眠ったとしても心配で眠りが浅くなってしまう。

ルイスが懸念するように兄の体には確実に睡眠が足りないけれど、自分の体よりも何よりも、彼はルイスのことが一番大切なのだからつらいと感じたことはない。


「っ…〜…!」

「ルイス!大丈夫?水を一口飲もうか」

「ぅ、え…く、っ…」

「ルイス、ほら…」


今日も昨日もその前も、いつだって兄は献身的に弟の看病をする。

それしか今の自分に出来ることはないのだと理解しているし、少しでもルイスの苦しさが楽になってくれるのならば自分の身を削ることなど何の苦でもなかった。

苦痛に満ちた表情で荒く息をするルイスの背をさすり、じわりと浮かぶ汗を拭いながら優しく名前を呼ぶ。

患った心臓が良くなるわけではないけれど、それでルイスの苦しみが和らぐのであれば兄は何でもしたいと思うのだ。


「にぃさん…ごめんなさい…」

「大丈夫だよ、ルイス」

「心配かけて、ごめんなさい…」

「ルイス」

「にぃさん…」


ルイスが兄の体を気遣って一人で耐えようとする気持ちも、申し訳なさから謝ってしまう気持ちも、そのどちらもよく理解出来る。

同じ立場であれば兄も弟と同じように隠して耐えてしまうだろうから、痛いほどにルイスの気持ちが分かるのだ。

けれどそんなことを気にしなくて良いのだと伝えるように、兄はルイスの額に手をやって優しく微笑む。

無力な自分に焦る気持ちを隠しながら、ルイスの不安を少しでも消すために兄はいつも微笑うのだ。


「ルイス、僕が付いてるからね」

「…にい、さん…」


頼ってほしいと思うし支えてあげたいと思う。

大事な弟なのだから、自分に出来る限りのことをしてあげたいと思う。

それは義務でも何でもなくて、心から自分がしたいと思える最良の行動なのだ。

ルイスは兄の笑顔を見て僅かに胸を押さえた後、ほっとしたように口元を緩めては浮かんだ涙を払うことなく瞳を閉じる。

長い睫毛には小さな滴が彩られていて、月明かりの中で綺麗に反射していた。


「ルイス…」


小さな呼吸が規則正しい寝息になったところで、やっと兄は本心からの笑みを浮かべる。

付き纏う不安は消えないけれど、ルイスの苦痛が取れたのならばまずは一安心だ。

目元に残る涙の跡を消し去るように唇を寄せてから、彼はしばしの休息を取ろうと薄い毛布に包まれ瞳を開け続けていた。


苦しみながらも兄の健康を願う弟と、自分のことよりも弟の安寧を優先する兄に転機が訪れたのは、モリアーティ家の長子に引き取られてからのことだ。

当主の見栄と体裁ゆえに連れられたのだとすぐに分かったけれど、それでもルイスに治療の機会を与えてくれたのは本当に幸運だった。

長く生きることは出来ないだろうと思っていたルイスと、絶対に治療を受けさせると決めていたけれど消えない不安に苛まれていた兄の懸念を、どちらも払ってくれたのだから。

術後しばらくは残る発作とともに傷の痛みがルイスを襲ったけれど、手術を受ける前よりも格段に苦痛は減った。

傷の痛みには鎮痛剤が使えたし、毎夜の発作は数日毎になったおかげで数年ぶりによく眠れたのだ。

ちゃんと眠るだけで随分と体の調子は違うのだと、ルイスは感動したものである。

おかげで兄が夜に飛び起きることも減ってきて、けれどもたまに起きる発作のときには必ず目を覚ましてルイスの右手を握りながら落ち着くまでずっとそばにいてくれた。

自分の心臓が良くなったことよりも、兄の睡眠を邪魔する夜が減ってきたことがルイスにとって一番嬉しいことだ。

死ぬことなく大人になれるのだという実感は湧かないけれど、自分のせいで兄の体に無理をさせることが減ったのだという事実こそが、手術がルイスに与えた最大の幸福だった。




「それまでの僕は兄さんの睡眠がこんなにも深いものだと知りませんでした。兄さんはいつだって僕よりも遅く寝て、僕よりも早く起きて、僕が発作に苦しむとすぐに起きてくれる。…それが普通だったから、本当はこんなにも深く眠る人だとは思いもしなかった」

「なるほど…」


小さな声でアルバートに話をするルイスの右手を握りしめたまま、ウィリアムは未だ瞳を閉じている。

あの頃はルイスがどんなに声を押し殺してもすぐに起きてきたのだから、今この状態でも眠り続けているウィリアムの姿はまるで偽りのようだった。

けれど本当はこれこそがウィリアムの本当の姿で、あの頃の彼はルイスのことで神経を尖らせていたからゆっくり休むどころではなかったのだろう。

もう発作を起こすこともなくなり、傷の痛みも完全に癒えた頃。

ルイスがいつも通りに起きて隣を見るとウィリアムはまだ眠っていて、珍しいと思いながら起こそうとしても起きずに寝入る兄の姿を初めて見たとき、ルイスはやっと気が付いたのだ。

兄が持つ類稀なる優れた頭脳には相応の休息が必要で、自分がそれを奪っていたのだと初めて気付いてしまった。

眠らなければ体調を崩してしまう、どころではない。

ウィリアムの頭脳を発揮するためには良好な睡眠が何より必要だったのに、知らなかったとはいえ、ルイスの心臓が無自覚にそれを奪ってしまっていたのだ。


「僕の体が弱かったせいで兄さんはよく眠れていなかったんだと、そう気付いたときには酷く落ち込みました。あの頃から兄さんを頼る人はたくさんいて、誰の相談にも兄さんは解決を導いていたのに、僕がいたからちゃんと休めずいつも疲れていたんだろうなと…そう思うと、今でも悲しくなります」

「…ルイス」


ウィリアムと、そしてアルバートのおかげでもうルイスの心臓は随分と調子が良い。

まだ完治を言い渡されてはいないけれど、定期的な検診ではいつも問題のない診察結果を言い渡されている。

ようやく大人になる実感を得て、ウィリアムが望む世界を目指すために頑張ろうと思えるようにもなったけれど、だからといって過去が消えるわけではない。

疲れた素振りなど一切見せなかったあの頃の彼は、本当はずっとずっと、ルイスのせいで疲労が蓄積されていたのだ。


「だから今、兄さんがこんなにも深く眠っている姿を見ると嬉しくなるのと同じくらい、あの頃の自分の不甲斐なさを思い出して複雑ですね」


過去を変えることは出来ないのだから後悔しても仕方がないけれど、それでも悔しくて悲しいのだとルイスは寂しげに笑う。

自分のことに手一杯で兄の様子に気付けなかったあの頃のルイスを責める人は誰もいないだろう。

だからルイスは自分で自分を責めるのだ。

誰よりそばにいてくれた人の異変に気付けなかった自分の不甲斐なさを、ルイスは今でも悔いている。

今までずっと一人抱えていた後悔を、きっとアルバートならば受け入れてくれるだろうと思わず口にしてしまったけれど、ルイスが思った通り彼は神妙な面持ちで静かにルイスを見つめていた。


「…頑張ったね、二人とも」

「いえ、アルバート兄様のおかげです」

「ルイスの心臓が治って本当に良かったと思う。ウィリアムも、きっと同じ気持ちなんだろうね」

「…そうですね。手術が終わったとき、僕よりも兄さんの方が喜んでいましたから」

「はは、そういえばそうだった。懐かしいね、あのときのウィリアムは」


まだ家族にも兄弟にもなれていなかった頃を思い出しながら、アルバートとルイスはウィリアムを起こさないよう小さく笑う。

けれどそんな配慮は不要だったらしく、ルイスの右手を握っていたはずの手は一層の力が込められて静かに睫毛が揺れていた。


「…ルイス」


鮮やかな緋色を見せながら瞳を開けたウィリアムは、向かいにいるアルバートに目を向けてからルイスの名前を呼んだ。

そうして僅かに違う色合いの瞳を覗き込むように、互いの額を重ね合わせる。


「兄さん、起きたんですね」

「ルイス。あの頃の僕は、ルイスがいて迷惑に感じたことなんて一度もないよ」

「…っ…」

「君が苦しい思いをしているのに何も出来ない自分を嫌ったことはあるけれど、ルイスがつらいと思うときにそばにいられて、僕は嬉しかったから」


そろそろ起きるだろうと思っていたから話を聞かれていたことに驚きはないけれど、敢えて言及されるとは思わなくてルイスは目を見開いた。


「ルイスが僕を頼りにしてくれて、僕は嬉しかったんだよ」


右手を握りしめたまま、ウィリアムはあの頃を思い出しながら小さく囁く。

弱々しく握り返してくれたあの頃とは違い、今のルイスはちゃんと力を込めて握り返してくれる。

その手にどれだけ安堵したか、一緒に大人になれることに歓喜したか、ルイスのために美しい世界を作ることが可能なのだという現実を知って狂喜したか、ルイスは知らないのだろう。

だがウィリアムは今でもあの瞬間の記憶をよく覚えているし、体の弱かったルイスがこうして元気な姿を見せてくれることを今も昔も奇跡だと思っている。

いつだってウィリアムはルイスのために生きているのだから、ルイスが悔いる必要はないのだと細い体を抱きしめることで教えてあげた。


「君が元気になってくれて本当に良かった」

「にい、さん…」


体の弱い自分は兄の迷惑になっていて、足手纏いになっているのだと思っていた。

体が苦しいときには必ずそばにいてくれたけど、本当はそれを面倒に思っていたのではないかと思っていた。

今でこそ体調を崩すことは減ったけれど、それでも過去にかけた心配と迷惑が消えることはない。

術後であるルイスの胸には病弱だった頃の名残りが存在していて、それを見るたび痛く苦しかった頃を思い出してしまう。

けれどウィリアムに右手を握られると、痛く苦しい過去よりも兄がいることで安心して眠れたことを真っ先に思い出す。

兄の疲労を無視して喜ぶなど不謹慎だと思っていたし、本当は疎まれていたらどうしようと思って聞くに聞けなかったけれど、ウィリアムはあの頃のルイスを、病弱だった頃のルイスを嫌ってはいなかったのだ。

彼に抱きしめられていると、今も昔も僕はルイスが一番大事だよ、という言葉が耳に届いてくる。


「兄さん…ありがとう、ございます」


あの頃は謝ってばかりだった。

心配をさせてしまうことが嫌で、迷惑をかけてしまうことが申し訳なくて、嫌われてしまったらどうしようと思い悩んで、それゆえにごめんなさいばかりを口にしていた。

けれどウィリアムの言葉を聞いて、ルイスはようやく本心からの言葉を伝えることが出来る。

本当はずっと、御礼を言いたかったのだ。

ありがとうと言って、心からの礼を最愛の彼に伝えたかった。

でも迷惑をかけておいて礼を伝えるなど傲慢なのかもしれないと、無意識にそう思ってはごめんなさいを繰り返してしまっていた。


「あのとき、本当は嬉しかったんです。起こしてしまうことは嫌だったけど、夜遅くでもそばにいてくれて嬉しかった。兄さんがそばにいてくれたから、発作が起きて苦しくても死にたいとは思わなかった。…兄さんがいてくれて、本当に嬉しかった。ありがとうございます、兄さん。そばにいてくれて、ずっと励ましてくれて、ありがとうございます」


所々消えてしまいそうなほど小さな声を、ウィリアムとアルバートはしかと耳に収めていた。

病弱な弟はようやく健康になってくれた。

今もまだ不安は消し切れないけれど、それでもあの頃よりもずっと安心して生きることが出来る。

その現実がとても嬉しくて、ウィリアムは細い体をもう一度強く抱きしめていた。




(…ん…)

(ルイス!目が覚めたんだね、大丈夫かい?どこか痛いところはあるかい?)

(…にぃ、さん…ここは…)

(病院のベッドだよ。手術が終わって、やっと今ルイスが目を覚ましたところだ)

(しゅじゅつ…)

(成功したってお医者様は言っていたよ。頑張ったね、ルイス…今までよく頑張ったね、もう大丈夫だよ、僕が付いてるからね)

(にぃさん…なかないで…)

(…ふふ、そうだね。せっかくルイスの手術が終わって、治ったんだものね。泣いている場合じゃないね)

(…ふふ)

(おめでとう、ルイス。目を覚ましてくれて良かった…お医者様を呼んでくるから、少し待っていて)

(や、ゃ…いかないで…)

(ルイス?)

(まだ、もうすこし…もうすこしだけ、そばにいて…にいさん)

(…うん。分かった。僕が付いてるよ、ルイス。もう少しおやすみ)

(…は、ぃ…)