縄文・弥生文化を運んだ海人族と渡来先住民(鴨族)の共生
http://sukisukihiko.blog.fc2.com/?tag=%E6%B5%B7%E4%BA%BA%E6%97%8F 【(3)国の礎を築いた海人族と渡来先住民の交わり
ー縄文・弥生文化を運んだ海人族と渡来先住民(鴨族)の共生ー】 より
(3)・1 九州に古代文化を運んだ隼人族
西北九州(肥国) 前一万年頃旧石器時代に五島列島ルートで「波邪(五島)隼人族」が松浦半島唐津に渡来し、「縄文文化」を受け入れたことで、そのまま縄文人へ移行しながら内陸部へと移動、縄文後期には吉野ヶ里に集落を形成し、前四世紀頃には大規模集落へと発展する。この縄文人が「弥生文化」を取り入れた事でそのまま弥生人へと移行し、三世紀頃には集落最盛期を迎える。
西南九州(熊襲国) 前一万年頃縄文時代に種子島ルートで「多禰隼人族」が大隅半島肝属平野に渡来、内陸部へ入り曽於から更に北上し球磨川流域の球磨へと入植、そのまま「弥生文化」を取り入れ弥生人へと移行した。球磨地方と曽於地方に居住する民族を「熊蘇隼人」と称する。
東南九州(豊国) 前一万年頃縄文時代に「多禰隼人族」が日向に入植し「日向隼人族」と称し、そのまま「弥生文化」を取り入れ弥生人へと移行し、更にそのまま古墳時代へ移行した。
縄文初期から弥生後期まで洞窟居住が行われていたが、弥生後期から古墳時代に亘り大豪族が出現し、列状柱建物や花弁色間仕切り住居が出現した。また三世紀から七世紀前半にかけて西都の台地に大規模古墳群が形成された。
稲作は前一万年頃縄文時代に種子島ルートで焼畑陸稲耕作が伝わり、前五世紀頃縄文時代後期に北部九州から水田耕作の文化が入ってきた。
「熊蘇隼人族」で海を拠点にする隼人族は二族に分かれ、薩摩半島に拠点をもつ隼人族を「阿多隼人」と称し、大隅半島側に拠点をもつ隼人族を「大隅隼人」と称する。二部族の頭は兄弟である。
「阿多隼人族」と「大隅隼人族」は薩摩半島南部や桜島の度々の大噴火の被害を避け、日向(宮崎平野)に拠点を移した。日向を拠点とする「日向隼人族」は「阿多隼人族」「大隅隼人族」を受け入れ、パワーアップして弥生時代から古墳時代にかけて一大文化圏を築いた。
東北九州(筑紫国) 前一万年頃旧石器時代に五島列島ルートで「波邪(五島)隼人族」の一枝が福岡板付に渡来、「縄文文化」を取り入れたことで、そのまま縄文人へと移行し、前四世紀頃朝鮮半島から筑紫国に渡来した多くの渡来系弥生人と交わり、筑紫国へ移動、さらには九州を出て日本の東方へ大移動することになる。
(3)・2 日本の礎を築いた三系統の海人族
海人阿知族 阿知族は中国→五島列島→西北九州のルートで渡来した「天忍穂耳命」を祖神とする海人族で「瓊瓊杵命」(渟名杵命)が有明海に降臨、筑後川流域から有明海域に拠点を置き、干潟の海を舟運、漁労を中心に活動していたが、経ヶ岳、雲仙岳、吾妻岳などの度重なる噴火の被害を避け南下して西南九州の笠沙に入植、「阿多隼人族」と一体化し、更に鹿児島湾に入植し「大隅隼人族」と一体化し、鹿児島湾に拠点を移して、パワーアップして活動するが、また度重なる池田カルデラ、鰻カルデラ、開聞岳や桜島の大噴火の被害を避け、豊国の日向に拠点を移して入植し、「日向隼人族」と一体化した。
さらにパワーアップして、「阿多隼人族」の祖神である「天火照命」(海幸彦)や「大隅隼人族」の祖神である「天火須勢理命」や「彦八井耳命」(後の「神武大王」)の父「鵜葦草葺不合命」が一大拠点をつくった。その拠点・日向西都原を造営した主を「曽於津彦命」と称する。
他方、「瓊瓊杵命」と異母兄弟である「天火明命」は博多に渡来し、朝鮮半島の加羅国から筑紫に渡来した「丹生都姫命」を祖神とする「丹生族」を帯同し、内陸部を南下し基肄に入植し、さらに丹土や水銀が産出する中央構造線断層帯の西端に当る佐賀の武雄、嬉野に移動し、ここを基点として、舟底や建造物、棺などの防腐剤となる丹土の採掘、交易を行い、さらに中央構造線断層帯(丹の道)を東方へ移動し大分周辺で丹土採掘を行い、大分を交易の拠点とし、大分湾沖の高島を拠点の聖地(シンボル)とした。
佐賀に移動した一族は「夜須基肄丹生族」として、また大分に移動した一族は「大分豊後丹生族」として丹生採掘や交易の活動をした。
「天火明命」を祖神とする海人「天火遠理命」(天尾張命・山幸彦)はさらに丹土を求めて「丹生族」を帯同して大分高島を出発し、中央構造線断層帯を海や陸を渡り日本の東方に向かい、速吸の瀬戸を渡り四国に入り吉野川を下り、紀伊水道に入り淡路島の沼島を経て紀の国に入り、さらに紀ノ川を遡上し吉野川に至り最終的には葛城山に降臨する。
四国伊予の丹原に移動した一族は「伊予丹生族」として、讃岐山城に移動した一族は「讃岐丹生族」として、丹生採掘や交易の活動をした。また紀の国に移動した一族は「紀伊丹生族」として、吉野に移動した一族は「吉野丹生族」として、伊勢の嬉野方面に移動した一族は「伊勢丹生族」として丹生採掘や交易をした。また四国や吉野、伊勢の丹生採掘の労役には先住「鴨族」の「鴨部」と云われる部民がその任に当たった。大分豊後や紀の国の丹生採掘の労役には当地に居住していた「大伴氏族」の伴部がその任に当たった。
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海人「安曇族」 海神安曇神を祖先とする安曇族は前四世紀頃、朝鮮半島の加羅国→対馬→壱岐→九州・筑紫のルートで交易拠点を拓いて拠点港間を通常的に交易、舟運、往来していた。
対馬の豊玉の津を拠点にする「安曇族」の「豊玉彦命」は島根半島を拠点にする「安曇族」の「穂高見命」と一体化し島根半島から糸魚川(めのおの原産地)に移動入植し、さらに糸魚川を遡上し穂高岳に降臨し、安曇野、信濃の諏訪(黒曜石の原産地)を開拓し、「穂高見命」と兄弟の「振魂命」はさらに日本海を北上し新潟へ移動、入植して阿賀野川を遡上し会津若松に降臨し、猪苗代湖盆地を開拓し、兄弟共に東北の渡来弥生人として活躍した。
一方、本流の「安曇族」は九州筑紫の宗像を本拠とし、ここを拠点に九州一円の交易拠点港(筑紫、宇土、船津、大隅、宮崎、杵筑、国見、五島、種子島)を開拓し、さらに瀬戸内の東方ルートの開拓をし、摂津三島や紀の国沿岸、伊勢に至る交易拠点港(下関、広島、加古川、明石、神戸、大阪住之江、松阪)の開拓をした。
これらが「安曇族」の航海の拠点港となり、住吉の荒魂(「猿田彦神」又は「佐田彦神」)を祀り、航海の安全を祈ると共に航海に必要な資材や食料、水、櫂子などの補給、舟の補修、建造を行う基地、交易を行う港とした。
「住吉の荒魂」(阿羅国人の魂の継承者)こと「猿田彦神」(「佐田彦神」)は朝鮮半島の阿羅を拠点に日本列島間を往来する外洋航海をする海人「安曇族」が開拓した各拠点港に渡来弥生人が根付き「弥生文化」が花開いた。
海人「鳥取族」(「斯慮渡し族」) 海神「鳥取神」を祖先とする海人「鳥取族」は前四世紀頃、新羅国の前身斯慮(鳥取の白兎海岸で鮫に皮を剥がれた白兎の神話の由来となった「しろ」である)→隠岐→島根半島→鳥取のルートで渡来したが、すでに先住民(「美穂津鴨族」)が入植しており、その「鴨族」の一枝を帯同し、鳥取の千代川流域に入植、賀露津(新羅の前身辰韓の一種族「賀洛族」が入植した場所)に交易港を拓き、さらに曳田郷を開拓した。この事は古事記で鮫に皮を剥がされた白兎が「大国主」に助けられた話として登場する。
「鳥取族」のルーツはツングース系騎馬民族で、前四世紀頃縄文時代に「額田毘道男伊許知禰」(「額田部角凝魂」の祖先)が渡来し朝鮮半島から持ち込まれた鉄斧を道具にして舟造りしたり、鍛冶用の炭を作る薪木を伐ったりするのみならず、鉄斧を原料鉄として鍛冶技術を駆使して別の鉄器(馬具や鋤など)に造りかえ再利用を図り、交易品にする「鉄器文化」を伝えた。
「鳥取族」は舟馬両使いの民族であり、その力を発揮して、さらに円山川に移動し、気比の津を拠点に豊岡、出石を開拓、さらに竹野川に移動し古代竹野湖に拠点港を拓き、四世紀~五世紀初期には一大交易拠点を築いた。さらに小浜の津を拠点にし現在の若狭街道を経て琵琶湖の今津から高島を開拓した。さらに敦賀湾に移動し敦賀の気比の津を拠点に現在の塩津街道を経て塩津の港を開拓し、琵琶湖の水路を開拓した。
「鳥取族」が開拓した但馬や北陸の海路は、後に「神武東征」で舟運帯同した海人「安日彦族」(「大日諸族」の諸=麿=彦)が「倭朝廷」との血縁関係を結び加護のもと、「物部氏」の海部となり大いに活用されるが、新羅から渡来した「都奴我阿羅斯等」の入植に際して、舟運帯同して新羅人の居留地各地を訪れ入植に協力した。「都奴我阿羅斯等」が入植した各拠点に「天日矛」伝説を残す。
[海洋民族の関係系図]
(妃)
|-------ー玉依姫命 (穂高岳に降臨、信濃を開拓)
| | |・穂高見命
| |-----ー|(会津に降臨、猪苗代湖を開拓)
| (正妃) |・振魂命
|・神魂命ーーーー支佐加姫命
(安曇族の祭神)|(出雲の海神) |(島根の海神)(住吉の荒魂)
綿積神ーーーーー| |-------ー猿田彦神ーーー海人安曇族
| |
|・八島土奴美命ー豊玉彦命ーーーーー豊玉姫命
|(八島津の海神) (対馬の海神) | (山幸彦)
| |ーーーーーー天火遠理命ー海人葛城族
|・高木神ーーーー栳幡千千姫命 |
(鴨族の祭神) | |・天火明命
大国主命 |------|(彦火火出見命)
| | |・瓊瓊杵命 (海幸彦)
|-----ー天忍穂耳命 | |・天火照命ーー阿多隼人族
(阿知族の祭神) | |---ー |
渡し大神ーーーーーー著玉日良姫命 | |・天火之進命ー大隅隼人族
|・阿多隼人族祖人ー阿多津姫命
多禰隼人族ーーーーー熊蘇隼人族ー| + (木花咲那姫命)
|・大隅隼人族祖人
(鳥取族の祭神)
鳥取神ーーーーーーー八島牟遅神ーーー鳥鳴海神ーーーー海人鳥取族
(新羅の海神) (八島津の海神) (斯盧渡し族)
余談になるが、大分の高島を出発した「天火遠理命」は奈良の葛城の地に降臨し「葛城彦」を名乗った。「丹生族」の交易拠点のシンボルである出発地の「高島」=「葛城」となった。「葛城」は「高」と呼ばれる様になった。例えば、「葛城彦」の子息は「高倉下命」と呼ばれ、「葛城襲津彦命」の母は「高額姫命」、妃は「高木姫命」と呼ばれた。
交易品の丹土(赤土)は数々の用途に使われる貴重な交易品であった。その用途は多彩である。
・防腐剤として・・・舟底の防腐(特に外洋船)、建造物掘っ立て柱、壁など)、永遠の存在を保つため の墳墓様式として(玄室、石棺、遺体など)
・染料として・・・衣、幡など
・防水塗料として・・・素焼き水甕の水漏れ防止対策として外部に塗る
・識別塗料として・・・丹塗りの矢(射た矢が何処に着地したかを判別出来る様に)
丹生は塩と同様に貴重な交易品であり、貴重な玉や剣などと交換された。