「ジェンダー・フリー」を徹底的に批判する
近年、日本共産党も仕切りに強調する「ジェンダー平等」。
今回は「ジェンダー平等」や「ジェンダー」を考える上で、一昔前に問題視された「ジェンダー・フリー」について、中川八洋氏の著書『教育を救う、保守の哲学』(徳間書店、2003年)の該当箇所を引用してみたいと思います。
「ジェンダー・フリー」とは
「『ジェンダー・フリー』なる語が、日本のマルクス主義の過激な女性革命家たちが作った‟日本語”」(p.120)
「『ジェンダー・フリー』とは、男性が医学的・生物学的に生まれとともに定まっている男性性を除去され、女性も同じく、生まれとともに定まっている女性性を除去されて、男女が平等に無性化する、もしくは男女がいつでも男にも女にもなれる、両性具有のサイボーグと化する、そのように非人間に改造することを目的とした教理である」(p.120)
「男性が『より男らしく』、女性が『より女らしく』あろうとすることによって、『より人間的』で、『より文明的』な社会が作られているが、このような健全で正常な文明社会への憎悪と呪詛を実行するカルト宗教が、『ジェンダー・フリー教』である」(p.120)
「道徳の一掃をドグマとするマルクス主義者にとって性道徳は徹底的に破壊されるべきものである」(p.123)
「一夫一婦制の破壊を信条とするマルクス主義はもともと『乱交』そのものを理想とする」(p.124)
「ジェンダー・フリー教育」の問題点
「『ジェンダー・フリー教育』を注入された子供たちは、自分が男性なのか女性なのかの性の自己認識が不可能になる。必然的に自らの自我を喪失する。自我を喪失すれば、それは‟人格亡者”である。このような子供たちは社会に生きる能力も削がれる。社会を担う能力は皆無となる。むろん、結婚しない/子供を産まない非人間に改造されていく。人格亡者の群れとなった日本は、文明社会の国としては確実に消滅する」(p.121)
「‟正常な男女間恋愛”を否定すること、あるいはそれを性同一性障害と同列に扱うことは、子供たちが大人になったとき正常な男女関係あるいは正常な夫婦関係をもとうとする意欲に決定的な心理欠損――トラウマ――を生じさせているだろう。①結婚しない/家族をもたない、②子供を産まない、という日本の若者は必ず急増する」(p.130)
「『ジェンダー・フリー教育』とは、正常な子供たちに対しての性同一性障害者の治療方法の適用であるから、彼らの正常な性自己認識(sex identity)は攪乱される。癌でない健康な人間に抗癌剤を大量に投入しているのと全く同じ、狂気の医療行為である。この結果、正常な子供たちは自らの性の自己認識が正しくできず人格的・心理的な病人にならざるをえない』(p.141)
「『ジェンダー・フリー教育』を受けた子供たちによって創られる未来の日本とは、偽が真に、悪が善に、醜が美になった転倒の社会である。真偽/善悪/美醜の区別をしない、共産社会と同じ社会である」(p.141)
「『ジェンダー・フリー教育』とは、日本の人口を確実に大減少させていく。それが『ジェンダー・フリー教育』の主目的である」(p.130)
「人類史上かつて誰も想像すらしなかった、神仏も仰天する‟男女の育てわけ”という‟悪魔の人間改造”、それが『ジェンダー・フリー教育』の正体である」(p.131)
ジェンダー論の虚構性
「人間の脳は、他の哺乳類もそうだが、男性と女性とでは明確な性差がある。この脳の性差は、制度的・社会的に形成しようがないから、制度的・社会的に性差(ジェンダー)が形成されるという、ジェンダー論の嘘と虚構性は、一瞬のうちに暴かれ粉砕される」(p.136)
「男性の脳と女性の脳は、(身長が同じでも)約百グラムほど男性の方が重い、脳梁の膨大部は男性は管状で女性のは球状である、などの相違があるだけでない。性行動の男女差は胎生期の脳がアンドロゲン(男性ホルモン)にさらされるか否かで決定されることが判明している。とすれば、人間とは、生まれる前に性別(セックス)が定まっていることではないか」(p.136)
「男児に限って、妊娠中と生後直後の二回、アンドロゲンのシャワーを浴び、女児にはこのようなことはいずれも全くない。性差が生まれながらに決まっているとの常識は、かくも単純明白な‟科学”でもある」(p.137)
「米国など日本以外の国々では、非実在の『ジェンダー』を‟非実在”だと断じる数多くの科学論文が発表されている」(p.138)
「男/女らしさ」とは
「人間とは、男/女に生まれてはその男性性/女性性を向上させるとき、高貴な精神に培われた人間性の偉大さが真に発揮されるようになる。美しき人生は『男/女らしさ』と不可分である。(中略)『男/女らしさ』こそ、真正の人間として生を全うしうる、人間性に真正の生命をもたらす絶妙なる魂である」(p.142)
「『男らしさ』『女らしさ』がそれぞれ顕著に磨かれたとき、人格も健全に磨かれて『人間らしさ』が向上する、そのような高級な生物である。(中略)人間は自らの男女が峻別された自覚なくして、精神の安寧も平静も、獲得することはできない生物である」(p.130)
以上、「ジェンダー平等」を考える上でも、ジェンダー論の虚構性とジェンダー・フリー教育の問題点を再認識して頂ければと思います。