バロックの時代23-レンブラント破産
2020.11.01 11:38
レンブラントは、ますます絵画芸術にのめりこみ、顧客達は遠ざかって、無難な肖像画を描く弟子達に移っていった。彼は10通りの下絵を描き、ターバンの位置を決めるだけでまる1日2日費やしたという。商人の国オランダでそこまで時間のとれる者がいるだろうか。
さらに絵画のシチュエーションづくりのために古着や骨とう品を買い漁った。さらに同時代の画家の絵も高値で買った。彼にしてみれば、そうやって絵画の地位を高めているという自負があった。しかしサスキアの残した遺産はどんどんなくなっていく。
そして妻の死後、愛人ができた。最初は息子の乳母、そしてモデルとして登場するヘンドリッキェである。カルヴァン派のオランダでは不倫は禁物。だが、売春婦はOKでフェルメールも風俗画に残している。再婚すれば前妻の遺産がとりあげられるのでできなかったのだ。
1653年、第一次蘭英戦争に敗北すると、オランダは不況に陥った。レンブラントの借金も取り立てられることになった。1656年、ついにレンブラントの豪邸やコレクションが競売にかけられ、彼は破産し、何と一転、貧民街にある小さな借家住まいを余儀なくされた。
下左はレンブラントの傑作1658年の自画像。右はレンブラントの思いがよくわかる54年ヘンドリッキェの肖像