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占い師とお金の話 ー責任の線引きの話ー

2020.11.02 01:39

先日私はこんなツイートをした。


私が観察した範囲でこの「欲しいものリストを公開する」をどのように使っているのかを説明すると、『現金をもらう代わりに、私が欲しいものを送ってくれれば、その金額に応じて占いをしますよ』という感じらしい。

誰が始めたのかは分からないが、そのような対価を得る方法を使っている人を、「ツイッターの占い師・スピリチュアル界隈」でよく見かける。このような表現の仕方をしたのは、「占い師やスピリチュアル界隈以外」のところでは見かけることがなかったからだ。


私は考えた。

①なぜ私はこのようなカルチャーに違和感を感じるのか。

②なぜ「占い師・スピ界隈」だけで見かけるのか。

と。




①まず、なぜ私は違和感を感じたのか。

おそらく「なんかおかしい」というセンサーが反応したのだろうと思う。


私は大抵、このように疑問を持った時、その現象を抽象化し、他の業界にもそれが通用するのか?を検証する。

この場合は、「自分が与えようとするものに対する対価を、〝自分が欲しいもの〟と交換してもらう。」という部分が抽出される。


では、これを他の業界に当てはめてみようと思う。

他の業界と言っても、占いと同じように「体験」に重点がおかれ、実際に体験されるまでその価値はわからないものになる。

占いは芸能業でもあるようだし、職人的でもあって、はっきりとコレとカテゴリ決めが難しいものだと思う。しかし私は美容師とよく似ていると思っている。

美容師は職人的な人もいれば、アーティスト的な部分もある。

「アーティスト的」というのは、形が定まらないもの(髪)に形を与え、その体験は流動的であるから。髪は切った瞬間から伸びている。美容師が切った形によって、その後の髪の納まり場所は都度変わるのである。

これは占いという体験を与え、占い師が与えたものによって受け取った側の思考が変化し、人生に影響を与えることと似ていると、私は思っている。


では、例えば美容師が「私が欲しいものはコレとコレとコレです。この中からあなたが私に下さったものによって、メニュー内容が変わります。10キロのお米だったらきっとあなたにとってお得だと思います。」

みたいなお店があったらどうする?

めんどくさくね?

「いや、一旦ちゃんと価格を提示してお金を払わせてください。その後にあなたが何を買おうが知らないけど」って、私は思ってしまう。


「物々交換が美しい」とは思わない。

それは単なる手段であって、それ以上でもそれ以下でもない。


そして私はこのような「欲しいものリストから対価を得る手段」を使っているのが、なぜ占い・スピ界隈でしか(今のところね)見かけないのか、の理由を考えた。


おそらく、「お金を受け取ること」に引け目があるからなのでは?と思った。

さらに、自分が提供するものに価格をはっきりと設定することに恐れがあるのでは、と。

自分がやっていることに自信がないと、どうしても腰が引けてしまう。

これは私自身も、占いを始めた頃は「自分が占いをすることでお金をいただくこと」に対して不安や恐れがあったから、なんとなくわかる。

占いってのは自分をダイレクトに与える行為だもんね。

全ての責任が自分に返ってくる。

どこかに所属してお給料をもらうのではなく、個人でやって全部自分で決めて、責任は全て自分にある。

だから、占いをお客さんに提供するという行為は、ある程度の経営者マインドがないと、「個人で占い業をしてお金を稼ぐこと」は難しいのかなと思う。

人生のことについて読んでアドバイスをする側だから、足元ふわふわでも困るだろう。



それと私がいつも感じるのは、

占いも1つの商売であって、いくら人の心をサポートするといっても感情論に引っ張られない軸を持ってなきゃいけないなってこと。

だからといって「稼ぐこと」がメインになるのも違う。

この2つの相反する軸の中で常にバランスをとっていかなきゃいけないなって思う。



ちなみに、アマゾンの「欲しいものリスト」システムが作られた経緯を調べて見たら、

アマゾンは元々アメリカの会社ですが、アメリカでは結婚式にお金を祝儀として渡すという習慣がなく、それはスマートではないというカルチャーがあるようで、大体が物をプレゼントするそう。その際に、結婚する夫婦が欲しいものが分かった方がいいから、「欲しいものリスト」というものができたそうです。


日本には寄付やチップの習慣もないから、よくクラウドファンディングなどでも「物乞い」みたいにして使っている人も見かける。。。

以前もカフェの店長が焙煎機を買うためにお客さんに寄付をお願いしていた場面も見たことがある。「いや、それは自分で買おうよ。」と私は思ったのだが、そういう『責任の線引き』みたいな感覚が私は人と違うのだろうか、と自分を疑ってしまう。