三貴子の誕生
「伊耶那岐神、黄泉の国へ」以来の古事記の物語に戻ります。
(原文現代語訳)
このようなことでイザナキは「私はなんと醜く汚い国に行っていたことであろうか。だから、我が身の禊ぎをしよう」と仰せになり、筑紫の日向の、橘の小門の阿波岐原(アワキハラ)においでになって、禊ぎをされた。
そこで投げ捨てた杖に生まれた神の名は衝立船戸神(ツキタツフナト)である。
つぎに投げ捨てた帯に生まれた神の名は道之長乳歯神(ミチノナガチハ)である。
つぎに投げ捨てた袋に生まれた神の名は時量師神(トキハカシ)である。
つぎに投げ捨てた衣に生まれた神の名は和豆良比能宇斯能神(ワヅラヒノウシノ)である。
つぎに投げ捨てた袴に生まれた神の名は道俣神(チマタ)である。
つぎに投げ捨てた冠に生まれた神の名は飽咋之宇斯能神(アキグヒノウシノ)である。
つぎに投げ捨てた左手の腕輪に生まれた神の名は奥疎遠神(オキザカル)、
つぎに奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコ)、
つぎに奥津甲斐弁羅神(オキツカヒベラ)である。
つぎに投げ捨てた右手の腕輪に生まれた神の名は辺疎遠神(ヘザカル)、
つぎに辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコ)、
つぎに辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラ)である。
以上の船戸神から辺津甲斐弁羅神まで十二柱の神は身に付けていた物を脱いだことによって生まれた神である。
またイザナキは「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」と仰せられ、そこで中流の瀬に沈んで身を清められた時に生まれた神の名は八十禍津日神(ヤソマガツヒ)、つぎに大禍津日神(オオマガツヒ)である。この二柱の神は汚らわしい黄泉の国に行ったときの汚れから生まれた神である。
つぎにその禍を直そうとして生まれた神の名は神直毘神(カムナホビ)、
つぎに大直毘神(オオナオビ)、
つぎに伊豆能売(イヅノメ)である。
つぎに水の底で禊ぎをしたときに生まれた神の名は底津綿津見神(ソコツワタツミ)、
つぎに底筒之男命(ソコツツノヲ)である。
水の中程で禊ぎをしたときに生まれた神の名は中津綿津見神(ナカツワタツミ)、
つぎに中筒之男命(ナカツツノヲ)である。
水の表面で禊ぎをしたときに生まれた神の名は上津綿津見神(ウハツワタツミ)、
つぎに上筒之男命(ウハツツノヲ)である。
これら三柱の綿津見神(ワタツミ)は阿曇連(アズミノムラジ)らの祖先神として祀られている神である。そして阿曇連らはそのワタツミの子の、宇都志日金析命(ウツシヒカナサク)の子孫である。またソコツツノヲ、ナカツツノヲ、ウハツツノヲの三柱の神は住吉神社に祀られている大神である。
イザナミさまは、黄泉の国と、その帰路の出来事によって身心共に穢れてしまい、とてもこのままでは葦原中つ国には帰れないと言うことで、禊をされます。その際にたくさんの神様が生まれました。
そしてその最後に、この国の歴史を作り上げることになる重要な神さまを誕生させるのです。
(原文現代語訳)
ここで左の目をお洗いになったとき生まれ出た神の名は天照大御神(アマテラスオオミカミ、以下アマテラス)である。
つぎに右の目をお洗いになったとき生まれ出た神の名は月読命(ツクヨミ)である。
つぎに鼻をお洗いになったとき生まれ出た神の名は建速須佐之男(タケハヤスサノオ、以下スサノオ)である。
このときイザナキはたいそうお喜びになられ「私は多くの子を生んで、最後に三柱の貴い子を得ることができた」と仰せになった。
ただちにその御首の、首飾りの玉の緒をゆらゆらと鳴らしながらアマテラスに賜った。そして「あなたは高天原を治めなさい」と仰せになった。そこでその首飾りの玉を御倉板挙之神(ミクラタナノ)という。
つぎにツクヨミに「あなたは夜の国を治めなさい」と仰せになった。
つぎにスサノオに「あなたは海原を治めなさい」と仰せになった。
このようにして、古事記は主役の座は伊邪那岐命・伊邪那美命から、天照大御神と素戔嗚尊に移っていくのです。