「ALOHA」はいのちの多様性を讃える言葉
https://ameblo.jp/yurimorita9/entry-12635568447.html?fbclid=IwAR0ahSDjeqO0FToERBko-ha3JJcCZQ30uzIo3wYBYnVTKdQ1ccbGtW1M2Zk 【うつと闘った3年の日々の贈り物 17】 より
2014年にハワイ島で始めたALOHA HEALING YOGA™は、1時間クラスの最後に必ず次のOli Aloha アロハの詠唱を歌う。
Akahai e na Hawai ハワイの人々よ、思いやりを
Lokahi a kulike 助け合うことでハーモニーが生まれ
‘Olu’olu ka manao 心を明るく保ち
Ha’aha’a kou kulana 謙虚さを忘れずに
Ahonui a lanakila これらを忍耐強く保持すれば生命は光に満ち溢れる
この歌の由来を、以前、雑誌に書いたので、今回はそれを転載する。
「ALOHA」はいのちの多様性を讃える言葉
「アロハ」という言葉。ハワイの挨拶として世界中の人に知られているが、本来のハワイ語のアロハは挨拶にとどまらない奥深い意味を持っている。ハワイ先住民の人たちは、それを彼らの生き方と精神性を体現する言葉として大切にしてきた。
1993年11月23日、当時のアメリカ合衆国大統領クリントンは、ハワイ先住民への謝罪決議(公法103-105)に署名した。
その内容は、1893年1月17日を、ハワイ王国転覆100年記念と認め、アメリカ合衆国がハワイ王国を転覆させ領土化したことに対して、先住ハワイアンに謝罪するというものだった。
アメリカ合衆国の植民地支配によって、先住ハワイアンは言語をはじめとする自分たちの文化の継承を断絶させられた。しかし1970年代以降、ハワイアンの言語と伝統文化の復活が活発に展開し、1978年にはハワイ語を英語と並ぶ州の公用語とする州法が制定された。
アンティ・ピラヒ・パキの詠唱
ハワイアンの教育者・精神的リーダーのアンティ・ピラヒ・パキ(パキ叔母さん)(1910-1985)は、1970年8月に開催された「2000年へ向けたハワイ知事会議」で、壇上のパネリストたちがアロハの定義を論じている時に、聴衆のなかから立ち上がり、まずアロハの精神を保持し続けて来たクプナ(elder 先達)たちに感謝を捧げた上で、アロハの詠唱を発表した。
Oli Aloha アロハの詠唱
Akahai e na Hawai ハワイの人々よ、思いやりを
Lokahi a kulike 助け合うことでハーモニーが生まれ
‘Olu’olu ka manao 心を明るく保ち
Ha’aha’a kou kulana 謙虚さを忘れずに
Ahonui a lanakila これらを忍耐強く保持すれば生命は光に満ち溢れる
ちなみにALOHAの語源は、「ALO-アロ」は「~の前に」、「HA-ハ」は「聖なる呼吸、魂」。あなたは聖なる息の前にある。
参加者は深く心を揺さぶられ、多くが目に涙を浮かべていた。それは100年間にわたって、蔑まれ、否定され続けてきたハワイアンとしてのアイデンティティを取り戻した喜びの瞬間でもあった。さらにパキ叔母さんは「世界の平和を求める人々はやがて、ハワイに目を向けるでしょう。なぜなら、ハワイにはその鍵があるからです。その鍵こそが『アロハ』です」と予言した。
以来、この詠唱はハワイアンの伝統的アロハスピリットを伝える唄としてハワイアンの間だけでなく広く知られるようになった。
ピラヒ・パキは1910年にマウイ島のラハイナで生まれた。ハワイアンの言語と文化が最も抑圧、否定された時代だった。しかし彼女の祖父、父たちは日々の暮らしのなかでそれを見失うことはなかった。
成人したパキに一人の老人との出会いがあった。「あなたが来るのを待っていたよ」と老人は言い、さらに「私が持つ全てをあなたに授けよう。それを受け取りたいか?」と聞きいた。パキは「NO」と答えた。しかし老人が彼女の手をとり祝福ししたその時彼女はまるで全身に電気が走ったようなショックを感じた。彼女はMANA(魂)を受け取ったのだ。その時から彼女は失われつつあった先住ハワイアンの言葉と文化の保持と再興に尽くすことになった。
多様性を誇るハワイの文化
ハワイ諸島は、アメリカでも最も民族多様性が複雑であることで知られている。前大統領のブラク・オバマがハワイでケニア出身の父と白人のアメリカ人の母との間に生まれ育ったように、ハワイ人、ポルトガル人、中国人、韓国人、ベトナム人、白人および日本人を含む混合民族グループは全体の四分の一。ハワイでは混血をハパと呼び、ハパ文化を誇りにしている。
最大の人種グループはアジア系(フィリピン、日系、中国系、韓国系、ベトナム)で約40%。先住ハワイアンはカマアイナと敬意を持って呼ばれ10%を占め、白人はハオリと呼ばれ、ハワイ人口の約四分の一である。
セクシュアリティの多様性においても、1972年に世界で最も早くに同性婚が合法化されたのはハワイ州だった。
ハワイ島でヨーガを教える
私は、2011年から14年にハワイ諸島最南端のビッグアイランド・ハワイ島に住んだ。
ハワイ島北部には、ハワイ諸島最高峰標高4200メートルのマウナ・ケア山がそびえている。
マウナ・ケアはハワイ語の白い山の意味、冬になると山頂が雪で覆われるからだ。古代より聖地としてハワイアンの祈りの儀式が行われて来た。
眼下で刻々と変化する雲海の色の流れを見ながら、ハワイアンの祈りと詠唱のリズムに身を委ねていると、ハワイアンの人々が伝統の言葉と祈りを保持し続けて来たことへの感謝で満たされる。
マウナ・ケア山への登り口にある町ワイメア、信号が一つしかない小さな小さな町が私の町だった。そこにTutuハウスがあった。tutuとはおばあちゃんという意味のハワイ語。
そこでは、ヨーガや気功や太極拳、マッサージ、整体、ハワイアンの精神性、フラカヒコ(古典フラ)、マインドフルネス、発酵食品の作り方、環境問題や平和の活動などのワークショップが毎日開催されている。全て無料。ワークショップを提供するほうもお金を徴収することはできない。
ここで、私は出会ったばかりの老女から「あなたヨーガのインストラクターにならない?」と声をかけられたのだった。ヨーガは自分の健康のためにすでに数年続けていたが、インストラクターになるつもりは全くなかった。しかしその不思議な老女の縁で、結局私はアメリカンヨガ連盟の認定インストラクターとなり、Tutuハウスで教え始めた。
ALOHAの教えに導かれたヨーガ
私の最初のクラスに来てくれたのは、90歳代から80歳代の高齢者達。膝が曲がらない、転倒して腰を打った、車椅子から離れられない、メンタルがひどく落ち込んでいて自殺念慮がある方などを生徒に私のヨーガクラスは始まった。そのことは私のヨーガの方向性を心身のヒーリングへと定めることになった。
心身の不調に働きかけ、本来の生命力を引き出すエンパワメント・ヨーガ。
教え初めてからは、どのようにヨーガクラスを構成するか、何をどう教えるか、私の頭と身体は寝ても覚めてもそのことでいっぱいになった。こうして一ヶ月後にあらかたの基礎が出来上がったのがALOHA HEALING YOGAだった。
アンティ・ピラヒ・パキによるアロハの詠唱に埋め込まれた5つの叡智にガイドされるヨーガクラスをしようと誓った。
AKAHAI 優しく、思いやりあるヨーガ。比較と競争をしない。自分の体と心に優しいヨーガです。そのために自分の体の声に耳を傾ける。自分の内、呼吸と身体に意識を集中する。
LOKAHI ユニティー、つながり。サンスクリット語の「YOGA」とはつながるという意味。「LOKAHI」と同義語です。自分の身体と心と思考と魂とがつながる。自分と大地(アイナ)と天(ラニ)とがつながる。
‘Olu’Olu 誰もが幸せになるために生まれてきた。今を幸せに、明るい心を保持します。
Ha‘aha’a 謙虚さ 大地(アイナ)と天(ラニ)、自然への謙虚さを忘れません。
Ahonui いのちをケアするためには忍耐心と持続が不可欠。ヨーガを毎日する持続の心
このALOHAチャント詠唱で終わるALOHA HEALING YOGAは以来、今日に至るまで私の毎日に欠かせないものとなった。
私自身が日本での仕事の中で心身の不調をきたしたために、ハワイに移住したのだった。
3年間のたくさんの薬、たくさんの精神科や心理カウンセリングセッションで全く動かなかった私の不調の症状が、ヨーガを教え始めた途端に、大きく動き始め、みるみる回復していった。
ヨーガの叡智を日本の子どもたちに
ヨーガという4500年の人類の平和の叡智を日本の子どもに手渡すという新しいビジョンが私のなかで生まれた。2014年に日本に戻り、子どもに教えるALOHA KIDS YOGA™を開発し、家庭の事情や虐待などで家族と離れて暮らす、社会的養護の下(児童養護施設、児童心理治療施設、自立支援施設)の4歳から18歳の子どもたちに教え始めた。虐待のトラウマのある子、自閉症やADHDのある子には、ヨーガは特に効果を発揮している。
同じビジョンを分かち合える人びとを増やすために、2015年からはALOHA KIDS YOGA™リーダー養成講座を横浜、関西、北海道などで開催しています。すでに約100人を超えるALOHA KIDS YOGA™認定リーダーが誕生し、各地でヨーガを教え始めた。こうした活動が認められて、ALOHA KIDS YOGA™は2016年度のアメリカンヨガ連盟のYouth Development Awardを受賞した。
私が直接教えるクラスだけでも、週に5日、10クラス。全てのクラスは最後にアンティ・ピラヒ・パキが残してくれたOli Alohaを詠唱して終わる。
インド北部のインダス文明の中で生まれたヨーガの4500年の叡智と、AD250年頃にポリネシアからやってきてハワイ諸島に住み始めた先住ハワイアンが大切に伝え続けてきたALOHAの平和のスピリットを次世代に伝えていくことが私のミッションとなった。