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No.96 -4396展-ご挨拶

2020.11.03 11:38

いつも見て下さり、ありがとうございます。


10月に入ってから、夏に頂いたオーダーアイテムの製作をしながら、HALLOWEEN関連であちこちお仕事もしつつ、写真展の撮影、打ち合わせで楽しく目まぐるしく過ごしていました。


前回の写真集発売の際にも同じようなことを書いた覚えがありますが

作品やイベント等の意気込みや精神論、感情について織り交ぜ長々垂れ流すと

メインの作品の出来がこの文章とかけ離れていた時にめちゃくちゃ格好悪いので、そういったことはあまり書きたく無いのです。

(だからといって間接的なふわっとした言葉を並べれば、ポエムっぽくなって「自分に酔ってる感」が出るのでそれも嫌🤣)


しかし裏側にあった開催に至る経緯を知って頂ければ、更に展示会をお楽しみ頂けるかと思い

今回は4396展について、少し書きたいと思います。



まずは既にご予約頂いた皆様、本当にありがとうございます。


ご存知の方もおられるかと思いますが、4396展のアカウント等で公開されている情報は酷く難解で、はっきり言うと意味不明な世界観になっていることと思います。


正直この世界を全て言葉にするのは不可能な程に入り組んでいます。

というのも全て実話であり、私と葉山さんの内面から派生した世界、という方が分かりやすいかもしれません(もうポエムっぽくなって来てしまった…)



今年はあっという間に塗り変わってしまった社会情勢の元、「人間と接触してはいけない」という命令の中で

私は「本当に大切なものは一体何か?」ということを、多く深く四六時中考える、大きな機会を得ました。 

悲しいことにそこに芸術やアートは無く、家に居る尊い小さな命のサイクルをもっと間近で、マクロの目で長時間観察する日々が続いていたのです。

そんな中で、最愛のみーちゃん(亀)を天国へ見送りました。

犬猫に比べれば小さなボディ、小さな存在感ではあるものの、心の中での存在は多大であり、孤独な生き方をして来た私にとっては、本当に尊いものでありました。


間近で命を見ていると、そのサイクルの中には絶対に人が介入出来ないのだと、大人になって初めてその事実を思い知らされた気持ちでありました。

死んでしまった悲しみではなく、人の手を一切必要としない、自立した素直な命を知り

ひとり汚い世界に残されたような、仲間外れにされているような、命に対する崇拝を禁じられたような、愛情に対する信仰をハサミでプチンと切り離されるような、人に取り残されるよりももっと酷い孤独な感情を知ったのでした。

自然と非人工物に宿る命に関わる事が、私にとっての救いであり、贖罪でもあったのです。

生物学的に見た人間を好きになれない私はいつも許しを得ようとしていたのです。



初見だと「こいつ頭おかしいのでは🤨🤨🤨」と思われるほどヤバい文章ですが(自覚してます!🤣)

もともと人間アレルギー系の非人間なので、これらはこれまで私の中に少しだけあった心の闇のようなものでした🤣

向き合う時間が増えた分、増殖し深く深く考えることになりました。



人との距離を常に保ち生きてきた私ですら、このように自粛期間の間に様々思うことがありました。

だからきっと私以上に、葉山jr.さんはもちろん、皆さんがそれぞれ、人に対し様々なことを考えたのでは無いでしょうか。




明けて9月、別件のお仕事の話で1年ぶりに葉山jr.さんにお会いする機会があり、「自粛期間はどうしていた?」という話で盛り上がりました。

私にも葉山jr.さんにも、互いに大きな変化があったのです。



彼女の心の扉は自動ドアで、誰もを歓迎し誰もを暖かく許すような、私からしたら神様かというくらい優しい人なのですが


今まで見てきたものの真偽

目に見えるものと見えないもの

何かに向けた愛情と信仰

〇〇を見ること、知ること

自分の足

自分が本当に立っている場所、そして立つべき場所

守ってきたもの、蔑ろにしてきたもの

本当に必要なもの

自分が信じてきたもの



そんな永遠に答えの出ない世界をぶつけると、葉山jr.さんは簡単に私の介入を許し、様々なディスカッションに向き合ってくれました。


とは言っても、殆どが私の愚痴だったと思います。

最後の最後に結局私は、自分以外の人を頼り、心を共有し、自分の扉を開いて理解されることを望んでいたのです。



結果だけ追い求めてきた私と、過程を心から楽しんで来た彼女。

精神論は不要だと切り捨ててきた私と、心をずっと大切にしてきた彼女。

理屈で物を決めてきた私と、感情を尊重してきた彼女。

第三者に向けて1人作品作りをしてきた私と

モデルに向け、そしてカメラに向けられる被写体とカメラマンとの「二人の世界」を第三者に魅せてきた彼女。


そもそものアートに対する考え方や価値観すら合わない、この駆け引きには大きな溝もあったと思います。

慈しみ深く多くの方に心から愛されている、私からすれば程遠い、いわゆる私と彼女は【両極端】でありました。



ご本人も書かれていましたが、

撮りたい!と言って下さり、4396展をやる!と決まったのが9月10日。

撮影準備期間がたった2週間でした。


恐ろしく突貫で、間に合わせ感があるかと思いきや

こういった深く濃い話でポンポンとパズルのピースが埋まって行き、水と油のような関係性かと思いきや溶け合うポイントが無数にあり、余計な飾り気のない見事な絵が仕上がったような感じです。




ここまで書いたのは私目線の話です。

葉山jr.さんからの目線の物語が

今回の写真展の【物語そのもの】となっています。


わかりやすく言うと


心優しい緑色の彼女の中に、根暗を拗らせた強烈な赤色が入り込んだ結果
緑色の彼女は何色になったか?


その答えがこの展示会の中には隠されています。

私から見た緑色も、彼女から見た赤色も

実は同じなのかも知れません。

正反対の色が持つ、共通点と表裏一体的な関係性。


そして、麗しく美しい色を持つ彼女に、

私が与えた悪影響(笑)

彼女を愛している人には特に見て感じて頂きたいです。

彼女が不在だったこの自粛期間に、彼女にどんな変化があったのか。

私よりもきっと、皆様の方が彼女のことを理解しているはずです。

撮影だけじゃない、その後に細かく加えられた表現、よく見れば細かな部分で様々に主張される彼女の思いを、彼女をよく知る皆様なら汲み取れるかと思います。


私は私で、この期間感じたこと、生命に対する愛憎のようなものを、葉山さんとカメラのあちら側にいる皆様へ向けました。


是非、写真作品を見て、感じて下さい。


No.96