この世界に、愛の居場所はない??~真の愛とは~
2020.11.05 00:41
先日、個人セッションの時に、兄弟が、奇跡講座入門編の「この世界に、愛の居場所はありません」(88ページより)を読んだときに、混乱が起こって分からない…となりました。とシェアして下さいました。
自我は真理を否定するために、世界に幸せがある又は真の愛がある…と焦点を当てさせます。
ですが、真理とは永遠で在り、世界の中に永遠で在るものは一つもありません。
ですから、目覚めの道を意志したとき、世界の目的は、
夢から目覚めるために、私の心が自我と聖霊・どちらを選択しているのか…
どちらを通して世界を見ているのか?という私の心の選択を映し出す鏡となります。
そして、普遍的な心の平安や永続的な幸せを心が実感していなければ、「分離維持」の欲求を掴んでおきたいという自我を選択している…という事に気付かなければいけません。
ですが、赦しをしていると、徐々にネガティブな思考・感情が出てきても、それは「私」のものではなく、起こっては消えてゆくデータのようなものだと…同一化する時間が少なくなってゆきます。
そして、いつ?という予測は出来ませんが、神の平安や充足感を心で実感する事が多くなります。
更に、「頭」で考える事が少なくなり、聖霊に尋ね、やってきた答えを受け取り従うという楽な生き方になってきます。
ですが、この様な事が、自我の視点から見ると、分離した「私」が消えてゆくことになるので、抵抗したり恐れなどを感じます。
そして、分離を強化するために、しっかりと掴んでいたものが手放されてゆくので、「私」が大切にしていたものを奪われていくような喪失感を感じることもあります。
それは、私自身が赦しの実践をしていて、体験で実感しています。
でも、聖霊は、
始めから失うものなど一切なく、あなたは愛の中で完璧で満たされています
私を信じて付いて来てください
と、つねに側に居て真実へと導いて下さっています。
真の目覚めの道とは、目覚めていない「私」からの視点では、とても楽ではない…と自我は泣き叫んでいますが、
それは、自分自身の思考の中だけで起きていて、その妄想ゲームから目覚めるだけなのだと感じています。
そして、デーヴィッドホフマイスターが、
赦しとは複数からなる部分など知らない完全性を受け入れることと呼べるかもしれません。