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不老不死の霊薬

2020.11.04 07:35

http://www.eisai.co.jp/museum/curator/mgm/030718g.html 【不老不死の霊薬】より

もし不老不死の薬があったら・・・?! その願望は、特に時の権力者に顕著であり、古来、不老不死の薬を追い求めた伝説は少なくない。ヒトゲノムが解読され、幹細胞技術による再生医療が進展する現代においても、未だ出現していない。聖武天皇が不老不死薬として鉱物薬を愛用した話はすでに紹介したが、更に古くには、徐福(じょふく)の「天台烏薬(てんだいうやく)」、田道間守(たじまもり)の「時じくの香(かぐ)の木の実」の伝説が良く知られている。

 紀元前219年、秦の始皇帝の命で、方士(道教の仙術をつかう)徐福は不老不死の薬を求めて、童男童女3000人を従えて山東省から船出した。徐福の渡海は『史記』にも記されている。その後の行方は杳として知れず、再び帰ることはなかった。ところが、徐福が漂着したなどという痕跡(伝説)が日本全国至る処に点在して残されている。和歌山県新宮市には徐福の墓や徐福町という地名がある。佐賀県の筑後川河口には徐福が上陸したと伝えられる浮盃(ぶばい:海に浮かぶ大きな木盃)という地名があり、また、吉野ヶ里遺跡と結びつける説もある。徐福自身が日本の各地を転々としたのか、大船団での渡来で、船が各地に分散して上陸したのか。中国・琅邪にも徐福村(現徐阜村)が発見され、伝説から史実説が台頭したが、徐福が日本に渡来したことは『古事記』『日本書紀』にも記載がなく、確たる証拠は発見されていない。史実とすれば日中友好の始まりということになろう。

 ところで、徐福が不老不死の薬として教えたのは「天台烏薬」である。クスノキ科の常緑低木で、原産地は中国の揚子江以南および台湾といわれている(当博物館薬草園にもあり)。根はリンデラン、リンデレン、ボルネオールなどのテルペン系成分を含むので、芳香を放ち健胃剤や強壮剤として使われた。中国・天台山で産するものが最も効き目がよいことから「天台烏薬」と名づけられたという。何故、不老不死の薬と言われたか定かでないが、岡山大学名誉教授森昭胤先生らの天台烏薬に活性酸素消去作用があるという研究結果がインターネットで紹介されている(財団法人新宮徐福協会website)ことから、単なる伝説と一刀両断するわけにはいかないかも知れない。

 インターネットと言えば、伝説の不老不死薬というページに遭遇した。人魚の肉、ドラキュラ、仙人の秘薬などおどろおどろした薬(?)が紹介されている。仙人の秘薬は成分が水銀、砒素などで、これを飲んでも死ななければ不老不死と記載されている。妙な説得力のあるブラックジョークに脱帽。


http://www.eisai.co.jp/museum/curator/saijiki/170203s.html  【再生する力を求めて 蝉退と蝉花】より

『本草衍義』中の「クマ蝉」の項目  くすり博物館にはさまざまな生薬がありますが、中には「こんなものまで使ったの!?」とびっくりするようなものもあります。日本では漢方薬というと、草や木に由来する薬というイメージが強いのですが、本場中国では動物や鉱物に由来する生薬もよく使われます。

 見た目で驚くのが、「蝉退(ぜんたい、せんたい)」と「蝉花(せんか)」です。

 蝉退は「蝉蛻(せんぜい)」「蝉殻(せんこく)」とも書き、「蛻」「殻」は抜け殻を意味します。つまりセミの抜け殻が生薬として使われているのです。

 どのセミの抜け殻かは中国でも日本でも諸説ありますが、クマ蝉(クマゼミ)、螻蛄(ニイニイゼミ)、寒蝉(ツクツクボウシ)などではないかといわれています。

 明代・李時珍が現した『本草綱目』では、こどもの疳の虫や熱、眼病、じんましんのかゆみ、破傷風、夜泣きなどに効くと書かれています。炒って粉末にして他の煎じ薬と合わせて内服したり、煎じた液で患部を洗うなど、さまざまな使い方があったようです。夜泣きなどに効果があるというのは、セミが昼間よく鳴き、夜は鳴くのをやめるのにあやかったともいわれています。『薬性論』では小児の解熱や鎮痙に効果があり、『本草衍義(えんぎ)』には目の充血や腫れに効くとも書かれています。

 「蝉花(せんか)」はバッカクキン科のセミタケという菌が昆虫に寄生したもので、虫の部分ではなく、虫から生えた子実体(しじったい)を生薬とします。同じ科のフユムシナツクサタケ、すなわち「冬虫夏草(とうちゅうかそう)」の仲間ですが、中国では「蝉退」の一種と見なされ、効能も同じとされました。

 和名ではキノコの仲間ということで名前に「タケ(茸)」がついています。中国ではまるで蝉から花が咲くように伸びるので、「蝉花」と書きます。蝉花は中国ではあまり産生されず、珍重されましたが、日本ではニイニイゼミが広く分布するため、比較的各地で見られるそうです。

 『中国 虫の奇聞録』(瀬川千秋著)では、中国では昔からセミに「再生」や「高潔」なイメージを抱いていたことが紹介されています。

 再生のイメージは、セミは土から這い出して羽化する生態が墳墓からのよみがえりを連想させるからだそうです。そのため、古代には死者の口に「含蝉(がんせん)」というセミをかたどった玉(ぎょく)を含ませる風習がありました。「高潔」なイメージは、セミが露を吸う清らかな生き物と見なされたためであり、理想的な君子のイメージが重ねあわされているそうです。

 その一方で中国のたくましさを感じさせるのは、食用としてのセミの利用です。古くからセミの幼虫は食用とされていて、かつては成虫を食べる風習もあったことが同書で紹介されています。

 現在では、その辺りの木の下に落ちているものを薬に使うというのはなかなか度胸が要りますが、古代の人がセミの生態を観察したり、イメージを膨らませた上に、実際に使ってみて効果を試した発想力と勇気には脱帽します。

 薬として利用するのも実際の薬効を期待する以上に、再生の力を体内に取り込んだり、君子の徳にあやかりたいという願いに基づいたものだったのかもしれませんね。まもなくさまざまな命が“再生”する春がやってきます。


http://www.eisai.co.jp/museum/herb/familiar/alcohol.html 【身近な生活にある薬用植物 お酒と薬用植物】より

医学の「医」という漢字は、旧字体では「醫」と書きます。「医」+「殳」+「酉」の3つ部分からなりますが、現在では左上の部分「医」のみを採用しています。そして、それぞれの部分の意味を次のように説明しているのを読んだことがあります。

「医」の矢はメスを表し、外科的な治療を、「殳」は投薬のように施すという意味があり、「酉」は薬物療法であるという解説です。現在使われている「医」の部分だけでは、外科的な治療だけで、ちょっと片手落ちな感じがしませんか?

では、なぜ酉が薬物療法を指すのでしょうか?そう、酉はお酒のことで、ここではお酒で抽出した薬用植物を意味するようです。一般的な薬用植物の飲み方として、煎じた○○湯や固形の○○丸、○○散などの形態がありますが、古くから薬用植物をお酒に浸けて服用していたことがうかがえます。

薬用植物を、お酒に浸けるのはなぜでしょうか?それは薬用植物の有効成分の性質で説明することができます。大まかに言って、有効成分には水に溶けやすい水溶性のものと、油に溶けやすい脂溶性のものがあって、お酒(エタノール)は水溶性の成分だけでなく、脂溶性の有効成分も溶かし出すことができます。また煎じる際の加熱によって成分が分解してしまうことも考えられます。お酒に浸けられることのある薬用ニンジン、冬虫夏草、イカリソウ、マタタビなどの有効成分にも、そのような性質があるのでしょうか?でも薬用であることを忘れて飲みすぎには注意してださい。


http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/gallery2/082cinb.html 【辰砂 Cinnabar (中国産)】より

辰砂は、別名、丹砂ともいう。丹とは赤い色を指し、また道教に謂う不老長寿、神仙薬をも指す。この鉱物は、かつて羽化登仙の霊薬として珍重されたのである。

有名な「久米仙人」の話を思い出す。森羅万象に通じ、天行健やかな善智識であった。ある日、雲を集めて和泉国上空を飛行(ひぎょう)していると、若い女性がたらいに水を張り、洗い物をしている姿が目に入った。女は着物のすそをからげて、洗濯物を踏んでいた。白いくるぶしがまぶしい。欲心が生じた。途端に術が破れ、仙人は真っ逆さまに墜落していったという。

修行を積んだ聖(ひじり)といえども、女性の美しさの敵ではない、という教訓だ。このとき、彼が、空を飛ぶ仙薬として服用したのが、貴州省の辰砂であったとか、なかったとか。

辰砂は、強心剤、精力剤としても知られている。色に目が眩んだのは、だからまあ、しかたのないことであった。

因みに、辰砂の成分は水銀と硫黄だが、この二つは、中世西欧化学の元祖であるアラビア錬金術において、あらゆる物質の起源たる二つの元素として知られていた。(補記2)

また、マルコ・ポーロによれば、インドのヨギ(修行者)は、子供のときから、水銀と硫黄を混ぜた飲み物を月に2回飲む。その効用によって、長寿が得られ、150歳から200歳まで生きるのだといっている。

どうやら、この信仰はユーラシア大陸中に広まっていたらしい。(cf.No.660 辰砂)

補記:古来、朱として顔料に用いられた。 Cinnabar の名もギリシャ語の kinnabaris (赤色の顔料)に因むという。但し、今日一般に用いられる朱肉顔料は辰砂でなく、メタ輝安鉱相当の非晶質物質。 cf.No.642 輝安鉱と辰砂

補記2:水銀・硫黄といっても、今日我々が科学的な知識によって把握している物質・元素のことではない。当時の科学的な知識によって変化・変容能力を投影されていた物質のことである(「物質+現代人の知識」≠「物質+中世人の知識」)。水銀とは陰・流動性・母性原理・受容性・統合性といった理念を代表する物質ないし働きのシンボルであり、硫黄とは陽・攻撃性・父性原理・能動性・分解性といった理念に関わるシンボルであった。