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徐福は神武天皇になった?

2020.11.04 12:06

https://rekisi.info/jyohuku.html  【徐福は神武天皇になった?】より

徐福という人物をご存知でしょうか?中国の歴史に少し詳しい人なら知っていると思いますが、徐福という人物は秦の始皇帝から不老不死の薬を探してくるように頼まれて海を渡った人物です。でも、そのまま帰ってこなくなっちゃたんですね。

でも、この徐福。中国を出てその後、日本に来て神武天皇、つまり、日本で初めての天皇になった!なんて説も唱えられています。

これは、どういうことなのでしょうか?ちょっと詳しく見てみましょう。

 徐福は、歴史家、司馬遷の歴史書『史記』の中の「秦始皇帝本紀」に出てきます。それによれば、紀元前219年に始皇帝の命令で徐福という方士が不老不死の妙薬を求めて海に出たと記されているのです。

始皇帝といえば、初めて中国を統一した人物ですね。大きな権力を持っていた人です。その人が唯一手にできなかったものが永遠の命。その永遠の命のために始皇帝は方士という中国古代の方術を操るとされた人、つまり永遠の命の妙薬、仙薬の存在を知っていますよ~。といった人たちを300人くらい自分の周りに仕えさせていたといいます。その中の1人が徐福だったんですね。

徐福は、海中に三神山というのがあって、そこには仙人が住んでいる。その仙人から不老不死の薬をもらってくるんで船と人を用意してほしいと始皇帝に申し出たんです。 始皇帝は、その話を信じて徐福に数千人の童男、童女と船を用意しました。ですが、徐福は9年も経ってから手ぶらで帰ってくるんです。普通、殺されてしまいますね。でも、徐福は「いや~。クジラが邪魔していて仙人がいるところまでたどり着けません。射手を用意してください。そうすれば、今度こそ、不老不死の妙薬を持ち帰ってきます」といって、今度は童男、童女3000人と技術者100人。さらには五穀の種を預かり海にでます。しかし、それ以降、徐福が戻ってくることはなかったんです。

「淮南衡山列伝」には、徐福は平原広沢を得るとそこの王となったと書かれています。海を渡り広い平原を見つけるとそこに居座って王様になったというんですね。

しかし、この徐福という人物。架空の人物なんじゃないか?ってずっと言われていたんです。ですが、1982年に徐福の家の家譜が見つかり、徐阜村という場所がかつては徐福村と呼ばれていたこともわかり、徐福の故郷と彼が実在していた証拠が発見されます。

どうやら、徐福は本当にいたらしい。では、その後、彼はどうなったのか?海で死んでしまったのか?とも思えますが、日本には古くから徐福渡来説が各地にあるんです。

 富士山麓や紀伊半島の熊野、新宮。などなど、いたるところに渡来説があります。熊野、新宮には徐福の墓もあるんです。

徐福が海を渡った時代は、日本では弥生時代。徐福は、海を渡り、日本に到着すると稲作などの弥生文化を日本にもたらしたのではないかという説が最近では知られているのです。そして、「淮南衡山列伝」に書かれた平原広沢の王となったとするならば、日本の最初の天皇。神武天皇が彼なのではないか?などともささやかれています。

しかし、疑問も残りますね。なんで、各地に徐福伝説が残されているんだ?そんな日本各地を転々と歩き回る必要があるの?王様となったのであれば、どこかに拠点をつくり、自分で各地をめぐるようなことはせずに誰かに任せた方がいいような気がしますね。

この日本各地に残された徐福伝説にも、ある説が唱えられています。

徐福はひとりじゃなかったというのです。

始皇帝からの命を受けて海に出た徐福一行ですが、当然、船は1つじゃありません。そんな、数千人も乗せられる巨大な船が当時存在したか疑問ですしね。何隻もの船で海を渡ったと考えるのが普通ですよね。

ですが、当時の日本では、船を止められる場所が人工的に作られているわけがありません。そこで、適当に船が止められそうな場所を探し、分散して船を止めたので徐福渡来説が各地に残されているか?また、途中ではぐれてしまった船が日本各地に到着したのか?

 そして、その彼らが、自分が徐福であると口々に名乗ったとするならば日本各地に徐福渡来説が残されているのにも納得がいくという説です。

 これが、本当であれば、徐福じゃない誰かが徐福を名乗り、そして日本に稲作などの文化を伝え、王にまでなったという可能性もあるということですね。

まぁ、あくまで説ですけどね。ちょっと、興味深い説ではありますよね。 


https://news.livedoor.com/article/detail/12035060/ 【「徐福が神武天皇説」は本当? 中国人がシナリオを考えてみた】 より

日本と中国は歴史的、文化的に密接な関わりを持っており、両国に関する「伝説」も少なからず存在する。その最たるものが、紀元前200年代の秦・始皇帝の時代に日本に渡ってきたとされる徐福にまつわる伝説だ。「徐福伝説」は日本各地に存在し、佐賀では2008年、15年と2度「徐福国際シンポジウム」が開かれている。

 中国メディア・今日頭条は15日、「徐福は結局、日本人の祖先である神武天皇なのだろうか」とする文章を掲載した。文章はまず、1950年代に香港の学者・衛挺生氏が徐福と神武天皇に10の類似点があることから「徐福は神武天皇」説を提起して以降、多くの中国人、日本人がこの説に影響を受けてきたと紹介。そのうえで、徐福が神武天皇として神格化された可能性について持論を披露した。

 文章は、徐福は中国大陸から近い北九州に上陸したと想定。そして、当時弥生時代の農耕社会だったとされる日本の人びとにとって徐福とその一行は「極めて強大で、抗うことのできない」存在だったはずだとした。一方、徐福は始皇帝の追っ手から逃れるために積極的に現地化を進め、これにより新たな民族が形成されるとともに、彼らが持ち込んだ中国の文明が日本社会の成長を大いに加速させたと論じた。

 さらに、徐福が用いていた銅剣、銅鏡、玉がやがて日本建国の「三種の神器」として崇め奉られるようになり、彼の後継者が日本列島を統一して大和王朝を立ち上げた、大和王朝が歴史書を編纂する際、遺跡をベースに神秘的な要素を加えて「神武天皇」化した、と説明している。

 文章も断りを入れているが、このストーリーはあくまで出回っている仮説から推測して組み立てたものであり、有力な根拠に裏付けられたものではない。現時点では「徐福は神武天皇」という説を肯定することも、完全に否定することもできないゆえ、日本各地や中国でさまざまな仮説が出され、議論が繰り広げられている。昔も今も、徐福は日本と中国との交流に一役買っているのである。