「ニュースピーク」
いっときは熱狂と輝きに包まれても、たちまちにして色褪せ朽ち果てる理念、その言葉、文字。
振り返れば、
その理念の言葉、文字、もともととして曖昧模糊、しかと攫みようもなかった。
振り返れば、
その熱狂と輝きの源は、惨めな敗残の屈辱を転倒する屈折の集団の心根にあった。
「ペンの力って今、ダメじゃん。全然ダメじゃん。力ないじゃん。」(鳥越俊太郎「ハフィントンポスト」(日本版)インタビュー記事」
いかなる理念もみずから求めたものでなければ、もともとそれは人の心身から遊離している。
遊離した理念は言葉、文字として一人歩きをして人の心身に取り憑く。
かの国の指導者は「中東に近代的民主制を移入しようとした試みは誤りではなかったか」と聞かれて「しかし、われわれは日本というその成功例を得ていた。」と述べた。
「ニュースピークはオセアニアの公用語であり、元来、イングソック(Ingsoc)、つまりイギリス社会主義(English Socialism)、の奉ずるイデオロギー上の要請に応えるために考案されたものであった」
「ニュースピークの目的はイングソックの信奉者に特有の世界観や心的習慣を表現するための媒体を提供するばかりではなく、イングソック以外の思考様式を不可能にすることでもあった。ひとたびニュースピークが採用され、オールドスピークが忘れ去られてしまえば、そのときこそ、異端の思考ーイングソックの諸原理から外れる思考のことであるーを、少なくとも思考がことばに依存している限り、文字通り思考不能にできるはずだ、という思惑が働いていたのである。」
(早川書房刊「一九八四年」附録(ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳)」
「一九八四年」はとうに過ぎ去っている。
心身に不安と不全を抱え込んだ人はみずから理念を求める、
みずから求めた理念はその人の心身に沈黙として座する、
その沈黙の理念が言葉、文字として現れ出されたとしても、なお理念はその人の心身に沈黙としてある。
いかなる国のいかなる指導者たちが懸命に「ニュースピーク」を駆使しても、なお、その国の人々の心身に黙座する、ことばに依存しない理念を払底することはできない。
「信じるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるんです」
「そうすると人間は集団的になるんです。会がほしくなるんです。自分でペンを操ることが、信じられなくなるからペンクラブがほしくなるんです。ペンクラブは、自分流に信じることはできないです。クラブ流に信じるんです。クラブ流に信じるからイデオロギーってものがあるんじゃないか、そうだろ? 自分流に信じないからイデオロギーってものが幅をきかせるんです。だからイデオロギーは匿名ですよ、常に責任はとりませんよ」
「右翼だとか左翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。あんなもんに『私』なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。どうしてああ徒党を組むんですか? 日本を愛するなら? 日本を愛する会なんてすぐこさえたくなるんですよ。馬鹿ですよ。日本てのは僕の心の中にあるんですよ。諸君の心の中にあるんですよ。気がつかないだけだよ。こんな古い歴史を持った国民が、じぶんの魂の中に日本を持っていないはずがないですよ」
(小林秀雄 講演集「信じることと考えること」)