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一号館一○一教室

柳田国男 著『妹の力』

2020.11.05 07:50

日本ならではの女性の
社会進出のあり方のために


235時限目◎本



堀間ロクなな


 スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」が毎年発表する『ジェンダー・ギャップ(男女格差)報告書』の最新版で、日本は153か国中121位にランクされ、G7ではダントツの最下位のうえ、隣国の中国(106位)や韓国(108位)の後塵も拝した。そのおもな要因とされるのは、政治家や企業の役員・管理職、大学教授などの社会的なリーダーシップを発揮する分野において女性の比率が著しく低いことだ。いまや国際比較を待つまでもなく、新たな内閣が発足するたびに女性閣僚の少なさが取り沙汰され、それを批判する大手マスコミにもほとんど女性の役員がいないという、笑うに笑えない光景を見ても事態の深刻さは明らかだろう。



 それはそれで喫緊の課題であることを認めつつ、では、何がなんでも女性のパーセンテージを引き上げればいいといった議論に向かうと、もぞもぞと居心地の悪さが込み上げてくるのはわたしだけだろうか。もしも、日本ではいまだに旧弊な男尊女卑の意識が尾を引いて、男性どもはそこにあぐらをかき、女性たちは不当な競争を強いられる少数が存在する一方で、大多数がその手の社会的な責任を回避してやはりあぐらをかいている、とまとめられてしまうと首をかしげないではいられないのだ。そうした違和感の正体について、日本民俗学の巨頭・柳田国男の『妹の力』(1925年)は貴重な視点を与えてくれるように思う。



 大正デモクラシーの風潮のもとで、雑誌『婦人公論』に発表されたこの論文のタイトルの「妹」は「いも」と読み、年下の女きょうだいだけでなく、もっと広く、血縁の有無を問わず身内の女性一般を指す。柳田は、久しぶりに生まれ故郷(現在の兵庫県神崎郡)に帰ってみたところ、かなりの風習の変化に気づいたことから筆を起こしている。なかでも意外だったのは、兄妹の親しさがずいぶん深くなり、兄が成人した以後も妹を頼りにして仲良くつきあう様子で、かつてはまったく見られなかったという。そこに、長らく日本の家族関係を支配していた儒教の規制が和らいで、もっと楽に呼吸できるようになった婦人解放の過程を観察しながらも、柳田の連想はもっと大きく羽ばたいていく。



 自分たちの学問で今までに知られて居ることは、祭祀祈祷の宗教上の行為は、もと肝要なる部分が悉く婦人の管轄であった。巫は此民族に在っては原則として女性であった。後代は家筋に由り又神の指定に随って、彼等の一小部分のみが神役に従事し、其他は皆凡庸を以て目せられたが、以前は家々の婦女は必ず神に仕え、ただ其中の最もさかしき者が、最も優れたる巫女であったものらしい。(中略)実際其不可思議には数千年の根柢があるので、日本の男子として之に動かされることは聊かも異例で無かった。世界的の宗教は大規模に持込まれたけれども、我々の生活の不安定、未来に対する疑惑と杞憂とは、仏教と基督教とでは処理し尽すことが出来なかった。



 すなわち、日本ではそれぞれの家庭にあって最も大切な神事は女性が担い、もっぱら俗事に携わる男性はそれに従属していた。数千年来、こうした分担で明日への安心立命を得ながら生活が営まれてきたわけで、とうてい外来宗教の仏教やキリスト教が取って代われはしなかったという。したがって、世に現れた兄妹の親密さももともとはここに淵源し、さらに敷衍するならば、21世紀の今日に至ってなお女性の社会進出が遅れているように眺められるのも、日本固有の宗教生活の伝統がもたらしたもので、実は女性の責任はまったく別の形で実現しているということになるのだが、果たしてどうだろうか? 柳田は、論文の最後に女性読者へこう語りかけている。



 新しい時代の家庭に於ては、妹の兄から受ける待遇が丸で一変したように見えるけれども、今後とても女性の社会に及ぼす力には、方向の相異までは無い筈である。もし彼女たちが出でて働こうとする男子に、屡々欠けて居る精緻なる感受性を以て、最も周到に生存の理法を省察し、更に家門と肉親の愛情に由って、親切な助言を与えようとするならば、惑いは去り勇気は新たに生じて、其幸福はただに個々の小さい家庭を恵むに止まらぬであろう。それには先ず女性自身の、数千年来の地位を学び知る必要が有る。



 もとより、このメッセージは現代の「ジェンダー・ギャップ」のお粗末な実情を免罪するものではないだろう。政治・経済や学術をはじめ、あらゆる分野で性にともなう差別を廃して、だれもがのびのびと活躍できる社会的な枠組みを築きながら、しかし、ただそれだけを目的とするのではなく、そのうえで日本ならではの精神風土にもとづいて女性がよりダイナミックに重きをなすことの意義が、ここに示されているのだ。