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風の魔女さん

忘れない日

2020.11.06 14:44

 10月30日、早朝。日が昇る少し前。

10月13日の誕生日に77歳になったばかりの母が永眠。


 10/27〜11/1まで、私と旦那さんは佐世保に連泊。(26日の時点で母が明日を迎えられないかも、という報せを受けてから所沢を出発)


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 9月に入院した母の容態が急変して、9月後半に1回、10月は中旬に1回、弾丸帰省したばかりでした。



世の中はコロナ禍なので、病院の面会は原則禁止。

一旦 所沢へ戻ると、また佐世保へ入る度にPCR検査を受けなければなりません。

私は3回、PCR検査を受けました。世が世だけに仕方ないことです。



特別面会ということだったので、母の命の時間も残り僅かだということはわかってはいましたが。。。

10月に入って、まさかの余命が『今月いっぱい』という医師からの宣告。

あまりにも流れが早すぎて、心が追いつかなくなってしまいました。

9月の面会時、母は話せる状態だったのに。日に日に弱り、10月には寝たきりで、数本のチューブに繋がれ、半昏睡。

目を開けることも、話すことも不可能。とにかく悪化するスピードが速すぎ。



全身の痛みと苦しさで呻いている様子を見たときは、胸が押し潰されるような気持ちになりました。



所沢に戻っても、まともに眠れた日がなく。。。時間ばかりが流れ。。。

こればかりは予測なんてできないので、穏やかに ゆったりとした気持ちで過ごすなんて無理。

そんな毎日でした。



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 私が中学生に上がるときに母と離婚した父が去年亡くなっていたのですが、報せを受けたのは半年後。孤独な人は孤独なまま、荷物を私や弟たちに残して この世を去っていました。


私の人生の中で13年分は父の記憶があり、成人後は少しだけ、親子のやり取りがありました。

結局 金銭問題で絶縁したのだけど、他界を知ったときは腹立たしさあり、悲しさあり、なんとも言い難い複雑な感情でした。→パニック症状が出たくらい

その複雑すぎる感情がとても。。。しんどくて辛かったです。

(本当は父が大好きでした。もちろん母も大好き。家族が大好きだったんです。)




 そんな父のこともありましたが、母の場合は事前に状態が知らされているのです。親子関係の繋がり方も父とは違う。


母の最期には間に合わないとしても、できる限りを尽くそうという選択ができました。動くという選択。

とは言え、関東と九州。

私の弟たち、旦那さんと子供たち、職場の皆の理解や協力が必要不可欠でしたが、手厚く私をサポートしてくれたこと、今更ながら感謝の思いでいっぱいです。



 ときどき、周囲には気を遣いながらの。。。とにかくいろんな選択をする場面が多かった、この2ヶ月。


“たった2ヶ月” 

そう思うと また涙が込み上げてきます。8月までは 母と電話で笑いながら話していたのだから。

 6日間の連泊中、佐世保は快晴が多かったです。母の最期の日は夜通し、私と弟2人の姉弟3人でベッドの母を囲み、おそらく30年ぶりぐらいの母子団欒?になったのかな。。。

 静かに、あっという間にその時はやってきて。。。


ふと病室のカーテンと窓を開け、弟と夜明け前の空を見上げると、大きな龍雲と ほぼ満月の月が見えていました。

「ほら、龍の来とるよ。もうすぐ(母を)乗せて行かすばい。」

上の弟がそう言った15分ぐらい後、龍は母を乗せて高い高い空へ昇って行ったようです。

 コスモス満開。散る寸前。

“奇跡、神秘、喜び、痛み、後悔、深い悲しみ、絆、愛、感謝” が混ぜ込まれた最期の6日間。

お迎えの龍と優しい月。涙を無視する秋晴れの、あの日を一生忘れません。


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弟2人と、私の家族、支えてくれた親友、見守ってくれた友達、優しい職場の仲間たち、病院の皆さん、母の友人たち、母の職場の方々、関わってくれた たくさんの人たち。

そして、お母さん。



本当に ありがとう。

本当に ありがとうございます。

心より感謝の思いを込めて。。。



✯お知らせ✯

今年いっぱい、オーダーブレスレットの販売は中止させていただきます。

何卒 よろしくお願いいたします。