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hatogoya

ホテルハドソン殺人事件9

2020.11.07 11:25

ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。

アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。


ホテルハドソン殺人事件 第一章【遺体の状態】【悪霊の鞄】【仮面酒場の会員証】

 いまだ混乱は続いていた。出入口が締め切られたのと血まみれの人間が多数いるのとで、いささか空気が悪い。ヒステリーを起こして失神する淑女、従業員に掴みかからんばかりの紳士、施錠されたエントランスの扉を破壊しようと試みて警備員に羽交い絞めにされる者――アドラでさえ、そう装っているだけで実態は全く平静などではいられなかった。

 部屋をとっていない客への案内がはじまっていたがフロントは混迷しており、順番が回ってきたと思ったら手違いで、再びエントランスへ戻される始末だった。従業員とて動揺しているのだろう。こちらも散々待たされてどうにか引き取った旅行鞄を手に、壁際にじっと立つ。

「あれは……」

 ラウンジがある方向からまばらに流れてくる人々の姿を見つめていたアドラは、見覚えのある紺のドレスを見つけて駆け寄った。

「大丈夫ですの、リネットさん」

「アドラさん……」

 顔色がいいとは言えないが、一見したところドレスに血はついていない。内心ほっとしながら、ふらりと揺らいだ肩を支える。

「ラウンジにいらしたの?」

「えっと……あちこち見ていて……夕飯を食べ損ねてしまって」

 ラウンジの晩餐会に参加していたのではなく、この時間まで虫を求めて探索するうちにラウンジの方へ迷い込んだだけらしい。悲惨なものを見たようだが、渦中にいたわけではないと分かって少し安心した。血の気が引いて見えるのは、食事が足りていないせいもあるだろう。

「今、従業員の方が部屋を用意してくれますわ。クッキーとスコーンくらいしかないのですけれど、お茶を飲んだらきっと落ち着きますわ」

 昼間立ち寄ったカフェで購入した土産が役に立ちそうだ。本来はルームシェアをしている女友達のために買ったものだが、こうなっては大事にとっておいたところで渡せるかどうか怪しいものだ。もったいぶらず食べてしまった方が良い。

「ええ……ありがとう」

 リネットとアドラが小さく笑みを交わしたとき、

「……失敬!」

 聞き覚えのある声が喧騒を突き抜けてエントランスに響いた。ぱっと顔を向けると、エレベーターホールに通ずる扉から出てきた人物が、通りすがりに肩がぶつかった相手へ謝ったところらしい。

「あの方は、昼間の……」

 ぽつりと呟いたのはリネットだ。

「フレドリック様……よかった、ご無事でしたのね。貴女もお知合いですの?」

「ええ、知り合いというか……昼間、レストランでちょっと」

 アドラが散策するうちにフレドリックと知り合ったように、リネットもこのホテルで彼と言葉を交わしたらしい。

 人の合間を縫って歩いてくるフレドリックは硬い表情をしていたが、やがてリネットとアドラに気が付いて軽く目を瞠った。大股になって近づいてくる。女二人の顔を交互に見返したのは、「あなたも知り合いだったのか」というアドラと同じ驚きを覚えたためだろう。もっとも、この状況下では些細なことだ。口に出しては別のことを言った。

「お二人とも、まだホテルにいらしたのですか」

「夜は光によって来る虫が多いので……」

「なるほど……」

 リネットの虫好きぶりはフレドリックも承知しているらしい。

「わたくしは本当は日が暮れる前にお暇するつもりだったのですけれど、偶然会った知り合いとレストランでディナーをご一緒していましたの。それで帰ろうとしたらこの騒ぎで……。リネットさんとは丁度いま再会したところですわ」

 三人はそれぞれの無事を寿ぎあった。だが、そう単純に喜んでもいられない。事態は収束に程遠い。

「どこもひどい混乱ですわね、昼間とは比べ物にならないほどのありさまで……面白いものも落ちておりましたのよ。数時間前のわたくしでしたら、もっと無邪気に喜べたのですけれど。赤に黒い文字で『Masquerade Bar 会員証』と書かれたカード……きっと地下にあるバーの会員証ですわね」

 我ながらこんな時に暢気な話だが、リネットとフレドリックの変わらぬ姿を見て気が抜けたらしい。つらつらと先ほど廊下で見つけたものの話をしてしまう。呆れられるかとも思ったが、予想とは裏腹に、フレドリックの表情が険しいものになった。

「どうかなさいまして?」

「……ミス、残念ながら、その会員証を使う機会はなさそうです。実は先ほど地下酒場を訪ねて来たのですが、おそろしいことがおこっておりました。訪問は避けた方がいいでしょう」

 彼らしくもなく言い淀んだのち、声を低く落として言う。

 どういうことだろうか。アドラは眉をひそめた。

「支配人は、ラウンジで多数の死者が出たとおっしゃっていましたけれど……」

 隣のリネットを見遣ると、ラウンジを覗いて来たという彼女は小さく、しかしはっきりと頷いた。

「ラウンジの『緋色の花嫁』の件とは別です」

 一度は和らいだと思った緊張感が舞い戻ってくる。

「あまりご婦人の耳に入れるようなことでもないが、知らないでいる方が危険かもしれません。お話することにしましょう。私が地下に行くと酒場の扉が半分開いておりまして、そこから見えたのです――――あれは刺殺体でした」

 アドラは息を飲み、咄嗟に周囲を伺った。

 幸い、フレドリックが彼にしては最大限声量を落としていたのと、騒々しいエントランスにいる誰もが我が身を案じるので精一杯であったために、衝撃的なニュースが衆目を集めた様子はなかった。

「詳しくお話した方がよろしいでしょうか。聞きたくないのであればおっしゃって頂きたい」

 話すべきか否か、フレドリックはかなり真摯に悩んでいるようである。

 アドラはリネットと顔を見合わせ、それから頷きあった。二人とも、ちょっとやそっとのことで失神するタイプの淑女ではない。

「大丈夫、聞きたいです」

「ええ、ぜひお聞かせくださいな。こんな状況では、知らないことの方が恐ろしいですもの」

 では、と再度口を開こうとしたフレドリックを、リネットが小さく手を挙げて制した。

「あの、場所を変えた方が……」

 下手をすれば更なる恐慌を招きかねない。リネットの提案はごもっともだった。

 フレドリックは逡巡の後、

「では、……もし差し支えなければ私の部屋で話しましょう。一階に部屋をとってありますので」

 そう二人を誘った。

 平生であれば付き合いの浅い異性をホテルの部屋に招き入れるのは道徳的な問題が生じるが、他に適した場所があるとも思えない。二人きりではないのだし、非常時であるから多少のことは目をつぶろう、という合意が暗黙のうちに結ばれる。

 フレドリックの部屋はエントランスと同じ一階、一三三号室だった。

 話を再開する前に、アドラは従業員に頼んでお湯を用意してもらい、備え付けのテーブルにささやかなティーセットを用意した。紅茶とミルク、シンプルなスコーンとクッキーで全部だ。

「ジャムやクリームが何もなくて申し訳ありませんわ」

「いえ、頂けるだけでありがたいです」

「お気遣いいただいて申し訳ない!」

 聞けば、虫を追い求めるうちに夜を迎えたリネットと同じく、フレドリックもまた建築に夢中になっているうちに夕飯を食べ損ねたのだと言う。興味の対象が異なるだけで、この二人は似た者同士なのかもしれない。フレドリックは特に空腹を感じていないと言ったが、非常時だからこそ胃にものを入れておくべきだと主張して、アドラはクッキーを勧めた。

 クッキーが数枚と紅茶が半分ほど消費されたところで、フレドリックは話を再開した。

「入口すぐのカウンターに従業員服の男が、まるで酔いつぶれたように突っ伏しておりました。ただの酔っぱらいでないことはすぐに分かりましたが」

 建築について語る時とは似ても似つかぬ硬い声音が、このホテルで起きたもう一つの惨劇について語りだす。

「彼の体は濡れており、背中の中央辺りには二か所、刺し傷がありました。よく見れば、指輪泥棒事件で弁舌を披露したマイセン・クログレイその人であることがわかりました。……彼の妹君は今頃どうしているだろう。かわいそうに」

 束の間、沈黙の帳が下りた。

 優秀な兄と、迂闊な妹。対照的ではあるが、兄妹の仲は良好に見えた。神による定めではなく、悪意ある第三者の明確な意志によってもたらされた死は、あのエミリーにどれほどの衝撃と悲しみを与えることだろう。

「……濡れていた、と言うのは? ワインでも被ったんでしょうか」

 常にも増して小さなリネットの声が、疑問を呈する。昼間の騒動ではワインがぶちまけられていたので、その発想に至ったのだろう。

「現場を見た限り、濡れているのがワインのせいだとすれば、赤ワインでないことは確かです。無色透明の液体で濡れているとお思いください。……私は店内に入って状況を詳しく知ろうとしたのですが、背の高い男に止められてしまいました」

 ンンっ、とフレドリックは咳払いをした。

「だめだめ、今日は閉店ですよ」

 その男の声真似らしいが、普段のフレドリックのものと大差なく、仮に似ていたとしてもリネットとアドラには正解がわからない。

「という具合に締め出されてしまったのです」

「アンドレさんという従業員の方かしら。昼間、地下でお会いしましたの」

「その男は従業員服ではありませんでした。髭の生えた男だったのですが、私には見覚えのない男でしたね」

 口の中のスコーンを紅茶で流し込み終えたリネットが、もしかして、と口をはさむ。

「刑事さんかしら」

 指輪の盗難事件が解決した後、ホテルの二階で刑事の男を見かけたという話を、リネットは昼間のうちに聞いたらしい。

 そうかもしれませんな、とフレドリックは頷いた。

「あとは、ちらりとですが……ダイイングメッセージのようなものが見えました。ダイイングメッセージ、と言ってわかりますでしょうか。まるでシャーロックホームズの世界だが」

「その小説なら読んだことあります、少しですけど……」

「わたくしも、多少ならわかりますわ」

 一般大衆向けの月刊誌ストランド・マガジンに連載されるシャーロック・ホームズの物語は近頃評判の作品で、男性たちの会話を理解できるよう、アドラも軽く目を通していた。

 思えば、アドラたちが置かれた状況はまるでその物語が現実にでもなったかのようだ。凶悪な疫病、突然発症した大量の死者、同時に起きた殺人事件にダイイングメッセージ――かの名探偵ハリス・ニコラは、果たしてシャーロック・ホームズに違わぬ活躍でこの閉鎖されたホテルを開放へと導いてくれるだろうか。

 女性二人がダイイング・メッセージを解すると確認したフレドリックは話を続ける。

「それが奇妙なのです。“JESSICA”と読めなくはないが“S”が鏡文字になっていて……“JE22ICA”、こんな具合です」

 フレドリックは手帳を取り出すと、さらさらと文字を書きつけた。確かにSが反対になっている。

「カウンターに赤い文字で書かれておりました。……マイセン氏は左利きなのかな? 左手の人差し指が赤く汚れておりましたので、左手で書かれたのでしょう」

 なんとも珍妙な話だ。ダイイングメッセージといえば大体は犯人の名前か、それに連なる重要な事柄を残すものであろうが、何故その一部が裏返ったのか。

「ジェシカさんって……」

「そういう名前の女性従業員がいらっしゃいましたわね」

「でも、そんな大それたことができそうな人じゃなかったけど……」

 それに、いくらマイセンが筋肉質な体形ではないといっても、成人男性を女性が殺傷できるものだろうか?

 答えは出ない。今はまだ、答えを探すのではなく、情報を集める方が重要だろう。

「あとは……ワイングラスが倒れていました。彼が刺されたときに倒れたのかと思ったが、今、違和感に気づきました。こぼれたワインは彼の掌の下にあり、手の甲にはかかっていなかった……ワインが倒れたのが先なのだな、おそらく。ますますもって奇妙です」

 フレドリックが地下で見聞きしたことは、それで大体すべてらしかった。

「さっぱりわからない!」

 締めくくりとなった一言は、三人の総意だった。

「その……犯人は捕まってないんですよね?」

「この混乱の中では、おそらく。背の高い髭の男がリネット嬢の仰る通り刑事であるならば、捜査は始まっていることになりますが……十分に気を付けられた方がいい」

 目に見えぬ疫病ばかりか、顔のしれない殺人者まで紛れ込んでいるとは。沈鬱な空気が流れる。

「お気遣い、感謝いたしますわ。いつ、このホテルから出られるようになるのか、わからないのですものね」

「ご婦人だけでは心配だ。いつでも頼ってください」

 連れのいない一人客であるリネットとアドラに、フレドリックの言葉は心強い。さらにフレドリックは続けた。

「……状況がもう少し分かるまでこの部屋にいた方がいいかもしれません。差し出がましいことを言うようですが」

 思わぬ提案に女二人は顔を見合せ、ここでもやはり長考することなく頷いた。疫病だけならばいざしらず、殺人犯が潜んでいるとなれば見知らぬ誰かを含む複数人と空き部屋で同室になるよりも、ひととなりのわかっているフレドリックの部屋にいる方が安全だ。

「では、お言葉に甘えさせていただきますわ。なるべくお邪魔にならないようにいたしますから……」

「お世話になります」

 代わりと言っては何だが、とフレドリックはリネットを見た。

「よろしければ、ラウンジの様子をお聞かせいただけますか。私はそちらのことは全く見ていないので。思い出すのが辛ければ、ご無理なさらなくて結構です」

「大丈夫です」

 紅茶で喉を潤し、リネットは心持ち背筋を伸ばした。

「おなかが空いてたせいなんです」

 惨劇の話はそんな言葉から始まった。

「ついフラフラと歩きまわっている間に、ラウンジに入っていてしまって……」

 予定通り晩餐会が行われていれば会場への出入りを管理する従業員なり警備員なりがいただろうに、すでにパニック状態の招待客がエントランスへ向かった後で扉は開け放たれていたのだろう。

「まさかあんな惨状が広がっているなんて、思いもよらなかったんです。人があんなに……。あの死体、あれは本当に緋色の花嫁で亡くなったんですね」

 信じられぬほどの惨劇というのは、かえって語る言葉が少なくなるようだ。

 苦悶の表情で息絶えた人々、血に染まった衣服、赤く塗りたくられた床。

 リネットはぽつぽつと話を続ける。

「“大量出血、呼吸困難の症状を起こし、発病から死亡するまでが非常に早い。また、おそらく不衛生な環境に原因があり、感染症の可能性がある”。たしか拾った新聞でそう読みました。だから、こんな高級ホテルで広まるなんてありえないとばかり……」

「これまでの発症は、もっぱらイーストエンドでしたからな」

 アドラも頷く。

 ロンドンの一等地にあるこの高級ホテルで緋色の花嫁が爆発的に発症するなど、誰も想像しなかったに違いない。

「そういえば前に緋色の花嫁の話を聞いた時、変な噂も聞いたんです。呪われた鞄がどうこうって……」

「呪われた鞄?」

 リネットは頷いた。

「そう、たしかこの病はある“呪われたカバン”から発生したって。その鞄の中には『殺された花嫁の死体』が入っていて、鞄を手にした者は花嫁の呪いで次々と死亡する、だから『緋色の花嫁』という病名がついたっていう噂」

 なんとも胡乱な噂だ。アドラとフレドリックは互いの顔を伺ったが、二人ともリネット以上の噂に関する知識は持ち合わせていなかった。

「どうして急にそんなこと思い出したのか……気が動転しているのかもしれませんね」

「無理もありませんわ。どうぞ、紅茶をもう一杯召し上がって」

 ポットに残っていた紅茶をカップへ注ぎ足す。渋くなっているそれにミルクを惜しみなく追加して、リネットはゆっくりと飲み込んだ。

「お話、ありがとうございます。我々が把握している状況は、これで全部のようだ」

 これからどうなるのか――三人はそれぞれに同じことを考えたが、誰一人、答えを出せる者はいなかった。