伝象と俳句
https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494014194 【妖怪ぞろぞろ俳句の本〈上〉妖怪・動物】より
舘 綾子 文/山口 マオ、伊藤 秀男 絵
河童、天狗、九尾の狐などを読んだ俳句を集めました。エピソード解説も充実していて、俳句学習の導入にもぴったりです。
「河童の 恋する宿や 夏の月」(与謝蕪村)
「天狗風の こらず蔦の 葉裏哉」(与謝蕪村)
「獺の祭 見て来よ 瀬田の奥」(松尾芭蕉)
など、妖怪や動物にまつわる不思議な伝説を読んだ俳句を集めました。楽しいイラストに、俳句の意味の解説もあり、俳句はむずかしいもの、まじめなものと構えてしまう子どもたちの俳句学習の導入にぴったりです。
推薦のことば
新しい視点で俳句を読むおもしろさ 2013年4月30日
“妖怪ぞろぞろ”と「俳句の本」とのふたつの言葉をつなげた書名に、まず度胆を抜かれました。本を開いてまたびっくり。小林一茶や与謝蕪村、松尾芭蕉などの、なじみのある俳人たちが妖怪をテーマに句を詠んでいたとは……。でも、妖怪は、「人々の体験や知識から生み出された日本人の知恵であり、日本の文化の特色」([妖怪とはなにか]より)との解説を読み納得してしまいました。
今、子どもたちは、小学校の三、四年生から俳句について学習しています。伝統的な言語文化の一つとして、情景を思い浮かべたり、リズムを感じ取りながら音読や暗唱したりすることが求められているのです。有名な俳人のわかりやすい句を教材として取り上げることは、子どもたちの学ぶ意欲を高めることになるでしょう。
子どもたちは、妖怪・超人・鬼神といったたぐいのものへの興味関心が非常に高く、妖怪が出てくる物語も好んで手に取ります。妖怪と俳句を結ぶこの本は、子どもたちを容易に俳句の世界に親しませ、楽しい学びを生み出すに違いありません。
公達に 狐化けたり 宵の春 与謝蕪村
春の夕暮れの不思議な時間を詠んだこの句が、私のお気に入りです。
対崎奈美子(ついざき なみこ/東京学芸大学特命教授)
http://www.jidai-denki.com/2014/02/post-793a.html 【「妖怪ぞろぞろ俳句の本」 妖怪と俳句に見る人間と自然の関わり】 より
今回は、直接時代ものというわけではありませんが、江戸時代の文化に関連したユニークな児童書をご紹介。妖怪や神仏に関する俳句ばかりを集めた、カラフルで楽しい絵本であります。
「妖怪・動物」と「鬼神・超人」の上下巻に分かれた本書は、タイトルどおりにそれぞれ25句の俳句を収録し、その句と、その題材となった妖怪神仏の解説を掲載したもの。
見開きで一つの句を収録し、そこにカラーのイラストが付されているのも、目に楽しいところです。
さて、そもそも本書のコンセプトたる、妖怪と俳句の取り合わせですが、果たしてそれはアリなのか、と疑問に思われる向きもあるかもしれません。
しかし本書を見るまでもなく、妖怪を題材とした俳句は存外に多いのであります。特に妖怪を題材にした俳句が多いのは与謝蕪村ですが、蕪村はそもそもが妖怪好きであったらしく、現在は残念ながら散逸しているものの、「蕪村妖怪絵巻」として知られる自筆の絵巻をものしているくらいなのですから…(ちなみに折口真喜子「踊る猫」は、そんな蕪村を主人公とした短編集です)
そして何よりも、本書は上巻の冒頭で、俳句と妖怪の取り合わせが、それほど奇妙なものではないことを、上巻の冒頭で極めて明確に説明します。
すなわち日本では「自然との関わり方」として「技術ではなく、自分たちの意識を変えることで、理解できない不思議なことや自然界の恐怖をやらわげ」てきたのが「妖怪」であると――そして一方で自然の感動を詠んだのが俳句であるならば、ともに人間の自然との対面の仕方として、等しいものがあるのだと。
なるほど、大いに納得できるではありませんか。
そんな本書の五十句の俳句のうち、個人的に特に印象に残ったものを挙げれば――
「手をうてば木魂に明る夏の月」松尾芭蕉
「みのむしや秋ひだるしと鳴なめり」与謝蕪村
「陽炎や猫にもたかる歩行神」小林一茶
「秋たつや何におどろく陰陽師」与謝蕪村
うち、何故ミノムシが、と思われるかもしれませんが、ミノムシは鬼の父親から生まれた子という伝承が「枕草子」などにあるとのこと。恥ずかしながら私はこの話を知らなかったのですが、いや、なかなか勉強になる(?)ものです。
最後になりますが、本書の挿絵を担当しているのは山口マオ。二本足で歩く猫とも人ともつかぬ不思議な「マオ猫」の生みの親、と言えばご存じの方も多いでしょう。
本書のイラストも、あの独特の、ユーモラスでいてどこかシュールな感覚で、妖怪と俳句の世界を切り出すという難事を軽々とクリアしています。
(そしてほとんど挿絵で登場しているマオ猫)
パラパラとめくってみて、感心したりクスッとしたり――気軽に読める、しかしなかなかに内容の濃い絵本であります。
https://washimo-web.jp/Report/Mag-KijyoMomiji.htm 【- 鬼女紅葉伝説 -】 より
2013年11月の最後の週末、京都を散策する機会を得ました。紅葉の盛りがピークで、東山界隈の紅葉はどこも、度肝を抜かれるぐらい鮮やかで凄かったです。その美しさに魅せられつつ、三橋鷹女の句を思い出します。
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 三橋鷹女
枝に真っ赤な紅葉をたっぷり蓄えた樹が夕日に照り映えています。紅葉の恐ろしいほどの美しさを詠んだ句ですが、鷹女は、信州の戸隠(とがくし)に残る鬼女紅葉伝説(能の代表的演目『紅葉狩』としても著名)を下敷きにして、この句を作ったといわれます。
その美しさに魅せられて、もしこの紅葉の樹に登ったならば、間違いなく、あの鬼女紅葉伝説(きじょもみじでんせつ)の鬼女のようになるに違いない、と読み取ることができます。
〔鬼女紅葉伝説〕
紅葉(もみじ)は、鬼女紅葉伝説の主人公の名前です。平安の頃、子供に恵まれなかた会津の伴笹丸(とものささまる)と菊世(きくよ)夫婦は、第六天の魔王に祈った甲斐があって、女児を授かり、呉葉(くれは)と名付けました。
娘が才色備えた美しい女性に成長すると一家は都に上ります。呉葉は紅葉(もみじ)と名を改めて琴を教えはじめていると、ある日、源経基(みなもとのつねもと)の御台所の目にとまり、屋敷にあがってその侍女となりました。
紅葉の美しさは経基の目にも止まり、召されて経基と夜を共にします。経基の子を宿すと、紅葉は経基の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、妖術を使って御台所を呪い殺そうと計りますが、それが露見して捕らえられ信濃の戸隠(現長野市戸隠)へ流されてしまいました。
まさに紅葉の時期の秋、紅葉は水無瀬(みなせ、現在の鬼無里(きなさ))に辿り着きました。村びとは美人で京の文物に通じた紅葉を尊び、紅葉も村人に裁縫や読み書きを教え、病に苦しむ者があれば妙薬を施すなどして喜ばれます。
しかし、恋しいのは都での暮らし。紅葉の心は次第に荒んでいき、京に上るため軍資金を集めようと、一党を率いて戸隠山に籠り、夜な夜な他の村を荒しに出るようになりました。この噂が戸隠の鬼女として京にまで伝わっていくと、朝廷は平維茂(たいらのこれもち)に鬼女退治を命じます。
維茂は多くの兵を連れて討伐に向かいましたが、紅葉の妖術に太刀打ちできません。かくなる上は神仏の力にすがる他なしと、維茂は観音に参籠し、必勝祈願をします。そうすると紅葉の妖術は無効化され、 969年(安和2年)呉葉=紅葉33歳の晩秋ついには征伐されました。これ以降、村は鬼無里と呼ばれるようになったといわれます。
〔紅葉狩(能)〕
美い紅葉の情景の中で平維茂の鬼退治を描く能の一曲。場面は信濃国戸隠。若い美女が数人連れ立って紅葉見物にやってきて、紅葉の絶景の中で幕を巡らし宴会となります。そこへ馬に乗り供の者を従えた平維茂の一行が鹿狩りにやってきました。楽しげな宴会が開かれているのを発見した維茂は、供の者に様子を見てこさせます。
しかし、美女一行は素性を明かしません。そこで、維茂は馬を降り通り過ぎようとしますが、どうかお出でになって、一緒に紅葉と酒を楽しみましょうと誘惑されます。無下に断ることもできず宴に参加した維茂でしたが、美女の舞と酒のために不覚にも前後を忘れてしまいました。
美しい舞は突如激しい舞になり美女の本性を覗かせますが、維茂は眠ったままです。女たちは目を覚ますなよと言い捨てて消え去ります。ここで場面は夜となり、八幡宮の神が現れ、維茂の夢中に、美女に化けた鬼を討ち果たすべしと告げ、神剣を授けます。
覚醒した維茂は、鬼を退治すべく身構え、嵐と共に炎を吐きつつ現れた鬼と打ち合い、激闘の末ついに鬼を切り伏せることに成功しました。
〔三橋 鷹女〕
みつはし たかじょ。1899年(明治32年)-1972年(昭和47年)。千葉県に生まれ、高校卒業後、若山牧水、与謝野晶子に私淑。俳人であった歯科医師と結婚し、俳句の手ほどきを受ける。昭和期に活躍した代表的な女性俳人として、中村汀女・星野立子・橋本多佳子とともに4Tと呼ばれましたが、4人のなかでも表現の激しさと前衛性において突出した存在でした。代表的な句に、
鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
ひるがほに電流かよひゐはせぬか つはぶきはだんまりの花嫌ひな花
などがあります。(注)鞦韆(しゅうせん)=ブランコのことで、春の季語。