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伝説

2020.11.07 12:54

http://hyoukichiya.com/hosai.html 【蓬莱飾り】 より

蓬莱飾りとは、中国の東海にある理想郷の島蓬莱山を 真似て正月に床の間の飾りにしました。

三宝の上に洗い米を敷き、ウラジロ、ユズリハ、松竹梅、お餅、橙、 干し柿、ホンダワラ、伊勢えび、熨斗あわび、勝ち栗、昆布等を飾ります。

飾り手のセンスを競っていたのかも知れませんね。

『蓬莱に 聞かばや伊勢の 初便り』  芭蕉

上の句は、正月江戸深川で蓬莱飾りを見た松尾芭蕉が 目出度い飾りの伊勢エビ、鮑などの海の幸を見て 自分も2度訪れた伊勢を思い出し、まるで伊勢から初便りが届いたようだ 伊勢から初便りが届くとは新年から縁起がよいとの思いを表した句です。

芭蕉は徐福の探した不老不死の薬アワビがたくさん採れることなどから 蓬莱山は伊勢なのかも?と思ったのかも知れませんね この目出度い飾りも、原型は三献の儀です。

やがてはおせちへと食べられるものに進化をしていきます。


https://japan-e-knowledge.jp/contents/kidsknowledge/cgi-bin/nipo/nipo_detail.cgi?id=0022152600&page=20&pFrom=&yokogusi=&refhtml=&hist=106125,210009,107196,210009,102294,107196,107194,107196,107196,104637,103073,210068,101688,210081,102599,100697,210100  【伝説】 より

渡鹿野(わたかの)島に「夜泣き松」の伝説がある。かつて志摩の海に浮かぶ小島には多くの船が寄港し、天候不順のときは幾日でも日和(ひより)待ちをした。港には船乗り相手のハシリカネとよばれる遊女がおり、その1人が赤崎の老松の根元に産み落としたばかりの赤子を埋めた。以来、月夜に赤子の泣き声が聞こえるようになったという。弘法(こうぼう)伝説も多い。熊野市大吹(おおふき)峠にある「弘法栗(ぐり)」、松阪市西蓮寺(さいれんじ)の「弘法柿(がき)」のほか、弘法大師(だいし)が杖(つえ)を立てた土地から水が湧(わ)き出たという「弘法清水」の伝説が各地にあり、志摩市阿児町志島(しじま)の弘法井戸は「杖跡水」とよばれ、大師の石像が祀(まつ)られている。鳥羽市の正徳(しょうとく)院にも弘法井戸があり、松阪市丹生寺(にゅうてら)町の子安井戸も弘法水で、身重の女が飲むと安産をすると伝えている。

 桑名市多度町多度神社の境内に「大楠(おおくすのき)」がそびえていたが、織田信長の武将滝川一益(かずます)が長島城の門扉(もんぴ)をつくるために伐(き)り倒させた。それが別宮の一目蓮(いちもくれん)神社の荒神(あらがみ)の怒りに触れ、城は焼かれ、楠を伐った中江清十郎一家は滅亡したという。熊野には中国秦(しん)の徐福(じょふく)の伝説が根づいている。徐福は始皇帝に仕えた道士で神仙の術に秀で、帝の命令で不老不死の仙薬を探すために来朝した。その船が漂着したのが熊野市波田須(はたす)の浜だったと伝える。徐福は仙薬を探しあぐねてついに日本の土に帰したという。芭蕉(ばしょう)が「月の夜に何を阿漕(あこぎ)に鳴く千鳥(ちどり)」の句を詠んだ「阿漕塚」は津市柳山(やなぎやま)にある。この塚は、禁断の珍魚ヤガラを病母のためにとったが、それが露顕して死刑になった漁師阿漕の平治の霊を弔うために建てられたという。この伝説はのちに謡曲や浄瑠璃(じょうるり)の素材になり有名になった。平安時代末期に大盗といわれた「熊坂長範(くまさかちょうはん)」の伝説は各地に残るが、いなべ市藤原町に熊坂という地があり、彼が潜んでいたと伝える岩窟(がんくつ)もある。

 亀山市関町と滋賀県甲賀市の境にある鈴鹿(すずか)峠は、平安時代には阿須波(あすは)道とよばれていた。峠の鏡岩(かがみいわ)に「鬼女立烏帽子(たてえぼし)」という名の女賊が住み着き、旅人を脅かしたが、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)により退治された。南伊勢町には竈(かま)の字のつく集落が8か所ある。八ヶ竈(やつがかま)とよばれ、いずれも海に面した入り江にある。平家滅亡後、平維盛(これもり)の妾腹(しょうふく)の子が一族を連れて落ちてきた地と伝えている。平地がなくて農耕ができず、一族は生業(なりわい)に塩を焼いてきたという。

[武田静澄]


https://sites.google.com/site/kansaiwakahai/kyou-no-ikku/bakkunanba/te-ji-mengnoorusuta-ju-hui-besuto7/jiu-liu-dao-yuan-mengno-yao-guai-ju-huibesuto7 【④久留島元・「夢の妖怪句会ベスト7」】より)

邪鬼が踏む大和盆地の暑さかな  角川春樹 【季語:暑さ(夏)】

イメージからいうとこの「邪鬼」は興福寺の天燈鬼、龍燈鬼だろうか。燈籠を肩に担いだり、頭に載せてしっかりと踏ん張っている、鎌倉時代らしい力強い名品である。

梅雨明け宣言はまだのようだが、今年も連日暑い日が続く。節電の夏、仏法守護を誓った邪鬼たちが踏みしめる古都の夏は、ことさらに暑いだろう。

 妖怪句会、トリを飾る<破軍>は、角川春樹(1942~)。唯一の生者である。掲句は平井照敏『現代の俳句』(講談社学術文庫、1993)から引いた。初出は『花咲爺』(1989)。

 春樹氏はよく知られているとおり國學院大学文学部の卒業で、父・源義とともに民俗学の造詣が深い。そのため句集のタイトルや作品にもその影響が濃く、「北風吹くや一つ目小僧蹤いてくる」「山の童の遊びは何ぞ秋の暮」、最近にも「獄に棲む魑魅が手鞠ついてをり」などの句が散見される。

 春樹氏が目指すのはキャラクターとしての「妖怪俳句」ではなく、民俗学的、あるいは歴史学的な厚みと蓄積をもつ語を核に一句を立ち上げようとする営為なのだろう。

 作品外のパフォーマンスを含め、「妖怪的」存在感を持つ最後の俳人、と言っていいかも知れない。

(久留島元)                   

鼠男あつまつて似た香を焚く  赤尾兜子    【無季】

 一読、かの「ねずみ男」のような怪しげな衣をまとった男たちが、てんでに香炉を持って集まっている情景を想像し、ぞっとしながらも笑ってしまった。大妖怪の復活祭か、マルチの霊感商法か。

 実際には「鼠男」は水木しげる氏のキャラクターではなく、心理学者フロイトの初期論文で有名な強迫神経症患者のことだろう。そんな男たちが持ち寄る「似た香」に、強い寓意がある。強迫的妄想を語って恐怖をあおっている男たちだが、実は集まって似たような話をくり返しているだけだ、というようなことだろうか。

 なにか今の政治の世界にも通じるようだが、掲句は『虚像』所収、昭和38年に発表された句。『赤尾兜子全句集』(立風書房、1982)から引いた。

 <武曲>には、兵庫県出身の赤尾兜子(1925~1981)。昭和三十年代の兜子は関西前衛俳句の中心人物だった。

 ところで月曜に紹介した永田耕衣『悪霊』には「老鼠族粧う「海は菓子ではない」」(昭和34年)があり、小林恭二が紹介する『一九六〇年度版火曜』には大原テルカズの「鼠いっせいに皮を脱ぐしかも赤い広場」がある。「鼠」は前衛俳句の流行語だったのだろうか。

 ちなみに水木しげる版「ねずみ男」の初登場も一九六〇年代の貸本漫画である。直接ではないにせよ、二人の「ねずみ男」には通底するものがあるのかもしれない。

(久留島元) 

梟の声にみだれし蛍かな  泉鏡花  【季語:蛍(夏)】

 妖怪俳句とは呼びにくいが、なんともいえない幻想味ただよう句だ。

 そう感じるのは泉鏡花(1873~1939)という作者名に引きずられているからだろうか。しかし私たちが彼の句を読もうとするとき、作家・泉鏡花のイメージを捨てて読むのはかえって難しい。私はむしろ鏡花という作者名も含めて、この句の幻想的な味わいを楽しみたい。北斗は第五星、<廉貞>。

 掲句は『鏡花全集』二七巻(岩波書店、1942)から引いた。鏡花は師の尾崎紅葉とともに俳諧に親しんでいたが、現在ではあまり読まれることがない。

 ホラー作家で俳句作家でもある倉阪鬼一郎氏によれば、「短歌というのは本格推理で、俳句というのは怪奇小説」なのだそうだ。(『幻想文学』37号掲載の対談にて)

 なぜかというと、短歌の場合、たとえば謎を提出しても、最後に全部解かれてしまうんです。俳句では、謎を提出しても、語数が決定的に足りませんから、謎が解かれないままに終わるんです。……謎が解かれても、その時点で謎が何であったかわからなくなってしまうという、それが、俳句なんです。ですから、怪奇小説を解する人は、絶対俳句も解すると思う。逆はどうか知りませんけれど。

 そういえば上田秋成から始まって、泉鏡花、平井呈一、日夏耿之介など幻想小説家には俳句に親しんでいた人が多い。俳句と怪奇は、案外相性が良いものらしい。

(久留島元)

河童の恋する宿や夏の月  与謝蕪村  【季語:夏の月(夏)】

 <文曲>には、妖怪俳句の大先達、与謝蕪村(1716~1784)に登場してもらった。

 河童は「かはたろ」とよむ。よく知られていることだが、「カッパ」はもともと関東の一方言であり、「河童」的な妖怪をさす方言は全国に四百以上確認できる。標準語の普及とともに現在は「カッパ」が総称として定着しているが、かつては京都大阪には「カワタロ」または「ガータロー」、三重では「エンコ」、和歌山では「ドンガス」など、それぞれ独特の呼び名があったのである。

 その、関西出身のカワタロが夏の月明かりのもと、恋をする。今日的な純愛を想像してもよいが、あるいはこのカワタロ、川縁の遊女宿にでも通い詰めているのかもしれない。

 掲句は昨日と同じ、井上泰至氏の「子規の内なる江戸⑦ 怪奇趣味の句」で、子規に影響した蕪村の怪奇趣味(井上氏の語では鬼趣)としてあげられているもの。

 ところで、掲句のような「妖怪俳句」は江戸の黄表紙などで活躍したキャラクターとしての「河童」を前提にしている。つまり歌舞伎役者に恋したり、吉原でキセルをふかしたりするような河童たちである。蕪村には「かくれ住て花に真田が謡かな」「花すゝきひと夜はなびけ武蔵坊」「甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋」(岩波文庫『蕪村俳句集』より)といった虚構に取材した句が多くあるが、「河童」も同じような素材だったのだろう。

(久留島元)

短夜の足跡許りぞ残りける  正岡子規  【季語:短夜(夏)】

 寝苦しい夏の夜。物音がしたので戸口を出てみたが、誰もいない。前日の雨で濡れた道に、足跡だけが残っている。

 短い怪談のような、物語性の強い句。

 <禄存>には正岡子規(1867~1902)から、「妖怪体」の句をご紹介したい。

 掲句は『俳句』2009年7月号掲載の井上泰至氏の連載「子規の内なる江戸⑦ 怪奇趣味の句」で触れられているひとつ。井上氏は掲句を「この季語である決め手に欠ける憾みがある」というが、短夜ならではの、はかない風情がよく出ているのではないだろうか。

 掲句は一読、明瞭に舞台が浮かぶ視覚的な句だが、他にも次のような句がある。

  鐘凍る夜床下にうなる金の精

  宿替の百鬼群れ行く野分哉

 これらはおそらく『今昔物語集』巻二十七の説話に取材したものだろう。たとえば「三善清行宰相家渡語第三十一」は、三善清行が化け物屋敷と評判の空き家を購入して妖怪たちに襲われるが、少しも騒がず結局道理を諭して妖怪を転住させてしまった、という話。『化物草子』など絵巻化もされているが、「野分」の取り合わせは子規の独創で、いかにも「妖怪」が出そうな舞台設定である。

 井上氏によれば子規の「妖怪体」は明治28年春頃から多くなっており、それには蕪村の影響や自身の大病が関係しているのではないか、という。一方で「写生」を唱えながら、子規は江戸以来の「妖怪体」の可能性も追求していたのだ。

(久留島元)

古町に墓遊びして数へ唄  中村苑子 【無季】

 無季だが、お盆の風景などを想像する。不謹慎なようだが、墓場というのは広いし、人はいないし、かくれんぼには最適だ。そっと隠れていると、鬼になった子の数え歌が聞こえる。あれ、どこ隠れた? たしかあの、大きな墓石あたりにいたはずや。 もーいーかーい? い-ひん、どこいったんや。。。

 掲句は、『妖怪文藝巻之参 魑魅魍魎列島』(小学館文庫、2005)から引いた。

 これはフリー編集者でアンソロジストの東雅夫が厳選した「妖怪文藝」シリーズの最終巻。泉鏡花や岡本綺堂、変わったところで椋鳩十や水木しげるの小説の他、林家正蔵の落語、京極夏彦作の狂言まで収められたアンソロジーなのだが、シリーズで唯一収められた俳句作品が、掲句を含む群作「山河」である。もとは処女句集『水妖詞館』(1975)所収。

 中村苑子(1913~2001)は静岡県出身。高柳重信の知遇を得て活躍した。彼女の作品は「桃の世へ洞窟(ほこら)を出でて水奔る」「桃の木や童子童女が鈴なりに」「臼唄や鬼火の見ゆる眼となりて」など、現実世界を超えた風景を描写しつづける。東は苑子を「現代俳句きっての幻視者のひとり」と呼ぶが、まさに彼女の句は異界への扉なのだ。謹んで北斗第二星、<巨門>の称号を進呈したい。

(久留島元) 

蟹の気や知らぬ顔して行く六人  永田耕衣  【季語:蟹(夏)】

 これから一週間、夏に相応しく異類異形が活躍する「妖怪俳句」をご紹介したいと思う。七曜の七から発想して七人を北斗に擬え、選りすぐりの七人を選出する予定であるのでお楽しみいただければ幸いである。

 トップバッター、<貪狼>には神戸出身の永田耕衣(1900~1997)。掲句は第五句集、その名も『悪霊』(俳句評論社、1964年)から引いた。昭和三十年の作品。

 得体のしれぬモノの気配をモノノケと言うが、「蟹の気」とは寡聞にして聞かない。

 普通、沢ガニなどを想像すればその気配などあってないようなもので、むしろ「蟹の気」に気づかず立ち去る人々を「知らぬ顔しやがって」などと思いながら数えている、作者の意識のほうが謎めいている。まさに作者自身が「妖怪」的な感性を発揮していると言える。

よく知られていることだが、『悪霊』所収句は耕衣が意識的に(無理矢理)方向転換を図ったために、まったく意味のわからない句が続出する。よく知られた「死螢に照らしをかける螢かな」「泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む」も、解釈しようとすると相当難しいが、「獣交る山を身軽に跳ね出る人」「覆えされた亀がいう「あなたの眉毛何本?」」「細枝でしゃべる老杉「肥えたの?冬蠅!」」あたりは完全にお手上げである。今回はじめてまとめて読み、改めて「理解不能!」の感を深くした。読者に残された道は、もう、笑うしかない。

 ともかく山川草木すべてが霊性を発揮してしゃべり出す、『悪霊』は、そんな、騒がしくも怪しげな異世界なのである。

(久留島元)