【小石川②】白山神谷町
2020.11.07 16:55
町名:白山神谷町
読み方:はくさんかみやちょう Hakusan-Kamiyachō
区分:町丁
起立:明治維新後
廃止:1869(明治2)年6月
冠称:「白山」
後身:小石川久堅町
現町名:文京区小石川四・五丁目、白山四丁目
概要:江戸期に白山大道通(小石川白山大道通町家)、小石川橋戸町北部が明治維新後に白山神谷町となったようだ。『角川日本地名大辞典』において、1869(明治2)年3月16日、50番組のうち地方2番組に属したことは確認できた。しかし、1869(明治2)年6月、小石川久堅町に編入となり消滅。
また、『「江戸から東京へ」町名の移り遷り』から、現・小石川五丁目内に白山神谷町の一部があったことが判った。それによると江戸期には「武家寺地」であったとされている。これは谷端側の右岸に沿った宗慶寺の辺りのことであろう。
つまり、白山神谷町の町域は、白山大道通(小石川白山大道通町家)と小石川橋戸町北部に加え、谷端側の右岸に沿った宗慶寺の辺りの武家地を含む、かなり広大なものであったことが判った(御薬園跡については不明)。しかし、1869(明治2)年6月には小石川久堅町に編入されて消滅(御薬園跡も小石川久堅町に編入)。
その近隣の元武家地(安閑寺の西にある武家地であろう)が小石川戸崎町に編入となる。
1891(明治24)年3月、それらが小石川村字御殿下鶴場と合併して白山御殿町になったということであろう。
撮影場所:白山神谷町