【92番】「沖の石の讃岐」と評された最後の女流歌人!!二条院讃岐!! 2020.11.07 21:47 ジャンル:恋時代:鎌倉時代 超要約:泣きどおし歌の意味(子ども向け):私の袖は海底の石のようにいつもぬれているの。涙のせいで。歌の意味:私の袖は、引き潮の時でさえ海中に隠れて見えない沖の石のようだ。他人は知らないだろうが、(涙に濡れて)乾く間もない。☟この首に関するクイズQ 作者は、何歳ぐらいまで生きたか?①20台後半②50歳ぐらい③70台後半 A ③ 息長く活躍し、多くの歌合に呼ばれた。👇語呂合わせ(覚え方) 「寄石恋(いしによするこい)」という難しい題を与えられて詠まれた一首です。「石」を「潮干に見えぬ沖の石」としたところが新しく個性的でした。いつも海中に沈んでいて、乾くことのない石が、だれにも知られない恋と乾くことのない涙を強く印象づけています。 作者である二条院讃岐(にじょういんのさぬき)は、優れた歌人であった源頼政(みなもとのよりまさ)の娘です。二条天皇に仕え、後に後鳥羽院(99番)の中宮にも仕えました。この歌を詠んだことで、評判になり、「沖の石の讃岐」と呼ばれたそうです。式氏内親王(89番)と並ぶ、当時一流の女流歌人でした。息長く活躍して、多くの歌合に呼ばれ、70代後半という高齢で没しました。 百人一首に選ばれている100人のうち、最後の女流歌人です。 歌に出てくる「沖の石」は、有名な歌枕である「末の松山」の南方で、池の中にさまざまな奇石が並んでいるのを詠んだものだ、という言い伝えがあります。「末の松山」は、現在の宮城県多賀城市八幡にあり、JR仙石線多賀城駅から徒歩で10分くらいのところです。末松山寶國寺の正面の本堂の後ろに見える小さな丘で、2本の松が植えられています。歌碑「沖の石」は末の松山の道の向かい側にある小さな池で、現在はコンクリートで固められていますが、昔はここまで海だったと言われています。