【95番】世の中を何とかしたいと強く願った!!前大僧正慈円!! 2020.11.07 21:48 ジャンル:他時代:鎌倉時代 超要約:俺が救世主歌の意味(子ども向け):この私が、全ての人たちを守ってみせます!歌の意味:身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民たちを包みこんでやろう。この比叡の山に住みはじめた私の、墨染めの袖で。☟この首に関するクイズQ 「杣」は植林した木を切り出す山「杣山(そまやま)」のことである。ここでは、何と言う山か?①富士山②吉野山③比叡山A ③ 13歳で出家し、37歳の時に天台宗の座主(比叡山延暦寺の僧侶の最高職で首長)となった。👇語呂合わせ(覚え方) 仏教の教えをもとに、世の人々を救いたいという決意を詠んだものです。平安時代末期は、戦争、はやり病、不作などで、人々は苦しい生活をしていました。作者は僧侶として、人々を助ける使命感に燃えていたのでしょう。 「おほけなく」は「身分不相応ながら」、「うき世の民」は「つらい世の中」、「わがたつ杣」は「比叡山(ひえいざん)」のことです。「墨染(すみぞめ)」は、「(僧の着る黒衣)墨染」と「住み初め」を掛けています。比叡山に住み始めたことを言っています。 作者は、関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)(76番)の子です。10歳で父を亡くし、11歳で比叡山に入り、13歳で出家しました。家柄、権威、見識、そして文学の才能を兼ね備えた僧侶です。「おほけなく」とへりくだっているところも、13歳で出家し、37歳で天台座主(てんだいざす)(比叡山延暦寺の最高位で、天台宗の長)となった作者の、人間としての大きさを感じさせます。日本初の歴史論集「愚管抄」の作者でもあります。 慈円の生きた時代は、権力を極めた藤原氏の勢力が徐々に弱まり、貴族そのものが衰退して新興勢力である武士の時代へと移り変わっていくその時でした。保元・平治の乱で都が荒れ、1192年にはついに鎌倉幕府が開かれます。激動の時代そのものでした。