【99番】無念にも承久の乱で敗れて隠岐に流された!!後鳥羽院!!
2020.11.07 21:49
ジャンル:他
時代:鎌倉時代
超要約:色々悩むよ
歌の意味(子ども向け):いろんな人がいて、いろんなことを思うよ、オレは。
歌の意味:人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。
☟この首に関するクイズ
Q 「をし」の意味は?
A 「をし」は「愛(を)し」と書き、「愛おしい」という意味である。
👇語呂合わせ(覚え方)
人を愛おしく思ったり、恨めしく思ったりする心の動きを詠んでいます。作者の後鳥羽院は、政権が貴族から武家へとうつる時代を生きた人で、思うように動かない武家へのいらだちなどで苦しんでいた心の内が伝わってくるようです。
「をし」は「愛し」と書き、「人が愛おしく思われる様子」を表しています。「あぢきなし」は「思うようにならずに苦々しい」という意味です。
作者である後鳥羽院は、第82代天皇です。4歳で即位し、19歳で天皇の位を退きました。その後、院政(位をゆずった天皇または仏門に入った上皇が、政治をおこなうこと。)を行いました。この歌を詠んだ9年後の1221年、承久の乱(※)に敗れて、隠岐島(おきのしま)に流されてしまいました。19年後、その地で亡くなりました。その後、顕徳院(けんとくいん)と称されましたが、たたりのために怨念が出るとうわさされ、1242年に、後鳥羽院と改められました。
後鳥羽院は、政治権力を奪われた立場にあり、また貴族社会の復権を強く望み、歌会など勢いが盛んだった時代を彷彿とさせるような催しを数多く執り行っています。自らも非常な歌の名手で、百人一首の撰者・藤原定家らに新古今和歌集の編纂を命じるなど、後世に多くの遺産を残しました。
この歌を百人一首の99番に、100番に院の皇子・順徳院のももしきや 古き軒端のしのぶにも なほあまりある 昔なりけり と村上天皇時代の貴族の全盛期を懐かしむ歌を選んだ、定家の気持ちがよくわかります。 激動の歴史を100首の並びに織り込み、元主君を想いをこめた定家の百人一首の世界は、なんと広いことでしょうか。
※時代は、貴族の世から武家の世に移り変わろうとしていました。武家による国づくりをめざす鎌倉幕府を倒すため、後鳥羽院は、息子の順徳院らとともに戦い始めます。 これを「承久の乱」と言います。しかし、乱は失敗し、幕府側が大勝利。後鳥羽院は隠岐(島根県)に、順徳院は佐渡(新潟県)に流されました。