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右近の橘、左近の桜

2020.11.09 05:24

https://www.kannonyama.com/shopdetail/012000000001/ 【橘(たちばな)|非時香果】より

「非時香果」とは、橘の実が「時を選ばず(非)に香る果実」だということで、昔の人々が名付けた名前です。

その橘を祖先とする柑橘(かんきつ)類は、その名の通り、長い間良い香りを漂わせてくれます。

昔はみかんと言えば、「お菓子」でした。

今では「お菓子」と「果物」のジャンルが分かれてしまっておりますが、みかんを持ち帰ってくれた田道間守公は、現在では「みかんとお菓子の神様」として祀られており、みかん農家だけでなく、全国のお菓子業者様からも多くの信仰を集められております。

橘本神社様

当園も、橘本神社様とは代々のお付き合いをさせて頂いております。

初詣には、毎年元旦に必ずお参りさせて頂いております。

京都御所の「右近の橘、左近の桜」が有名ですが、なんと橘はこの橘本神社様が発祥の地なんです。橘本神社様が「橘本(橘の本)」たる由縁です。


橘の 香をなつかしみ ほととぎす  花散る里を たづねてぞとふ

(源氏物語第11帖「花散里」より)

五月待つ 花橘の 香をかげば   昔の人の 袖の香ぞする

(伊勢物語第六十段)


http://www.shiroyama.or.jp/kisetu_info/tatibana_hana_kaika.htm 【御神木「橘」】より

5月初旬から中旬まで、拝殿前の御神木『橘』(タチバナ)が開花します。

「タチバナ」は、ミカン科ミカン属の常緑小高木。別名ヤマトタチバナ、ニッポンタチバナ、九年母(クネンボ)ともいい、日本に古くから野生していた日本固有のカンキツです。

純白色で香の高い小さな五弁の花を木いっぱいに咲かせ、ハナタチバナとも呼ばれます。冬に実をつけます。すっぱいのでそのままでは食用には不向きですが、香りがよいので皮を和え物などに使います。

学名はCitrus tachibanaといい、沖縄のシイクワーサーと2種類だけが日本原産の柑橘種です。シトラスは、さわやかな柑橘類の香りが特徴で、この香りがいつまでも消えないことから、非時香菓(ときじくのかぐのみ~いつまでも香りが消えない果実)といわれます。

葉も肉厚で常に緑を保ち艶やかであり、永遠性と神秘性を併せ持つ植物として、古代から不老不死の木とされています。

また、シトラスは脂肪細胞のアドレナリン受容体を刺激し、体脂肪の分解・燃焼を促進します。

拝殿前は、心も洗われるような爽やかな橘の香りで満ちています。参拝の折、是非、御神木『橘』の花をご観賞下さい。小さな小さな花が枝一杯に咲いています

古今和歌集には「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」と香りが人の記憶を呼び起こす恋歌としても詠まれています。

清々しい様子は神社によく合います。シトラスの香りが爽やかです。香りをお届けできないのが残念!!是非ご参拝下さい。

心も洗われるよう.....清浄は神道の神髄蝶も蜜に誘われます

----------------- 橘の不老不死伝説と菓祖田道間守 -----------------

 田道間守(たぢまもり)は第11代垂仁天皇(BC69)の勅命をうけ、常世(とこよ)の国にある、非時香菓(ときじくのかぐのみ)と呼ばれる不老不死の霊薬を求めるため、海を渡りました。田道間守は、唐、天竺をさまよい、常世国に至って、非時香菓と出会いました。そしてその実を持って急ぎ帰国しました。出発より十年の歳月がたっていました。

 ところが、垂仁天皇は田道間守が帰国する前年、彼のことを九年の間案じつつ崩じられていました。九年母の語源もここから来ています。田道間守は嘆き悲しみ、御陵に非時香菓を献じ殉じてしまいました。この逸話を残す「日本書紀」には、非時香菓は橘であると記しています。

 橘は田道間花(たぢまはな)がつまったものだとの説もあります。橘は花も実も香気が高く、寒暖の別なく青緑の濃い枝葉が常に美しく生い茂り栄えるので、長寿瑞祥の樹として重用されました。中国の宮城、平安京の紫宸殿前庭にも「右近の橘」として植えられています。

永遠を象徴する常緑の橘は家紋としても使用されました。橘紋は実と葉をかたどっているといわれますが、花と葉のようにも見えます。万葉以前には、皮は風邪の薬として用いられていました。

香りがよい非時香菓は菓子の材料としても食され、わが国の菓子のはじまりとされます。田道間守は菓祖(お菓子の神様)とされています。

 また「文化は永遠である」との昭和天皇のお言葉から、文化勲章は常緑の橘を勲章にしたといわれます。


https://www.mataro.co.jp/column/%e9%9b%9b%e4%ba%ba%e5%bd%a2%e3%81%ab%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e6%a1%9c%e3%81%ae%e8%8a%b1%e3%81%a8%e6%a9%98%e3%81%ae%e8%8a%b1%e3%81%8c%e9%a3%be%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%ae 【雛人形にはなぜ桜の花と橘の花が飾られているの?】 より

女の子の無病息災を願うひな祭り 一年に一度の女児のための祭事、「ひな祭り」。

女の子の健やかな成長を願って、ひな人形・内裏雛・親王飾りなどのお人形を飾ったり、ごちそうを用意するなどして祝います。

鋭い寒さが和らぎ、花々がほころぶころに訪れる祝いごとであることから、春の代名詞とも言える催しであると言えるでしょう。

ひな人形を出すときに欠かせない木花

ひな人形をお飾りになるときに欠かせない存在が「桜」と「橘」の木花。橘とは、白い花と小さな実をつける柑橘系の樹木です。

ひな人形に向かって右側に桜を、東側に橘を飾ることが一般的とされ、左近の桜・右近の橘と称されることでも知られています。

ここで、飾る位置と呼び方が一致しないために、アレっと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

これは、ひな人形が「京都御所」内部に存在する紫宸殿(ししんでん)をモデルとした作りであることに由来するためで、御所内では、親王様から見て紫宸殿東側に桜が、西側には橘が植樹されています。

つまり、ひな人形を飾るときの花の位置もまた、おひなさまからの視点で考えられているということになるのです。

また、左近の桜・右近の橘という呼び方は、宮中の警固などを行う近衛府である左近衛・右近衛が、この2種類の木花の近くに配陣されていたことが始まりと言われています。

では、ひな祭りに桜・橘を飾りとして設けることにはどのような意味合いが込められているのでしょう。

ひな祭りに飾る木花が持つ意味

桜と橘には、古来から「魔除け」「邪気払い」の力があると考えられてきました。

橘には「不老長寿」を願う役割もあるとされ、そのどちらも健やかに過ごすための象徴であるとされています。

童謡などにも代表されるとおり、桃の花を用いて代用することもありますが、これもまた、桃に邪気払いの霊力が強く備わっているためと考えられています。

健康と成長に感謝と願いを込めて木花を飾り、楽しいひな祭りを迎えましょう。