青山道り(大山道を歩く)第3回
10月29日
青山通り大山道は、赤坂御門から大山までののルートは矢倉沢往還と重複しています。
矢倉沢往還は、江戸時代に五街道の補助道として定められた脇往還の1つです。
快晴 気温 やや暖かい
コース
市ヶ尾駅⇒竹下地蔵堂⇒川間橋⇒医薬神社⇒最勝橋⇒青葉台公園(昼食)⇒恩田大橋⇒片町地蔵堂⇒長津田宿⇒大林寺⇒お七稲荷⇒長津田駅(解散)
市ヶ尾駅9時45分出発 前回第2回目の最終ちであった(竹下地蔵堂で体操)
今渡っているのは川間橋 別名三文橋。江戸時代末期、川間吉兵衛が私費を投じて橋を架け、利用者から渡リ賃3文(1文は25円)をとったらしい。武士は無料だった。
今回は国道246号を何ども行ったり来たり、
車に隠れてしまいましたが、正面に見えるのは田中屋さん
三代将軍家光を治療したと伝えるマムシ治療約販売していたと言われる。
医薬神社 青葉台公園(昼食)の後、糟屋家の宝篋印塔が2基あるが、伊勢原の糟屋とは関係ないことがわかった。
石塔坂を降ると供養塔道標 上りが江戸道、下りが大山道とある
恩田大橋付近 国道246号に沿って歩く
旧大山街道の標識
JR横浜線のガード。石済みの部分は明治41年横浜鉄道(私鉄)に開業から利用、大正6年国有化。昭和54年の複線化に伴い左の新しい鉄橋が増設。右側の線路は明治のまま今でも使用されています。
片町地蔵?道
下宿の石像群常夜灯。庚申塔・馬頭観音・地蔵尊・弁財店などが並ぶ
大林寺 大きな山門にもびっくりするが、本堂や客殿・五百羅漢堂・座禅堂・大林晩鐘などのがならぶ
長津田越中守融成によって開山、その後、嫡子房恒が岡野氏の菩提寺として建立したと言われれている。小田原北条の家臣であったが、秀吉・家康に仕える。
長津田の領主旗本岡部氏の墓所がある。初代疋田天功墓所が有り墓所の後ろには、森繁久弥さんの直筆の碑もある。
マンションに入り口側から見たお七稲荷
お七稲荷 先の大林寺は何度も火災にあっている。岡野氏が裁いたとされる八百屋お七で知られている。八百屋お七が処刑された後、大林寺はいく度もの火災に見舞われ、八百屋お七の祟りではとお七稲荷が祀られた。現在お七稲荷は、マンションの入り口の真ん前にあり、道路側からは見えません。