Milestone
マイルストーン。
距離を測るための定点観測用に置いた石ということだろう。
言葉の成り立ちを理解することの面白さに加え、英語よりも日本語の語彙の多さや、奥ゆかしい表現、言い回しに感心する私。
それを越えて、逆に回りくどい表現は何年経っても変わらない藤田節だとご理解頂きたい。
(書き物がライフワーク!)
本日は「節目」の時というお話。
今朝になって「あれ、今日は節目の日ではないか!」と当日までそれに気づいていないほど、他にアンテナが張り巡っている ここ数年の筆者は、確かに多忙を極めている。
毎年、この節目の時を迎える日には「この一年、自分は頑張れただろうか。」という問いを持ちながら一日を過ごすようにしている。
結果は「お陰様で」という感じだろうか。
ここ数年というもの、私の人生から感動という感動が一切姿を消した。
奇妙だ。
不感症だ。
まだ、三十路前半。
まだ、あって良いだろう。
しかし、その代わりに 温かい人の親切な行為や計らいには とかく気持ちが動く 傾向がある。
経済活動が忙しくなればなるほど、私は質素さを求め、物を必要としなくなり、生命の尊さや出会いの素晴らしさについて心が喜ぶことが増えてきた。
きっと、先輩方は既にそういった感慨深さを色んな節目に感じてきたのだろう。
私たちは前に進めば進むほど経験や知識が増え、昔には対応できなかったことへの向き合い方が上手になっていく。
しかし、いい事ばかりが起きるわけではない。
当然 知恵はつくが、要らぬ知恵や くだらないプライドが付随してくる。
近年の健康やダイエットの欠落ポイントと同様に、多くの大人が 引き算の法則 を忘れている。
悪い行いや悪い食べ物を無毒化するための行いにお金と時間を費やすが、悪い習慣を断ち切るというシンプルな考えが実は最も効率的で生産性が高い。
それを経済の活性化のためのフェイクニュースとして耳に届けられてしまう私たちは、純粋で、幼稚で、何とメディアリテラシーが低い事だろう。
テレビの弊害は大きい。
私たちはスポンサーがついていない自由をトコトン噛みしめよう。
引いて、引いて、引きまくれ。
余計なことをするな。
そして、悪習慣を無毒化するのが難しいように、言わなければ良かった一言や、やらないほうが良かった身勝手な行動は、どうやっても相手の心には悪い記憶として残されてしまう。
「取り返しがつかない」だなんて言いたくはない。
そして、そんなことは決してない。
がしかし、人の気持ちを軽率に扱う全ての行為が信用を落とし、信頼を無くし、やがては自分の成長と成功を妨げてしまう。
誰にとっても必ず在るであろう節目の時。
入社から何年目、転職から何年目、〇〇記念日、誕生日、年齢的節目、大切な人とのお別れから何年目、といった時だ。
そんな節目の時に考えてみたい。。
私は誰かを気づ付けていないだろうか。
苦しめていないだろうか。
不要なプレッシャーを与えていないだろうか。
自分の遠くのイメージにばかり意識が行き、近くの事柄を軽視していないだろうか。
今朝は私の好きな支留比亜コーヒーから。
オジサンはコッチのほうが落ち着く。